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ユウスズミ(上)

「暑いよー」


 室に入るなり床に突っ伏してぶつぶつ言いだした怜乱れいらんを、老狼らおろうは呆れた顔で見下ろした。


「暑いってお前、汗一つかいてないじゃないか。そんな子供みたいな真似をするより、服の一つでも脱いだらどうだ」


 相棒の言葉に、怜乱はのろのろと頭を上げ、これまたのろのろと首を横に振った。


「だめ。この服は体温調整機構だもん。脱いだらそれこそ血が沸騰ふっとうして死んじゃうよ」

「そうなのか? しかし、いくらおまえさんの血が酒でできているとはいえ、沸騰はせんだろう、沸騰は。

 それに、その着物だって画師の作ったものなんだから、暑さ寒さくらい防いでくれるんではないのか」


 狼が言うと、少年は寝転がったまま器用に肩を竦めてみせた。


「それがさぁ。飛龍ふぇいろんは北の生まれでね。極地はよく知ってるけど、南は華那かなんくらいまでしか下りたことがないんだ。太陽高度がやたらと高かったり、恒常的に気温が体温を超えたりするところがあるなんて、想像できなかったんだよ。

 だから、外部からの攻撃に対する防御機構が強固な割に、環境遮断機能は雨とか埃を寄せないようにする程度。外から受け取った熱を外に返すことなんて想定してないんだ。

 ……まぁ、死の間際にそこまで細かいことを考えられなかったってのが正直なところだけど」


 温い空気を吐き出しながらつぶやいて、彼は頭頂部でまとめていた髪を解いた。

 ざらりと鋼線の束のような音を立てて、白銀の髪が広がる。


「おいおい、陽炎かげろうが出てるぞ」


 沸騰というのもあながち冗談ではないらしい。

 床に広がった髪の向こうが揺らいでいるのを目にして、狼は目を丸くする。

 近くにしゃがみ込んで少年の後頭部に手を近づけると、灼けた鉄のような熱気が狼の手を焼いた。


「……それが全部外で受け取ってきた熱。陽の下だと排熱の上限超えちゃってて、溜め込む一方なんだよね」

「お前もなかなか大変だな」


 申し訳程度に手で扇いでやると、少年はがっくりと首を垂れた。


「本当は髪からも排熱できるから解いてしまいたいけど、幽鬼と間違われると面倒だしなぁ」


 大華では、髪を結わないのは妖かそれに連なるもの、もしくは服喪か医者、そして幽鬼ゆうれいであると相場が決まっている。

 陽に焼けることのない肌をして葬色の(しろい)着物を纏った少年の姿は、生者よりも幽鬼に近い。

 これで髪まで解いてしまったら、それこそ幽鬼といわれても文句は言えないのだ。


「着物の手直しはしないのか?」

「試してみたけど、どうにも上手くいかなかった。どうやら僕込みで完成品らしい」


 ぱたりと仰向けになって、怜乱は怠そうに狼のことを見上げた。


「老狼は暑くないの?」

「俺は地面が固まる前からここにいるんだ。この程度で暑いわけがなかろう」

「……それもそうか。暑いどころじゃない世界で生まれたんだから、このくらいの気温じゃむしろ寒いよね。

 ──あぁ、それにしても、暑い。なんでみんな外で活動できるんだろう……あやかしか何かなのかな……」


 ごろごろごろ。

 いつものきびきびした様子はどこへやら。温まった床から逃げるようにごろごろと転がる少年を眺めて、狼は溜息をついた。


「お前なぁ。それなら室を冷やすとか、風を送るとかすればいいだろう」

「できたらとっくにやってるよ……仙術系は取り決めで使えないし、結界術は得意じゃないし、符術も使えないし……。誰かは使えた筈なんだけどなぁ」


 ぶつぶつ言いながら首をひねる怜乱に、狼はあきれて声を上げた。


「……暑さで頭が煮えてるんじゃないか? お前さんは画師なんだから、わざわざそんな専門外のことをせんでも、『』を創ればいいじゃないか」


 狼の提案に、怜乱は驚いたように目を見開いた。


「それは思いつかなかったよ。老狼、頭良いねぇ」


 どうやら自分のためには頭が働かないらしい。

 賛嘆の声を上げる怜乱に、狼は耳を倒して溜息をついた。


 こいつが俺のことを手放しで誉めるなんて、もしかしたら出会って以来初めてではなかろうか。


 そんなことを考えながら、多少元気付いた様子でふところから紙を取り出す少年を見物する。

 彼は紙をじっと見つめて何事か呟いていたが、やがて仰向けになったままでさらさらと筆を走らせ始めた。


「できたー」


 妙に間延びした口調で、少年はぱちりと手を叩く。

 それを合図に白い紙は中心から針金状に解け、瞬く間に何かの形を編み上げる。


「キィ」


 油の切れた蝶番のような声で鳴いたそれは、針金で鳥の形をなぞったような形をしていた。

 隙間しか見当たらないくせに羽の一枚一枚まで判る翼を広げて、怜乱の胸の上に浮いている。


「何だそりゃ」


 ぽかんと口を開ける老狼に、怜乱はもっともらしく部屋の温度を下げる『鬼』だよとのたまわった。


「閉鎖空間の温度を食べて稼働するんだ。この真ん中にある核に熱を貯めて、徐々に光に変換するしくみ」


 自慢げに解説して、怜乱は『鬼』の胸にあたる部分を指先でひょいと突く。その奥には、硝子のような半透明の珠が浮かんでいた。

 針金の鳥は怜乱のちょっかいにキィと声を上げて頭を揺らし、指先を除けるようについばんだ。


「ほお。一応自律性はあるんだな。早速動かしてみろよ」

「勿論。緊緊閉鎮よろしくね


 動くと知ってとたんに興味を示し始めた老狼に応え、怜乱は鳥の頭を軽く叩いて声を掛けた。

 鳥は微かな軋みを上げて、辺りを見回すように頭を回しふわりと飛び上がる。開いていた窓を密度の低い嘴で器用に閉めて、部屋の中心で静止した。

 体の中心、丁度心臓に当たる場所に据えられた丸い硝子細工のような核が青い光とともに低い振動音を上げ始める。


 一拍置いて、辺りの空気からすっと熱が引いた。


「やった、成功だ」


 やおらむくりと身を起こした怜乱は、ぱちぱちと手を叩いて一人喜びを露わにした。


「確かに涼しくはなったな。しかし、こんなにかさばっては外に連れ歩けまい。あまり意味がないんじゃないか?」

「結界を貼るわけにはいかないからね、外では動作しないんだ。どこか一か所でも涼める場所があるだけでも有り難い話だし」


 怜乱は上機嫌で部屋を横切ると、今まで見向きもしなかった寝台に長々と寝そべった。寝ころんだままのびをして、枕にあごを乗せる。

 休む気満々の少年に、狼は肩をすくめた。


「おいおい、町を回らなくて良いのか? いつも新しい町に着いたらやってるじゃないか」

「……今日はお祭りみたいだから行かない。老狼は楽しんでおいでよ」

「良いのか? 流れの古道具屋とかも出ていると思うんだが」

「いい。今日は人いきれは遠慮したい気分なんだ」


 面倒くさそうに首を振って、怜乱はもぞもぞと懐から財布を引き出した。

 投げてよこされた財布の意外な重さに目を見張る狼に、怜乱はおざなりに声を掛ける。


虎貨くらいまで(こぜに)しか入ってないからさ、適当に使ってくれていいよ。でも、相手が死ぬからられないように気をつけて」

「そうなのか。じゃあ、土産に酒でも買ってきてやるよ」


 そういえばいつぞやは扒手すりが炎上してえらいことになっていたな、などと思い出しながら、狼はやたらと涼しくなった部屋を後にした。

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