第六話 ここ掘れわんわん
夜空に浮かび屋根すらも見下している月は高い。
二人同時に現れたのは初夏の夜にしては冷たい風の吹く、建物の間だった。
道に落ちているゴミや、油の様な液体が至る所に染みを作っており、お世辞にも快適な場所だとは言い難い。
「すげえ、良い所に飛ばしてくれたな! 最高だよ、ここは高級住宅街か?」
足元に転がっていた空き缶を蹴り飛ばし、パンツのポケットに両手を入れてシェアトはさっさと広い道へ移動しようとするのを甲斐は力ずくで止める。
「待てい。ここどこかも分かんないし、とりあえず何したらいいのか確認しないと。犬なら犬らしくちゃんと主人の横にいんさい」
「やめろ! 犬じゃねぇよ! ……ったく」
犬歯と、甲斐に片思いをしてから彼女にべったりになった様子のせいで学生時代は友人達からは犬呼ばわりされていた。
意味合いとしては番犬や賢いといった意味からは遠い、駄犬としての意味しか持ってはいないのだが。
二人は揃えたように右目だけで二度瞬きをすると情報が次々に表示される。
目標と書かれた下にあるのは人のよさそうなこれといって特徴の無い男性だった。
五十三歳らしいが、良い年の取り方をしている。
ご丁寧に血液型や生年月日まで表示されているが、使う機会が分からない。
着ている服はシャツにネクタイ、そして白衣だった。
名を『ローレス・キャメリオ』、ギリシャ人らしい。
読み終わると、右上に顔写真が浮かび、視界が広くなる。
道に赤い矢印が表示された。
「はあー、なるほどねぇ。凄いね現代技術……現代魔法? でもこれってどうしてターゲットがそこにいるって分かるんだろ?」
「観測機関だろ。書類やらなんやら通して、そいつに対してアクセス権限貰ってんじゃね?」
興味など微塵も無さそうにシェアトがあくびをしながら答える。
「そっか……。この世界の全員を見てる人がいるんだっけ? 意味分かんなすぎてちょっと気持ち悪いね。あっ……こんな事言ってたら消される?」
「さあな、でもそのデータバンクみたいな奴には感情なんて無いんじゃねぇか? 二十四時間毎日寝ずにこの世界中の人間一人一人観測してるらしいぜ」
『観測者』と呼ばれる人物は、目の下のクマはそれはそれは酷いのだろうか。
「……それにしても、こうやって場所は特定出来んのに人出不足たあ、平和は遠いな。魔法警官じゃないと危険って事だろ?気を付けろよ。……はあ、ターゲットがオヤジじゃ何も面白くねぇや。さっさと片付けるぞ」
「シェアト、発言がギリギリだからね」
矢印を追う様に早足で進んで行くと、矢印が下に向いている。
甲斐が立ち止まって地下に通じる扉を探していると、シェアトは通り過ぎて行ってしまった。
「おい! 何やってんだ? 靴ひもならお前の靴には無いぜ? まさかトイレとか言わないよな……?」
「あたしが乙女だったら泣き出してるよ。……シェアトこそどこ行くの? 矢印ここの下でしょ?」
「はあ? 嘘言うなよ、俺のはまだ先だぜ?しかも右折してるん……だ。なんだよ……そういう事か……」
どうやらここからは別行動らしい。
珍しく不安そうな顔をする甲斐に、まだ燃え尽きぬ恋心のあるシェアトは咳払いをして背中を叩いてやる。
「俺がいなくて不安だろうけど、大丈夫か? なんかあったらすぐに……」
「シェアトの遺体をあたしが見つけたらどうして欲しい? ターゲットのローレスを連行してから戻って来て運ぼうか? その場合、流石に生きてる人間じゃないから多少分解してもいい? ……綺麗に体が残ってなかったら一部だけで勘弁してくれる?」
「死なねぇし! お前、アレか!? 俺の心配してくれてたのは百歩譲っていいけど、死体になってた時の運搬方法まで考えちゃってたのか! 分解していいかどうかなんて聞くまでもねぇだろ! ダメだよ!」
「ああそう……。いや、あたしとしても出来る事なら生きてて欲しいんだけどさ」
ならばどうして残念そうなのか、とシェアトが問う前に甲斐は拳を夜空に掲げた。
「んじゃ、ターゲット捕獲がんばろー」
「お前の方が心配だぜ……。ったく、そうだ。お前、案件よ~~~く見とけよ」
「案件……、ああそうだ。この人何の犯人なのか知らないままだったよ」
走って行くシェアトを見送ってから、まず地下への入り口を探してしまう事にした。
案件を読むのは地下を歩きながらでも遅くないはずだ。
歩道の無い道の真ん中で、レンガ造りの古びた家に時折視線を流して周囲を警戒しながら探索する。
少しずつ離れてみても矢印はとにかく下を向いており、どこから入ればいいのかまでは示してくれない。
元の世界であればマンホール位は海外だろうがあるはずだが、どこにもそれらしきものは見当たらなかった。
「(魔法があるって便利なんだか不便なんだか分かんないね……。ここがどこの国なのかも分かんないし。どっかに階段とか無いのかな……?)」
別れた相棒はもう地下に降りてしまっただろうか。
こんな事ならどうやって地下に入るのか聞いておけば良かったのかもしれない。
途方に暮れて無意味にうろついていると、遠くの方で爆発音のような盛大な音が響いた。
同時に足元がぐらつき、意図せずとも頭が左右に振れる。
「あっ、なるほどね! ここ掘れワンワン! ナイスシェアト!」
右腕全体と肩を強化して火焔を纏うと、甲斐の周りがまるで日中の様に照らされ始めた。
矢印の位置よりも下がり、手の平で照準を合わせる。
そのまま全ての指を曲げ、左手で右手首を固定して力を溜めていく。
術者本人は熱を感じないが鼓動よりも早く、そして脈打つごとに強く体を揺らす振動は感じている。
「そー……れっ!」
只の炎ではない。
掌から放たれた白い炎は一つの球体のようで、尾を引き渦巻く赤い炎は生き物の様に燃え上がった。
ちょうど矢印の先端の辺りに撃ち込まれ、続いて爆発。
凄まじい音と衝撃は甲斐の耳を痺らせ、視界を煙で奪った。
真夜中の爆発音に驚いた住人が窓を開ける音が聞こえる前に自身へステルスをかけ、自身を透明化しておいたのは正解だった。
そっと炎を仕舞い込み、まだくすぶっている炎を足で踏み消しながら道の損傷を確認する。
「……ビンゴ! やっぱただの道じゃなかった! これでどこまでもただの土とかアスファルトだったらどうしようかと思った……。よしよし」
覗き込んだ先に見つめ返したのは暗闇だった。
落ちていく破片は飲み込まれ、数秒経ってから地面に当たる音が聞こえた。
不敵に笑うと、ギリギリの位置まで歩き、両手を前後に降って勢いを付けるとそのまま飛び込んだ。




