第七十六話 ブレインのスカウト
「夏休みが終わる……! 人の幸せ祝ってた記憶とナバロ家に突撃した記憶しか無い……! うああああ社会の歯車になる日々が始まるうううう」
「出勤時間越えて何堂々と叫んでんだ! 出て来い!」
朝食も食べずにベッドの中で震えていた甲斐の部屋へシェアトが押し入り、引きずり出すと制服を投げつけ、けたたましくドアを閉める。
ブレインは笑いながら二人を見ていた。
「今日でお別れなんて寂しいよ。……時が経つのは早いな」
「そうかあ? ……ま、別れる時ってのは大体そうやって言うもんだよな」
「……あああ……おはようます~……ございです~……」
「お前……最終日ぐらいしゃきっとしろよな……」
ブレインの座る仕事用机の前に二人は並んだ。
今日で二人は民間警察を離れ、W.S.M.Cに戻る。
移動する前に夏休みをくれたのはブレインなりの敬意だったのだろう。
「さて、今日付けで君達はここを離れ本来の職場へ戻る訳だが…。その前に一つ、確認しておきたい事があるんだ」
二人の後ろに椅子が用意された。
どうやら和やかに別れを告げるだけではないようだ。
「……君達は、民間警察と特殊部隊…どちらも経験したわけだが。違いはなんだった?」
「人を殺せるか殺せないか、それだけだな。細かいとこをいやあ体制もろもろ違うが大きい点ではそこだろ?」
「……あと、出来る限り人を傷つけないようにってとこかなあ。どんなに悪い奴でも……守るのが民警なんだと思ったよ」
二人の返事を聞くと、子供の様にブレインは目を輝かせた。
そして頷いてから口を開く。
「どちらも正解だ。いや、今の問いに対する答えに間違いなど存在しない。違う職業だ、同じであるはずがない。私達民警は法の元に動き、逃げ回る相手を引きずり出す事が仕事だ。しかし、二人のこれからの仕事は全く違う」
二人の椅子の肘掛にドリンクホルダーが現れ、そこに温かい紅茶の入った紙コップが上から落ちて来た。
衝撃など無かったかのように、中身は一切零れていない。
「……君達は法と秩序の外、従うべきは上官、いやその声帯から出される音声命令だけだ。常識を変えねばならない。その覚悟はもう出来ているかな?」
「……んなもんやってみなきゃ分かんねえなあ。俺達はどっちも平和に数か月前まで制服着たガキだったんだ。俺が嫌いな言葉を教えてやろうか?覚悟とか根性とか具体性の無い言葉全部だ」
けっと吐き捨てるように話すシェアトは足を組み、背もたれに倒れ込んだ。
「あたしもやっぱまだ実感湧かないなあ……。人が死ぬとこはこの世界に来てから見たけど、自分が誰かの命を奪うとか深く考えると動けなくなりそうで」
「どちらかといえば、カイちゃん。君の方が部隊では上手くやれるだろうね」
ブレインの言葉に、シェアトの眉がぴくりと動く。
そこに畳みかけるようにブレインはシェアトへ話しかけた。
「だがシェアト君、君はどうかな。……ドッペル君の死に、君は酷く動揺したように見えた。命のやり取りの場で、さっきまで話していた人間が動かなくなるのは至極当然の光景だよ」
「人が死んでも何も感じねえようになったらいいのかよ? そんなんまともじゃねえ。っと、あー…大丈夫だ、お前は会った時からまともじゃねえから」
一瞬だが、傷ついたような表情をわざとらしく向けてきた甲斐を手を振ってあしらう。
「嘘でしょ……? これが……ココロノイタミ……? でも言い方は喧嘩売ってるけど、ブレインさんは心配してくれてるんだよね?どの職場でも色々あるけど、責任と誇りを持ってうんたらかんたら……」
「……心配、なのかな?君達は優し過ぎるんだよ」
ブレインの顔から、一瞬笑顔が消えたように見えた。
「きっと、自分が犠牲になっても誰かを助けようとするだろう。その咄嗟の判断が命を落とす時もあるんだよ。これを君達が嫌いそうな上司は甘さと呼ぶだろうね」
何も言い返せないのは心当たりがあるからだろうか。
最後の日までこうして苦言を呈され、シェアトの苛立ちは上昇して行く。
「……ただ、そんな君達が来てくれて私にとっても良い刺激になったよ。カイちゃんとシェアト君のようなコンビには、中々出会えないだろうからね」
「最初からそうやって褒めといてくれよ……」
「話し上手じゃないんだ、勘弁して欲しい。……一度だけ聞くよ。二人共、良ければこのまま民間警察に残って欲しい」
予想外の提案に、二人は目を丸くした。
「君達の力があれば、解決する事件も増えるだろうし士気も高まる。きっと、上に来るのも早いだろう。それに私も出来る限り良い上司でいさせてもらうつもりだ、背中を押すよ」
真剣に熱意を伝えるブレインと、きょとんとしている二人は対照的だった。
「……確かにあたし達の性格悪いあのヤロー……じゃなかった中尉よりブレインさんの方が性格も良いし、サポートから何から完璧だ……」
「糞みてぇな発言ばっかのロリジジイ……じゃねぇや、先輩もいねえしな」
顔を見合わせた二人は同じタイミングで吹き出し、そして大笑いへ発展する。
「あっはは! でもさ、あたし達はあそこで働きたくて痙攣起こすまで勉強したし頑張って来たんだよね……! 良い話があったから飛びつくなんてカッコ悪いよ」
「はんっ、バッカ! それはお前だけだ。推薦枠の俺はそんなに頑張ってないがな! ……ただ、入りてえと思った場所でまだ何も出来てねぇんだ。帰る場所はあそこだけだ。悪いな」
「……交渉の仕方を間違えたかな。……ふぅ、やっぱり私は事件に向き合うしか能が無いのかもしれない。残念だよ、では用意していた入社契約書もメモ紙にするか」
立ち上がった二人は大袈裟に狼狽するブレインに苦笑した。
頭の良い彼が本気を出せば簡単に言いくるめられていただろう。
それどころか、誰にでも存在する不安を炊きつけて炎に変え、そこに付け入る事だって出来たはずだ。
そんな方法を取らずに、真っ向からぶつかってくれたブレインはやはり良い人間だったと思わざるを得ない。
「ブレインさん、本当に……」
「お世話になりました、っと」
「暇な時にでもカフェへ行くような感覚で、ふらりと立ち寄って欲しい。いつでも歓迎するよ」
見送りながら転送をかけ、二人の部屋も送り返すとブレインは山積みになった書類とデータに目を通す。
本当の日常を、取り戻し始めていた。




