第九十五話 リチャードとエルガ
「……お前、顔っ……! 何があった!? あいつに、何かされたのか? 正直に言え!」
柱に寄り掛かって二人の帰りを待っていたシェアトの顔が強張った。
そしてその表情はすぐに犬歯を剥き出しにして怒りへと変わる。
甲斐が反応するよりも先に、ポケットに手を入れたままシルキーがシェアトの腹に蹴りを入れ込む。
「お前達を連れて来たのはBGMに無駄話をさせる為じゃない。雑用だと言っただろ? その仕事も無かったんだ、口に縫い目を付けたくなけりゃ黙ってろよ」
むせるシェアトは反論もしなければ、シルキーに謝罪もしなかった。
それこそが彼にできる精いっぱいの抵抗なのだろう。
「……皆様、お揃いのようで。ではお見送りをさせて頂きます」
さっさと帰れと言わんばかりに、すかさずリチャードが先導して歩き始めた。
この間に、一体何があったのか。
シェアトは甲斐の頬に刻まれた三本の傷跡の理由は考えたくないようだが、思い当たる部分はあるのだ。
「……では、私はこれで」
門まで来ると、リチャードは声も小さく別れを告げる。
「苦労するな、お前も」
リチャードの前を通り過ぎる際に、シルキーはふっと鼻を鳴らして笑った。
何を言っているのか分からないというように眼鏡の位置を直すが、シルキーは彼の胸を拳で叩く。
「その手の傷、事務だか秘書だから知らないが安全なこの職場で付くようなもんじゃないんじゃないだろ? まるで刃を握らせて、思い切り引いたみたいだ」
「……ご心配無く」
手の内側などいつ見たのだろうか。
無意識に見えるはずのない傷跡を隠す様に、リチャードはもう片方の手を上に重ねた。
フルラ・インラインからの手紙をエルガへ届けた際に付けられた傷跡は残ったままになってしまった。
あの時、何がエルガをそうさせたのかは未だに分からないが至らないところが多い分、特に気にしていなかった。
治癒室へ行く暇が無く、包帯を巻いていただけだったが一度傷跡を消す治療を受けに行かなければならないだろう。
「あんたも大変だな、あんな奴の下で」
思考をまたも遮られた。
今度はシェアトが前だけを見てリチャードに話しかける。
「……でもな、もっとよく周りを見た方がいいぜ。今は分かんねえかもしんないけど、足場が全部崩れてからじゃ遅ぇ」
「……人に助言を出来るほど貴方は完成していない。捨て犬にならぬよう、お気を付けて」
ただでさえ機嫌の悪いシェアトの苛立ちが加速したようだが、地面に唾を吐いて通り過ぎて行った。
「……メガネ、似合うねえ。でもさあ、魔法で視力治せるんでしょ? なんでかけてんの? ダテメガネ?」
最後は甲斐だ。
急におかしな空気になったのをリチャードは感じ取る。
「……ありがとうございます。……魔法に頼るのはあまり好まないので」
口を開かずにふ~ん、と納得しているのかしていないのか分からぬ返事をする甲斐にリチャードは一度小さくため息をついた。
「……魔法で治せぬ傷もあります。残したいならばいいのですが、貴女の傷は早目に治療を受けた方が良い」
その言葉に一度きょとんとした顔でリチャードを見ると、歯を出しながら怪しい笑い声を上げた。
そして肘でリチャードの腹部を突く。
予想外の反応にリチャードは数歩後ろへ下がる。
「うはは、うはは! なんだ、イイ人だね。どんだけ堅物かと思ったら。またね!」
去って行く三人を見送ると、リチャードはこの作られた景色を見渡して目を細めた。
× × × × ×
予想よりも時間を食ったことで、エルガのいる代表室へ走ることとなったリチャードは息を整えてから、入室する。
「戻りました。……一時間後に会議が入っております」
「……その会議には君にも出席してもらおう。ああ、その前に話がある」
「かしこまりました」
壊れたドアは元に戻るだろうか。
そんな事を視線を交えずに目の前を歩くエルガを見ながら、リチャードはふと思った。
いや、壊れた物は戻らないだろう。
魔法の使えない自分が試行錯誤するよりも新しいドアを注文した方が早い。
直せるとしたら、それはきっと自分ではなく、もっと器用で器量のあるそんな人間なのだろう。
「……さて、アッパー。分社化する件だが、お前に総監督を任せようと思う」
無機質な部屋で、二人は立ったままだった。
飲み物を注文するような、そんな軽い口調でエルガが切り出した。
「……私に、ですか? あ、ありがとうございます……」
「指揮は私が取る。日々進捗状況を報告しに顔を出しに来い。忙しくなる分、報酬も上げるから心配はいらない」
「ありがとうございますっ……! 必ずや成功させてみせます」
植物の葉を指でなぞるエルガがこちらを振り向いた。
その常識外れな美しさと、何故か本能的な恐怖を感じて息をするのも忘れそうになった。
「……成功は、約束されている。己の力を過信するな。君は、駒として、私に使われているだけだ」
「失礼を……。申し訳……ございません……」
後継者としてエルガがSODOMへ来てから、側近として仕えるようになって数か月。
以前の代表の側近は代表と共に老い、余生を楽しむと言ってひっそりと退職した。
だが、平社員にとっては何も変わらないはずだと思っていた。
事業は常に順風満帆であり、それは代々変わらない。
新代表へ就任したエルガを、高校を卒業したての若造に出る幕は無いと言う者もいた。
だが、現実は大きく予想とかけ離れ、秘密裏にSODOMで彼は幼い時から仕事に携わっており、在学中も彼の残した案や作成した武器・兵器をSODOM開発製品として売り出していたという。
実態は無くとも、確実に彼の存在はここにあったのだ。
そう、常に。
姿が目視できるようになってからまだ時は短いのに、会社全体の雰囲気は変わり始めていた。
それはとても自然にかつ、大きな動きだ。
数百人のデータを的確に把握し、部署替えや仕事の振り分けを一新してより仕事の効率を上げた。
個々の負担を減らし、更に代表自らが積極的に現場の状況把握や提案を行った。
その動きに合わせ、ゆっくりとだが彼に対する見方が変わり、信頼へと結びついていく。
まるで綺麗に並べられていくドミノを見ているような気分だった。
そして大きな変化はリチャードにも起きた。
代表の側近へと大抜擢されたのだ。
しかし、未だにエルガの内面を知ることは出来ない。
得体の知れない完璧さと、何をしても彼の思惑通りに動いているような気がした。
そして周囲を強固に塗り固めた彼は、ついに動き出した。
SODOMを分社化して、新しい事を始めようとしている。
「人生は短い。何かを残すなら、急ぎ足でないと。立ち止まる事は許さない、後ろは私が守ってやる。前だけを見て歩め」




