第八話 セクシー科学者
同じ時、甲斐とは違う位置から大きな穴を空け、地下に侵入したシェアトは特段なんら妨害を受ける事なく順調に歩みを進めていた。
薄暗い地下なのに変わりは無いが、特に暗闇に対して臆する事も無いようだ。
しかし何度甲斐の名前を呼び、通信を試みても繋がらない。
地下だろうと関係無くどこでも繋がるはずだが、恐らくこのエリア一帯に妨害魔法が掛けられているのだろう。
「それにしても、何だこの匂い……。吐きそうだ……。 俺って案外デリケートなんだぜ……」
案件を確認しておいたのでローレスを捕獲するという目的を遂行するのに迷いは無かった。
ターゲットが大人しく捕まってくれたらいいのだが、そう上手くはいかないだろう。
地下に籠っている匂いは今まで嗅いだどの匂いよりも強烈で、進むごとに強くなっている気がした。
胃が自然と痙攣して吐き気を催すのを耐えながら矢印の指す方へ進むが、道は一本なので迷いようが無い。
前方にうっすら人影が見えた。
足を止めて目をこらすと、やはり間違いなく人間だ。
白衣を着ているのでローレスかと思ったが、神経質そうな女性が書類を片手にじっとこちらを見ていた。
「……誰だ? 寝付けなくて散歩中……って訳じゃなさそうだな」
白衣の女性に起動されたままの右目が照準を合わせると、すぐにデータが表示された。
総合するとチェルシー・ピアージュ、二十八歳の科学者の確立が高いらしい。
二年前に家族から捜索願が出されていたが、事件性が少ないため自主的な失踪と見られ観測機関へ情報は回っていない。
世界中で行方不明者は数多くいるが、その全ては観測機関に依頼すればすべて解決するだろう。
しかしこうして事情を考慮した上で考えた場合、事件性が見られない物はわざわざ他の機関である観測機関へ依頼されないのだ。
いちいち全てを取り合っていてはきりがない。
「誰だ? 誰だって言ったの? やだわあ、それ、私の台詞じゃなあい? おっかしい。ふふ、上から道を壊してくれちゃって……困ったさんね。……お引き取り下さらない?」
その場から動かずにチェルシーは首を傾げた。
二人の距離は二メートル程だろうか。
白衣の下にはダークブラウンのロングスカートと、ぴったりとした黒のチューブトップを着ている。
ボブカットの髪の毛は黒く、瞳は口調と違って優しい物ではなかった。
線の細い女性だが、甘ったるい声が重く、立ち姿には一種の危険さを感じる。
「悪いな、道に迷ったんだ。案内してくれたら早く帰れると思うんだけど」
「あらあ、それは困ったわね……。本当に、困ったわ。私、仕事中なのよ。でもね、ここまでは一本道でしょぉ? ただ来た道を戻ればいいじゃない、おバカさんねぇ」
「いやいや、早く帰れるっつーのは帰り道の話じゃねぇよ。俺はローレスに用があって来たんだ。ああ、チェルシー。お前は帰った方が良いぜ。家族が待ってんの、知ってるか?」
名前を呼ばれた瞬間、彼女の顔色が変わったのを見逃さなかった。
獣が威嚇する時、ああいった顔をするのだろう。
咆哮しなかったのが不思議な位だ。
通路全体が揺れ始めた。
鼓動が早くなり、何が起きるのかと緊張感で耳に意識を集中させるが悟られぬように平然とした表情を保ちながらチェルシーと睨み合い続ける。
「恐怖……、動揺……。人間っていくら知恵が付いてもそういう無意識下の自然反応はどうしようもないのよねえ。仕方ないわぁ、仕方ないの。どんなに訓練されたって、瞳に向かって急に何かが向かって来たら反射で目を閉じるでしょう? 自分の体なのにどうにも出来ないってもどかしいわよねぇ」
「なあにごちゃごちゃ言ってんだ? 悪いけどな、俺は頭が良くないから難しい話なんざ理解できねぇんだよ。おい、ここ揺れてるぜ? 崩れたらお前もヤバいんじゃねぇの?」
「崩れる? ああ……これだからおバカさんと話すのは嫌なのよお。その二つの耳がまだ音を拾えているのなら、ちゃんと聞きなさい。ほら、これ……なんの音だと思う?」
揺れは一定の間隔で起きている。
段々と音が大きくなってくる。
こちらへ、向かって。
チェルシーの後ろはまだ黒く、闇が広がっているが右目の照準は激しくその暗闇の中を捉えて警告を出している。
とうとう力を入れていないと体が揺れ動いてしまいそうになった時、シェアトの目にもその姿が見えた。
「……くせぇのはこいつかよ……。穴に籠り過ぎて鼻がおかしくなったのか? よくそんな近くで平気だな」
「あら、この子からしたら私達人間の方が臭いわよお。坊やはシャンプーやボディソープを使ってないの? あんなの鼻が曲がるし肌はただれ落ちてしまうわ」
首をもたげて地面に叩き付け、その反動でゆっくりと前に進んで来たのは白濁色の体を持ったミミズのような巨大生物だった。
動く度に粘液が飛び散り、強烈な悪臭により涙が浮かんで来た。
進行方向からするに恐らく頭と思われる場所には目も鼻も無いが、口なのか切れ目が十字に入っており、時折そこをひくつかせている。
「この子も匂いには敏感なの。餌の匂いは特にね。さっきごはんを食べてた時も凄い食欲だったのよお」
「おい。ねーちゃん、モテねぇだろ。おかしなペットを飼ってる女が好きな男は少数だぜ」
「青いわねぇ。女性は追う恋より追われる恋の方がいいのよお。数より質、よ。……最後よ、お引き取り下さらない?」
「俺が探してる奴はここにはいなそうだな! それじゃ! ……って、帰る訳ねぇだろ! ……道開けろよ、余計な体力使いたくねぇんだ。俺なんかに構ってないでねーちゃんも仕事したらどうだ?」
「やあねぇ……、これが仕事よぉ。『廃棄処理』と貴方みたいなネズミさんを殺さないと、先生の邪魔になるじゃなあい!」
その声を合図に巨大ミミズは口を開けた。
円を描くように生えた無数の牙は何重にも連なり、見える範囲全てが歯と糸を引く液体だった。
「……だよなあ、ダメ元で言ってみたけどそうなるよなあ。……なんて日だ」




