第九十話 舌戦の果て
「……どうぞ」
自動で外へと開いた扉の前に立って誘導するように手で中に入る様に促す。
シルキーに続き、甲斐とシェアトの二人も中へ入った。
甲斐は慣れないスーツを着ている二人を見て口元がにやりと上がる。
しかし、慣れない服を着ているのは甲斐も同じだ。
スカートタイプのスーツをヴァルゲインターから借り、サイズを魔法で調整したが、随分とスカート丈が短い。
学生時代のスカートと違い、ぴったりとした生地の為、歩くたびに前に出した足の部分が上に上がってしまう。
それに、歩きにくいのだ。
中は応接間のようで大きな観葉植物とガラステーブル、黒い革のソファからは革製品独特の匂いが感じられた。
ガラステーブルの下には映像で小川が流れているが、書棚すら無く、殺風景な部屋だった。
どかりとシルキーがリチャードの合図も待たずに座り、足を組む。
その横に甲斐がちょこんと腰を下ろすと首の骨を鳴らしていたシルキーに睨まれ、即座にシェアトに後ろからジャケットとワイシャツの襟元を掴んで引きずり戻された。
「ピリピリしてんだから余計な事すんな……! 俺達は座んねえんだよ!」
「なんでー!? けっちくさ! でも確かに三人横並びに座るには狭いなって思ったんだよね! ふん!」
言い合う二人を無視してリチャードがシルキーの向かいに座り、指を組んで腹の辺りに手を置くと再び睨み合った。
『熱烈に歓迎されているようだな』、とでもシェアトが甲斐に耳打ちをしようとした時だった。
リチャードから口を開く。
「……それで、本日は一体どういったご用件でしょうか? シルキーさん」
それは迷惑そうな言い方ではなかった。
しかし、にこりともせずに言い放つ彼にはやはり好感は抱けない。
「……不躾な願いだと承知の上で来たんだが、なにもそう結論を焦る事はない。一目惚れした女をいきなりベッドに誘うのか? もう少し楽しもう、せっかくお会いできたんだ!」
可愛らしい外見の割に汚い言い方をするシルキーに、リチャードは目を丸くした。
「……何も世間話をしに来た訳ではないでしょう。わざわざここまで出向いたんだ、相応の要件がおありと見えますが……」
「……ここの噂は嫌でも耳に入って来るんだよねえ。脅威的・圧倒的市場規模の兵器開発事業! ただ、それだけにとどまらず、慈善事業や環境問題にも着手している! イメージ回復の為とはいえ、そのスケールの大きさには手を打ちたくなる」
甲斐は褒めているように捉えたが、シェアトはシルキーが煽っているのを敏感に察知していた。
「……仕事ばかりしていると世論に疎くなるものですね。イメージ回復が必要な企業だなんて思ってもいませんでしたし、そのように湾曲した解釈をされているとは……」
眼鏡を上げながら、リチャードは眉を少しばかり下げた。
「……全ては代表の広い視野と努力を惜しまず、この世界をより良いものにしたいという理念から我々は手足になり動いております。まあ、これは私の『一人言』ですのでお気になさらず」
「そうか、俺達は今何も聞いていなかったから安心だな。……さて、お望みの『本題』へ入るぞ。思ったよりデートが盛り上がらなかった。そうなったら、『本題』へ無理に向かうのもオススメだ」
明らかに地味なリチャードを馬鹿にしているのだろう。
シルキーはアドバイスするように言うと、一気に纏っている雰囲気を張り詰めたものに変える。
「取引相手は国や機関だけではないだろう? 個人や団体相手の取引はどうやって行っているんだ?」
リチャードの表情は一つも動かなかった。
ただじっと、シルキーを見つめている。
「これだけ大きな企業であれば顧客管理が大変なんじゃないか? ……まさか 二つ返事で金と交換している訳じゃあないだろ?」
ようやく本題に踏み込み始めたシルキーは組んでいる足を揺らしている。
「仮にそうだとしても、おたくらに一体どんな不利益が? 何か、ご迷惑をおかけ致しましたか?」
「不利益? そんな話をしているのではない。勘違いしてもらっては困る。迷惑が掛からなければ何をしてもいいと? レベルが低い、話にならん」
「我が社に投資をしているのであればその質問は分かります。もしも不誠実な取引ばかりを行って危うい橋を渡っているのであれば、止める責任もある。巻き添えなんてごめんだと……。……しかし、W.S.M.Cの貴方は一取引相手です」
要は『お前には関係ない』といったところだろうか。
リチャードの言っている事は正しいとシェアトは考えていた。
突然、何の用件かも知らせずに訪れておいて口を出すのはよその会社の取引の仕方についてだ。
ただの一取引相手から言われるような内容ではない。
「……常にレンガで出来た頑丈な橋を渡っているだけじゃ、ここまで成長できなかったんじゃないか?」
そう、あまにもシルキーは失礼だった。
まだSODOMが反政府勢力へ力を貸していたと決まった訳ではない。
それなのに最初から礼儀をわきまえず、リチャードへ挑発的な態度を取るのは何か理由があるのだろうか。
そうシェアトがこの濁った空気の中でどうにか酸素を探しながら思案している横で、甲斐はシルキーの後頭部を小突いてみたらどうなるかと考えながら、お茶の一つも出ないので苛立ってきていた。
「……まあ、いっか。それもこれから分かる事だった。今日ここにわざわざ出向いたのは取引の記録を見に来たんだ。武器、兵器、魔力使用開発・研究に関わるその全て。個人、団体、企業全て見せてくれ」
リチャードは、とうとう黙ってしまった。
それもそうだろう。
力押しにもほどがある。
これでシルキーの言う通りにしたとしたら、リチャードはW.S.M.Cのスパイか何かだ。
あまりの言い草にシェアトもどっと冷汗が出る。
「知った情報は一切漏らさないと誓う、なんなら誓約書に血判を押しても良いけど?」
本当に見たい相手の名前も、それに関わる情報も言わず目的をぼかした。
隠ぺいされてしまうのを警戒しているようだ。
だが、こんな無茶ぶりが通ると本気で思ったのだろうか。
「それは命令ですか? ……先程アポイントの申告書を拝見しましたが、防衛機関からの印も無かった……。まさかなんの権限も持たないおたくらの独断ではありませんよね?」
「ああ、今の君のような顔を俺は見慣れてるから無駄だよ。早くこの場を切り上げて、さっさと帰って欲しい……だろ? 無駄だ。『犬』と呼ばれる俺達が獲物を逃すと思うか? それじゃあ食われる事でしか役に立たない豚と同じだろう?」
「……こちらが要求通りのものを提示するまでは、ここから動きませんか?」
暗に『お帰りを』と言われているのだが、シルキーは楽しそうな声で返事をする。
もちろん、帰るはずがない。
「それは困りましたね……。そろそろ喉が渇いたのでは? ……少し、席を外させて頂きますのでごゆっくり」
リチャードが根負けしたのが分かった。
表情を見る事は出来ないが、シルキーはきっと強い意志が滲み出た表情をしていたのだろう。
冷たい飲み物が出されたが、それは一人分だった。
席を立つリチャードに対して、シルキーがまるで使用人に対するように偉そうな声で引き止める。
「飲み物が足りていないが、君は目が見えないんだった? 違うなら今すぐこいつらにも出してくれない?」
「……これは、失礼を……」
甲斐は嬉しそうに笑顔を浮かべ、シェアトは適温の中で汗を拭った。




