第六十四話 始まりの日
あの人が戻って来たのはそれから一週間後だった。
その間に防衛長夫妻が殺害されたという衝撃的なニュースは世界中を駆け巡り、昼夜を問わず報道陣や関わりのあった人々の訪問があったり、電報がひっきりなしに届いていた。
葬儀に関する情報は一切入らないけれど、本人へいっているのだろうか。
野次馬根性を出して様子を見に来る心無い人も多く、警備会社に依頼してアポイントのあった人や電報の返信に追われていた。
防衛機関のトップが亡くなり、次期防衛長は誰かという予想番組まで放映されており、世界の動きを見逃さない為にどれだけ心が痛んでも、叫び出しそうな衝動があっても、テレビとラジオは欠かさずに流しておいた。
少しでも知識を入れておかねば、置いて行かれては当事者であるあの人の支えになれない。
荒れ果てたリビングもいつあの人が戻って来てもいいように綺麗に片付けておいたし、床や壁の清掃に修復など、やる事は無限にあった。
こんな時、魔法が使えたらきっととても便利なのだろう。
お手伝い天使も逃げ出してしまったこの家で、一人、自分の力だけでやり遂げるしかない。
生憎所持金は無かったので、失礼だとは分かっていても残された食料を探し、細々と食べ、あとは水を飲んで凌いだ。
もっとも空腹感など感じる余裕も無く、眩暈を起こしてから丸一日何も口にしていない事を思い出したりしていた。
幸いにもこのナヴァロ家には裁縫用の布や、電報用の紙など有り余る量が用意されていたのでリビングの焼け焦げたソファのカバーを作り上げる事も出来た。
あの人の帰りを待ちながら、もしかするともうこの家には戻って来ないのではないかという不安が無かった訳では無い。
連絡の取れない今、信じられるのは彼のあの言葉だけだった。
換気の為に窓を開けられるのは朝方、ほんの数分だけだった。
一度深夜に開けてみた所、映像記録魔法を掛けられたテントウムシが入り込み、部屋中を飛び回った。
その駆除に追われて家中を走り回り、捕まえた頃には喉から血の味を感じ、筋肉痛に悩まされた。
× × × × ×
「お帰りなさい!」
それは反世界的勢力として今回の犯人達が確保された映像が流れた昼過ぎの事だった。
世界を震撼させた今回の事件は大きく取り上げられ、彼らの罪は重いだろうと見解を述べる評論家の声は耳に届かなかった。
「言いつけを守ったか。……よくあの状態だった部屋をここまで片付けたな」
「はい~! 頑張りました!」
まるで仕事から戻ったように、普通の調子で話す彼はリビングを見回した。
両親を殺され、それを発見してから時は短い。
ソファに腰を下ろしたが、すぐに違和感に気付いて立ち上がった。
「……枠が出ているぞ。座ってみたか? よくこんな物をまだ使おうと思ったな」
座面は焼け焦げ、骨組みが露出している部分もあったが、これをどこかへ移動させようにも私には重過ぎた。
クッションは裂け、中の羽根が床に散らばっていたが新しいクッションを作り直すには中に入れる物が無かった。
なのでカバーを自作してかけておいたがお気に召さなかったようだ。
「……なんだ、今度は声が出ないか? 主人の帰りが嬉しすぎたか?」
「……は、はい! とっても嬉しくて……待っていて、良かったです」
「……お前は言葉の意味を理解する力が足りないようだな。それとも分かった上で答えているのか?」
「えっ?」
「今日、役所へ寄って正式に入籍を済ませて来た。異論はあるまい。不足している物があれば後から通知が来るだろう、手続きをしておけ」
それだけ言うとテレビに目をやり、彼は鼻を鳴らした。
「何も驚くような話じゃない。世界的機関に勤めているというだけでもああいった奴らの格好の的だ。そのトップが狙われるのは当然だ。油断が生んだ結果だな」
「……ナヴァロ様……」
「なんだ、お前は人の親が死んで嬉しいのか? 随分と楽しそうだな」
「いやですわ、そんな意地悪を言って! ……私の役目はあなたのお傍で笑っている事、ですもの~」
ちょうどワイドショーがナヴァロ家の生き残った息子が入籍した、という速報が流れていた。
私が家にいるようになってから、一体彼女は何者なのかという憶測が飛び交っていたがどうやら家を片付けているようだという情報が流れると泊まり込みの使用人という結論に達していた。
いつ撮影されたのか、カーテンの隙間から楽しそうな顔をして床を磨く私の姿が放映されていた。
化粧位しておけば良かった、髪の毛も荒れたままでこれが世界に流れていると思うと顔から火が出てしまいそうだった。
「気に食わんな」
顔をしかめて舌打ちをした後、音声通信を始めた。
洗っておいたティーセットを使ってお茶を沸かすと彼の声が聞こえてきた。
「私だ、取り急ぎ就任会見を開け。妻も一緒だ。それと今やっている不愉快なニュースを止めろ。すぐにだ。私の妻が使用人だと?面白い冗談だ。取材班を突き止めろ、二度と通信業界に入れんようにしろ」
テレビを消してキッチンに足音荒くやって来た彼に気付き、湯を沸かしながらお茶の葉をティーポットへ入れていた手を止める。
何を言う間も与えず、後ろから抱きしめられた。
荒くスカートの中へ滑り込んできた手に、首筋に噛みつかれた甘い痛みに支配される。
「抵抗などする権利はお前には無い。……何があっても笑っているんだろ? 誓え、その命尽きるまでその府抜けた顔を曇らせぬと」
ケトルが沸騰した湯によって蓋を荒ぶらせている。
両手をキッチンカウンターに付いて、されるがまま。
貴方が望むなら、なんだって。
きっと、その為に生まれてきたの。




