第八十八話 ネオの恐れる女医
拠点に戻ると初任務を終え、無事に帰って来た新人二名。
シェアトは青ざめたまま甲斐に横抱きにされて登場となり、映像記録を撮られる音がした。
機嫌のよさそうなシルキーはその喧噪の中、早足で上官室へと消えた。
「カイちゃん、シェアト君重いんじゃない? 治癒室まで運べそう?」
ネオの優しい言葉と心配そうな顔。
男を押し潰した時とはまるで別人である。
「うん、大丈夫大丈夫。いい運動になるわ……ってネオどこ行くの?」
「え?いや……食堂にでも行って何か食べようかと……喉も乾いたし……」
「いやいや、両腕ぶっ壊れてる人が何言ってんの……? ネオも行くんだよ! ほら!」
力が入らないらしく、手にしていた水のボトルを取り落とした。
それをネオは中々拾えずにいる。
見兼ねたノアが気絶しているシェアトの額をリズミカルに叩くのを止めて拾い上げてやった。
「まあーたかよ! お前、遠隔戦向きの風使いなのになんでこんな事になんだ?拷問でも受けたのか?」
「拷問かあ……! でもあれってお互い順番に試せないと不公平だよね」
普通にノアと談笑を始めたネオを甲斐は怒鳴りつける。
「ネーーーオーーー! 早くして! ぼったぼた血ぃ落ちてるから! ノアも話しかけない!」
「やだなあ…ヴァルちゃんわざと苦しむ治療するんだもんなあ……。全然楽しくないよ……抵抗も出来ないし、お返しなんてもっと出来ないし……。ああ、これが拷問かあ……」
心理に辿り着いたが、腕を怪我しているというのに甲斐がもたつくネオに痺れを切らせ、シェアトを肩に担ぐとネオの腕を思い切り掴んで引っ張り出した。
これには笑顔が通常時の表情に登録されているネオの細く垂れるような優しい目も大きく開く。
「か、か、カイちゃ……カイちゃっ……! 僕が、どこ怪我してるか分かってるよね……!?」
「しつれーしまーす! お仕事持って来ましたー!」
荒くつま先でノックをした甲斐の両手は塞がっている。
治癒室のドアを開けることが出来ずにいると、中から声が返ってきた。
「はーい、お帰りくださーい!」
無視してネオにドアを開かせると、中にいたヴァルゲインターは堂々と煙草をふかしながら右手をあっちに行けと振ってこちらを見ようともしない。
相変わらず顔の半分以上を分厚いレンズに覆われ、馬鹿でかいラメの入った緑色のリボンをつむじの辺りで主張させている。
無理矢理持ち上げられている髪の毛は思い思いの方向へ跳ねていた。
白衣の中はいつもキャミソールで、下に何を履いているのかは誰も知らない。
「センセーさん、シェアトが豊富な想像力のせいで失神したよー」
「そんなモンはショットガンでも浴びせりゃ一発で起きっから!」
起きた瞬間、あの世では意味が無いだろう。
そして次の矛先はネオへ向く。
「あとねー、ネオがまた突っ走って怪我したー」
「お~! お~! お~! そんなに痛いのが好きなら生きたまま解剖してやろうか!? 言ったよね!? 私の仕事を増やすなって! 要らない臓器を選択するニャン!」
ようやく彼女はこちらを向いた。
十本の指全てを手術器具に変えてカチャカチャと音を鳴らしながらネオに笑いかける。
甲斐は逃げようとするネオの腕を離さない。
「ふ、不要な物なんてこの体には無いよ! むしろ必要だからこそ困ってるんだけどな……!」
「ホルマリン漬けにして食卓に飾りたい臓器を選択するニャン!」
どうやら気を失ったくらいでは専属医である彼女は動いてくれないらしい。
見向きもされなかった愛犬を甲斐は連れて帰る事にした。
「えっ……! ど、どこ行くの?嘘だよね、僕をここに置き去りにしないよね……!?」
「する、全然するよ。シェアトはどうにか起こせそうだけど、ネオの怪我はあたしらじゃどうしようもないじゃん」
「カイちゃん……君、フェダインから来たんだよね……! ほら、治療とか出来るんじゃないの!? 少しも学ばないの!?」
「まなばなーい。だってあたし太陽組だったし。攻撃せんもーん。そういうのは星組ー。じゃねっ!」
治癒室を出た直後、暴れるような音が聞こえたがすぐに静かになった。
急にシェアトが痙攣を起こし、甲斐の方で跳ね上がる。
「なっ、なになに!? 寝起きっていつもこんな感じ!?」
「あばっあばばばばあっばばばああああああ」
ビクビクと体を激しく痙攣させるシェアトと、本気で引いている甲斐。
後ろからシルキーが不快そうに顔をしかめて歩いてきていた。
「気が付いたようだな、俺の電撃はキレが良いぞ。このまま仕事だ、また荷物を持って行くのは面倒だが仕方ない。……ネオはどうした?」
肩から床に落ちたシェアトからは湯気が立っている。
荒い息で呂律が周らないのか口をパクパクと開閉しながらあーうーと声を出し始めた。
「ネオなら治癒室ですけど……。えー帰って来たと思ったらこのまま仕事ですかー? しかもこのメンバー…固定じゃないですよね?」
「……あの医者に捕まってるなら時間が掛かるな……。俺達だけで行くぞ。それにな、固定だったらそれこそ俺は転職だ。お前達のような荷物を背負わされて現場に行く毎日なんて想像したくもない」
「ひろい夢ふぉみへはみはいら……。ひうひいはん、ひんふへふか!?」
「……訛っていた方がマシだな……」
× × × × ×
ミーティングルームに着くなり、シルキーは立ったまま話を始めた。
直立出来ないシェアトは甲斐に無理矢理椅子に座らされる。
「……武装を解除しろ。フォーマルな格好に着替えるんだ。持っていないなどと言ってみろ、部隊から放り出してやる」
「持ってますよー! この前友達の結婚式だったんです、だからその時のドレスを……」
買った甲斐があったとばかりに、甲斐は嬉しそうに話し出す。
「……これから俺達はSODOM本社へ向かう。アポイントも取った。これは査察だ、上手くいけば防衛機関へ話を上げられるだろう」
「あの、だからドレスを……」
「……分かったか? その頭をまだ体に付けておきたいなら気味の悪い恰好をするな!」
話の本筋からずれて甲斐と言い合いを始めたシルキーを前に、シェアトは苦い顔をしていた。
まだ痺れる拳を握りしめると微かに震えが起きていた。




