それでも強く
いつから雨が降っていたのだろうか。
それすら気付かなかった、今、目の前で起きた出来事。
土砂降りの中、助けてと必死に叫んでいた俺の好きだった人。
その人の見つめる先に居たのは、指一本も動かせなくなった、柴犬種の男性。
耳だけは、雨を鬱陶しそうに弾いている。
……そう、俺は弱かったから。助けられなかったんだ。
それから5年。俺は必死に自分を鍛えた。戦い方も覚えた。
あの人はその間に、結婚した。子も産まれたらしい。
……連れ去った奴との子。どんな気持ちだったんだろうか。
今なら守れるかもしれない。取り返せるかもしれない。
だけど、それを望んでいるのは誰だ?俺か?あの人か?
『皇室関連のニュースをお伝えします。
本日、2歳になられました王子はすくすくと成長し、
既に歩き方も覚え始めてきたようです。喜ばしいことですね。
皇太子も皇太子妃も笑顔で笑いかけております。』
本当にそうなのか?そう思うのは俺だけなんだろうな。
少し鬱陶しい映像のスイッチを切って、俺はランニングしに外に出た。
一通り走った後、帰り道の途中にある公園のベンチに腰掛ける。
近くにあった自販機で買った水を一気に飲み干す。
空を見上げたら、雲の無い青空。
その下には柴犬。茶色いベンチに座っている俺だけ。
目を瞑ると、今でも俺の前には雨が降っている。
「あの、生きてますか?」
「へっ?」
目を開けると、目の前には心配そうにこちらを見ている、白い犬種の女性。
よく見ると尻尾や顔立ちから狼種のヒトだと分かる。
「あ、よかった。ずいぶん長い間動かなかったので、少し心配になって。」
「あれ、すいません。今何時だろ。」
腕の装置を見たら、どうやら2~3時間くらい経ってしまっていた。
「考え事してたので……。大丈夫ですから。」
「なら良かった。この辺りは海風もあって寒いですから、気を付けてくださいね。」
それだけ言って笑うと、公園から歩いて行った。
その後ろ姿をぼーっと見ていたが、慌てて予定を思い出した。
あと1~2時間もしたら、食事をする約束をしていたんだった。
昔からの幼馴染だし、別に遅れてもいいのだけれど、怒られたくは無いし。
軽く伸びをして、家まで帰ることにした。
……昔は昔、今は今。あの時の俺を今の俺が助けに行けたら。だが、もう遅い。
それでも俺は、もっと強くなりたい。強くありたいんだ。
二度とあの人を助けられないような事が無いように。
=完=