紫苑【一話】
第1話
今日の予約は二名。店の予定表にはそれぞれの予約時間の欄に「木村伊里子様」「志田夕葉様」と書かれている。木村は初めての来店で、志田は常連だ。
予約を確認し終えると、コノエはいつものように高いところで髪を結わえて真っ白な和服に着替えた。人間からするとコノエの仕事はまじない師のようなものだろうから、少しでも信用されやすくするための衣装がこれだ。魔法を使うのなら、身なりはそれらしくしておいたほうがいい。
最初の客の木村が店にやってきたのは予約の1時を少し過ぎたころだった。髪を内巻きにカールさせたOLさんらしき綺麗な女性だった。表情は暗く、不安げだった。
「いらっしゃいませ、木村伊里子様。お待ちしておりました。どうぞお掛け下さい。」
コノエは声のトーンを落として話す。第一印象は怪しい方が経験上良いと知っている。木村はテーブルをはさんでコノエの正面に置いてあった椅子にゆっくりと座った。
「彼に…会わせてもらえませんか。」
彼女は震えた声で言った。
「はい、承りました。ではまず、その方についてお話を聞かせてください。」
優しく、相手の感情と願望を程よく引き出すように、コノエは言う。すると相手は語り出す。
「彼は佐渡悠人と言って、私の恋人でした。」
彼女は一枚の写真をコノエの方に差し出した。そこには少し背の高い男性と木村が腕を組んでいる姿が写っていた。
「彼は、二年前に病気で亡くなりました。私のすべてだったのに、死んでしまったんです。またね、と笑った顔がどうしても忘れられません。だから、この店に来れば会えるって聞いて、それで…」
そこまで言って彼女は顔をゆがめて泣き出した。黄色い花の刺繍のついたハンカチで目元を抑える。
「そうでしたか。」
コノエはそのあといくつか質問をして、佐渡の特徴を聞き出した。
「彼に会う覚悟は出来ているんですね?」
「はい。もちろんです」
コノエが微笑んで言うと、彼女はすぐにそう答えた。
「分かりました。今から佐渡様をお呼びします。」
コノエは立ち上がり、裏の部屋へ入っていった。
扉を閉めたコノエはふう、と息を吐いた。
「また恋人か。最近はそればかりだ。」
この店は、客の「大切なひと」に会わせることで心を満たしてもらい、代金をもらっている。だが本物に会えるわけではない
コノエは着物の袖を捲り深呼吸をした。
「…よし。いざ!」
そう言うとコノエは小さくジャンプした―――とたん、コノエは長身の男性に変化した。結われていた黒い髪は短い茶髪に、服も若い男らしくシャツにジーンズに変わった。さっき木村が見せた写真に写っていた男そのものだった。
コノエは、化け狐だ。
「こんなもんかね。」
コノエは姿見の前でくるりと回ったりして顔や姿を確認した。すると、背中の方に人間の男にあるはずのないものがあった。
「おっとあぶない。尻尾をお客に見せたらただの狐のまやかしだとばれてしまう」
もう一度ジャンプをし、黄色い尻尾を消した。そして鏡を見て満足そうに「カンペキ」とつぶやく。狐の面影はない。確認し終えると扉の前で深呼吸をした。
「―紫苑の夢を、追憶に」
コノエは目を閉じてそれを小さく呪文のように何度か繰り返した。本当に意味があるかは分からないが、昔変化をならっていたときに教えられたもので、いつしか習慣になり、気持ちのスイッチを入れるために毎度唱えているのだ。
言い終えるとコノエは扉の向こうで待つ木村に声をかけた。
「準備が出来ました。よろしいですか」
すると木村の緊張した声が返ってくる。
「はい。お願いします。」
コノエはそっと扉を開けて、微笑んで言う。
「伊里子、久しぶり。」
その声は先ほどの艶っぽい女声ではなく、低く少しこもった男の声だった。木村は両手で口元を覆い目を見開いていた。
「は、はると…なの?」
「ああ。僕だよ」
木村は感動で今にも崩れ落ちそうだった。目から涙が溢れ出す。
「ずっと、会いたかった。悠人がいなくなってからわたし…さみしくて」
「僕はずっとそばにいたんだよ。君に見えていないだけで。けど今日こうやって君に会えて良かった。来てくれてありがとう。」
嘘を淀みなく並べていく。最後の一言だけは商売なので本当だが。客を満足させるのがコノエの仕事だから、躊躇いや罪悪感は捨てていた。
「悠人に言えてなかったことがあって、どうしてもそれが言いたくて、来たの」
木村は泣いているせいで声が裏返ったりしながらも話す。
「は、悠人が、好き。愛してる。これからも多分、忘れられない。」
途切れながら発音される、単純な言葉。率直な愛の言葉がニセモノの相手に向けられる。
「僕も、君を愛してる。今までもずっと。そしてこれからも。君が僕を想い続ける限り、僕も君のそばで想い続ける。」
ニセモノは、その人が求める言葉だけを返す。
それから木村は思い出を語って、泣いて、笑った。本物の『佐渡悠人』ではない、化け狐の見せる幻想に涙を流した。
「今日はありがとうございました。本当に…会えて良かったです。」
規定の四十分を終えてコノエが元の姿に戻って来ると、木村は鼻をすすりながら言った。それを聞いてコノエは優しく微笑んだ。
「そうですか。では、お会計を…」
正直言ってぼったくりだ。本人に会わせてはいないし、変化して話を合わせて嘘を並べているだけでこんな金を取っているのだから。それでも仕事だし、客を満足させられているからいいんだ。コノエは自分に言い聞かせながらこの仕事を続けている。
木村は少し寂しそうに、けれど満たされた表情で店を去った。コノエは客のこういう表情を見るたび、少しだけ救われていた。だがそれと同時に疑問が浮かんでくるのだ。
「いくら私の変化の精度が良くたって、そんなに気が付かないもんかねえ。
近くで見てきたくせに、人間ってのは都合のいいことしか目に入らない。」
一番大切で、大好きな相手のことすらちゃんと見えていない。結局はみんな、そんなものなのだろうか。