2話 理系は合理性にこだわる
木曜2コマ目の授業が終わると、その前の授業が別な関係で離れて座っていた友人の佐々木が、俺の肩を叩いた。
「泉。お前サークル辞めたんだって?」
2週間前に俺が辞めたサークルは、幽霊部員を含めて100人近いメンバーが所属している。交流や意見交換を主な活動としているが、本来の目的はその活動の後にある。一言で言ってしまえば所謂飲みサーだ。
「ああ」
「そうか」
ただの世間話程度の口調だった佐々木に適当に応じると、こいつもこいつでそれだけ言って、話を続けようとはしなかった。ただ確認をしたかっただけなのだろう。
この話がどんな経路で佐々木に伝わったかは知らないが、少なくとも俺がいい気分になるような伝わり方はしていないはずだ。
佐々木はしっかりと「作者の気持ち」がわかるタイプなので、恐らくもうこの話題に触れる事は無いと思う。
「じゃあ帰るか?」
「いや、第一食堂寄ってく。癖で昼飯用意するの忘れた」
「なんだそれ。俺は飯用意してあるから悪いけど帰るぞ」
「別にそんな事気にすんなよ」
どことなく気を遣ってくれた感のある佐々木と、「じゃあな」と別れの挨拶を交わし、俺が足を向けているのは宣言通りの一食。
あれから1週間、大学構内で何度か小田切さんを見かけはしたが、残念ながら話す機会は無かった。
だから今日、先週と同じ曜日に同じ場所でなら話せるかもしれないと、何の根拠もなくそう思っている。
「あ、いた」
思わず小さく口に出してしまったが、一食内を少し見渡すと目的である白衣を着た美人さんが一人で座っていた。
他の曜日に見かけた時は、学科の友人と思しき人達と一緒だったし、ほぼ満席だった事と、こちらも佐々木や他の友人と一緒だった事で近付けはしなかったが、今日は向かいに座る事が出来そうだ。
「相席してもいいですか?」
「はいどうぞ。……あ、泉君」
「はい。失礼します、小田切さん」
第一関門クリア。しかも「どちら様でしたっけ?」や「泉君、でしたっけ?」などではなく「あ、泉君」である。しっかり覚えてもらえていた訳だ。
これで微笑みかけでもしてもらえたらこの場で惚れたかもしれないが、小田切さんはクールな表情を崩さずに、「どうぞ」と手で向かいの席を勧めてくれた。
「今日は泉君に心配されるような事はありませんよ」
「カレーですか……」
自慢げな小田切さんの手元には、日替わりランダムなメニューの中で、毎日必ずある――うどんやラーメンなどの麺類も同様――カレー。
「確かにうどんのつゆよりは撥ねないでしょうけど、撥ねた時の被害がデカくないですか?」
「万が一撥ねても洗えばいいだけですから」
「でも実験にも使うんでしょう、それ?」
「いえ?」
ん?
「まさか、プライベート用の白衣ですか?」
「はい。実験用とは別に三着持ってます。実験用の白衣は目には見えなくても試薬なんかが付着している可能性がありますからね。実験室の外では着ませんよ」
「ええと、なんでまたプライベートで白衣着るんですか?」
本来は他人のファッションに口出しなどすべきではないと思う。しかも白衣が似合っているのだから余計に。それでも聞かずにはいられない。
「楽だからです。白衣に隠れるおかげで服のコーディネートを気にしなくていいですから。思えば高校までは制服があってよかったです」
「まあ、確かに」
確かに一部のファッション大好き人間や、極一部の人目を全然気にしない連中以外は、毎日の服装には悩むだろう。俺だってそうだ。
そうなのだが、どことなく釈然としないままドヤ顔の小田切さんを見れば、ぴっちりと前をしめた白衣で今日の服装は隠れている。
胸元から覗くモコモコとした黒い生地と、先程遠くから見えたデニムパンツとスニーカーは分かったが、確かに全身のコーディネートは分かりようがない。
ずぼらな人なのかと思いもしたが、顔や首のラインから見るにモデルかと思う程に無駄な肉は無いし、整った顔には薄くではあるが化粧も施されている。爪だって手入れされていて綺麗だ。
トレードマークの白衣にもしっかりとアイロンがかけられているのがわかるので、決してずぼらな人ではないはずだ。
「泉君が何を考えてるか当ててあげましょうか?」
曖昧な返事を返した俺に対し、それはそれは嬉しそうに笑う小田切さんは、スプーンを右手に持ったままで、左手の人差し指をピンと立てた。「私、作者の気持ちがわかる理系ですから」と胸を張る事も忘れない。
そのフレーズが気に入ったのだろうか。意外と子どもっぽいところもあるんだなと、またしても微笑ましくなる。
「合理的だなあ。ですね?」
「全然違います」
「え」
俺が思ったのは――正しくは改めて思ったのは――不思議な人だなあ、だ。
外見に気を遣わない人ではないはずなのに、服を選ぶのが手間だからと常に白衣を纏う。
俺からすれば何となく矛盾したような気もするのだが、彼女からすればごく当たり前の事なのだろう。
今まで俺の周りにはいなかった、自分なりの謎の価値観を持った独特な人。
「そんなはずは……」
小田切さんはそんな俺の返答に、思ったような実験結果が得られなかった科学者のように――俺は文系なので想像だが――落胆している。
きっと彼女自身は本当に合理的だと思っていたのだろうと、落胆させて申し訳ない気持ちもあるが、少しだけほっこりした。
「因みに正解は?」
カレーを一すくい分食べ、水を飲んだ小田切さんがちらりと俺に視線を向けた。
「そうですね」
同じタイミングで親子丼を飲み込んだ俺は、ふと返答を考える。
不思議な人だと思いました、とそのまま伝えては誤解を招く可能性もあるし、何より次に繋がらない気がする。
そうまで考えて返答を決めた。
今度は俺が人差し指を立てる番だ。
「課題にしておきましょうか」
「お、いいですね。受けて立ちますよ」
かかった。浮かべそうになったあくどい笑みを封じ込め、ニヤリと笑った小田切さんに、出来る限りの爽やかな笑みを返す。
「小田切さんは木曜の昼は大体ここですか?」
「毎週ここです。来週も待ってますよ、泉君」
「はい。回答を楽しみにしておきます」
俺に来週の許可をくれた、見た目はクール美人で、中身は意外と子どもっぽい独特な考え方のお方は、任せてくださいと言わんばかりに胸を張った。




