第九十一話 エルガとの再会
お手伝い天使は真っ白なワンピースに身を包み、三人分の飲み物を持ってきてくれた。
シルキーの前にはホットコーヒー、甲斐にはスパークチェリー、シェアトにはアイスコーヒーを手渡して綺麗なターンでスカートを膨らませ、裾をつまんで軽い会釈をすると美しいきらめきを残して姿を消した。
「……ぷはぁーー! いやあ、シルキーさん! 人って死ぬまでに一回は良い事言うもんですね! あたし達の分まで飲み物貰ってくれるなんて!」
実に余計なことを言いながら、スパークチェリーを半分ほどストローを使わずに飲み干して甲斐は上機嫌に笑う。
「誰が飲んでいいって言ったんだ?」
じろりとソファから顔を覗かせて睨むシルキーに甲斐は激しくむせ込むと、満足したのかそれ以上追及はしなかった。
そしてシルキーは独り言のように話し出す。
「あいつはどうも気に食わないな、こてんぱんに言い負かして声が枯れ、喉が潰れるまで謝罪させたいくらいだ。魔法が暴発したとでも言って、電撃の一発ぐらい浴びせてみたいな」
ふん、と鼻を鳴らすシルキーに甲斐はにやけながら顔を近づける。
「ふふふふー! あのメガネはあたし達の事眼中に無いみたいだったし、シルキーさんに『だけ』お話してたけどー……シルキーさんはずっと『俺達』て言ってくれてたっスよね。あざーっす」
その言葉にシルキーは何も答えなかった。
完全に話を聞いていないと思っていたが、どうやら耳に入っていたようだ。
シェアトはその事実に驚きつつも、シルキーが思っているよりも嫌な奴では無いのかもしれないと思った。
「……素直に応じてくれるんでしょうか……」
少し和らいだ雰囲気に乗じてシェアトも勇気を出して口を開く。
「なんだ、今の流れで分からなかったのか。お前、小説が読めないだろ」
口は悪いが、然程感情はこもっていない。
癖のようなものなのだろう。
「……あいつらは応じるしかないだろうな。本当に心当たりが無い場合、そもそもこのアポイント自体通らないはずだ。それか、非常にまずいミスだのなんだのがあればもっとすぐに応じたはずだ」
コーヒーカップを円を描くように揺らしながら、中身が飛び出さないぎりぎりを楽しんでいる。
「……だがあの対応を見ただろ? 云百と心当たりがあり過ぎてどの件なのか分からないって顔をしてる! ということはグレーゾーンが多いんだろうな」
何故こんなに楽しそうなのか、理解しようとするにはまだ生きる年月が足りない。
シルキーは背もたれに両腕を乗せてふんぞり返り、天井を見た。
そしてついでにシェアトの顔を下から見上げる。
「まだ分からないのか? こちらとしてもどの件で来たかを明かしてはならないせいで、大まかすぎる内容だが十分売った相手が何かをやらかしたのを察しただろう。そして今! 恐らく上司に掛け合って、対処方法を聞いているんだろうが……無駄だな」
「対処法って例えばどんな? ……ですか! シルキーさん!」
甲斐もひょっこり顔をだしてシルキーの視界に入り込む。
不愉快だったのか、湯気の立っているコーヒーを思い切りかけられそうになった。
甲斐はなんとかそれを身をよじって避けながら敬語に直す。
「例えば、か。そうだな、上司に掛け合ったがやはり許可が出なかったと嘘を吐けば面倒事になるのは分かっているはずだ。そんな適当な言い訳で俺たちが引き下がるはずがないと向こうも分かっている。俺の独断では無くW.S.M.Cの中尉からアポイントが出されているんだ、そんなことをして追い出せばすぐに防衛機関に連絡をして徹底的に調査する。そうすれば露見するはずのなかった部分まで見えてしまうんだ、かなりの痛手になるだろう」
「……では、あのリチャードは……一体何をしようとしているんでしょうか」
シェアトは本当に分からないといった顔をしながら、これ以上甲斐がシルキーに近寄ることができないようにそっとジャケットの背を掴んだ。
「……上司を連れて来てこちらが困るような案をほのめかし、帰った後も沈黙するように促す…が無難な線だろう」
「うへー、上司を連れてくるとか……先生に言ってやろ~ってヤツじゃん……。でもあたし達が困るような提案なんてあるんスか?」
「俺達が現場に持っていく防具は全てSODOM製だ。それに大尉やその上の人間達が一体どの企業とどう関係しているかは分からない。どこにも所属していない部隊だからといってどこからも力を貸してもらっていないわけではないんだ。もしかすると、今夜はハンカチを噛んで眠る結果になるかもしれないが……制止の声を上げる者はこの場にはいない。やれる事はするぞ」
もしかすると、危険な状況にあるのかもしれない。
不敵に笑う甲斐を見てシェアトはそう考えていた。
自分達の知っている事はあまりにも少ない。
SODOMからすれば反政府勢力は取引相手としては弱小で、いようがいまいが構わない存在だろう。
しかし、それによって企業としてのイメージや信頼に関わる報道をされる方がよっぽど痛手だ。
あのリチャードの態度を見て分かるが、どこの誰が問題を起こしたのかも分からぬまま取引記録を開示するとは思えない。
どうにかしてこちらを食い止めようとするはずだ。
それこそ、口封じをしてでも。
「さて……ネズミがキツネを呼ぶ間は暇だろう? 面白い物を見せてやるよ」
そう言うとシルキーはおもむろに手に雷を溜める。
そして背もたれに置いていた手を真っ直ぐ上に突き上げると、雷は激しい音と共に四方へと散った。
「あっぶねえ! おまっ……先輩だからって何でも許されると思っアバババババ」
先が枝分かれしている小指程の大きさの稲妻に服が触れただけで、甲斐の髪の毛が一斉に広がり、頭からつま先まで衝撃が走った。
シェアトは軽い防御魔法を使い、壁に当たっては跳ね返るシルキーの生み出した雷を目で追う。
すると次々にどこからか小さな爆発音が聞こえて来る。
それは段々と増え、まるでコーラスのように重なった。
白煙が上がり、部屋は視界が悪くなる。
「通信機器が繋がれている。趣味が良い、客のツラと会話内容を誰に見せているのかは知らないけど…是非ともこの件も合わせてお話しを伺いたいものですね」
誰に言っているのかと、シェアトが目を凝らすと入り口には二つの人影があった。
煙でむせ込んでいる甲斐は涙目になってしまって、何も見えていない。
「……就任式はテレビで見ていましたよ、新代表は慣れましたか? お忙しい中恐縮です……ミカイルさん」
その言葉に、シェアトの目が徐々に大きくなっていく。
全身の毛が逆立つような悪寒と、頭に一気に血が上る感覚。
数か月ぶりに顔を合わせたかつての友は、無表情のままドアに向かって押し寄せる白煙に眉をしかめ、白いハンカチで口を覆っていた。
純白のハイネックの服はタイトで、華奢なエルガの体を際立たせていた。
前は二つの金色のボタンで留められている。
ベルトの辺りから前は開き、形状として背面は燕尾服のようになっており、履いているパンツもまた白かった。
髪の色も甲斐とシェアトが知っている金色のままだが、違うのは纏っている雰囲気と何の感情も持ち合わせていない瞳だった。
軽口ばかりを言い、飄々と生きていた学生時代のエルガ・ミカイルの姿はどこにもなかった。
「……場所を変えましょうか、ああ……良ければですが」
シルキーだけを見据え、そうハンカチ越しに言う声は嫌な響きだった。




