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第五十九話 ティティの恋物語

「誰か私を呼んだ~? ……あらあら、二人共どうしたの~。もう帰るの?」


 どこにいたのか、甲斐とビスタニアの背後にあるドアからティティがようやくひょっこり顔を出した。

 立ち尽くす三人を見ても特に動じず、手には甲斐の持って来た焼き菓子を可愛らしくラッピングした袋を持っている。


「お見送り、するわね~。ちょっと待ってて。あなた、これね……」


 とても嬉しそうに甲斐から貰った菓子を、サクリダイスへ差し出した事が間違いだったのだ。

 半透明の袋が叩き付けられ、床に落ちた。

 

 だがそれを拾うティティには悲しみも、怒りも動揺すら見られない。

 彼女を見もせずにサクリダイスは甲斐とナバロの間を通って出て行ってしまう。

 庭のアプローチを振り返る事もせず、足早に通って行く背中が窓から見えた。 


「良かった~、潰れてないわ。これ、また今度出してみるわね~」


 そっと両手で包むようにして拾い上げたティティは顔をほこらばせる。

 母がこうして虐げられる場面を今まで何度も、日常的に見て来たはずなのに。



 今、初めてビスタニアの心が軋んだ。



 壊れていたのは、自分と父だったのだ。

 そうはっきりと感じる。


 味方のいないこの家で、母は一体どんな気持ちで過ごしてきたのだろう。

 向いている先が全て違うベクトルの中で、ティティ一人が二人だけを見ていた。


 こうして連絡も無く帰宅する父に合わせ、いつだって手作りの食事を用意していた。

 食べられる方が少ない食事は溜まっていくが決して無駄にはせずに、時間をかけて自身で食べていたのも知っている。

 

 一度だって母は手を抜かなかった。

 同じメニューを連続して出したことはない。


 自分は、良い息子だと思っていた。

 決して余計な話をせずに、義務的な挨拶をして、問いかけられた事にだけ答え、学校であったことというよりも母に伝えねばならぬ連絡だけをしていた。

 それは本当に『良い息子』だろうか。

 それは『家族』だろうか。



 血の繋がりに甘んじただけの『同居人』へ成り下がっていたのではないだろうか。



 防衛長の妻という立場上、パーティや式典参加は必須だ。

 不愛想なサクリダイスの看板役として、にこにこと愛想よく笑う彼女は少しでも取り入ろうとする蠅のような人物をあしらい、その立場をやっかみ、引きずり下ろしたくて仕方がない旦那の妻たちの嫌味や嫌がらせを見事にかわしていた。


 そういった社交の場に出る日以外は、家から出ずに必要な物は全て取り寄せている。

 この家によく馴染み、まるで家の一部のように生きてきたように思う。


 ティティに、心休まる時はあっただろうか。

 今まで見向きもしなかった母という存在。

 その内面へ踏み入ろうともせず、踏み入らせずにいた。

 そんな無関心だった冷酷な自分が酷く恐ろしく思えた。










「……心の……心の相談所……DV被害者相談室……モラハラ……」


 ぶつぶつと険しい顔で言い出した甲斐にティティは優しく笑いかけた。

 まだ時間があるなら夕食でも、そんな誘いに甲斐は二つ返事で答えた。

 キッチンに立つティティに何か手伝う事は無いかと甲斐は付いて行ったが、せっかくのお客様なのだから座っているようにと追い出され、切なそうに戻って来た。


「……ナバロ、亭主関白はあたしには許されないから……」

「なるつもりもないから安心しろ……。 もしそんな事をしたらとその後を想像するのも震えが起きる」

 

 空腹を誘う匂いがして来た。

 リビングとは別に応接室があり、生きてきた中で最上級のこの家にある部屋全てを見てみたい欲望に駆られながらも、甲斐は我慢して大人しく座っていた。

 お手伝い天使がいる家は彼らに家事全般を任せる事が多いのだが、ティティは自分の手でこなす事も多い。


「盛り付けはエンジェルちゃん達の方が上手だから、お任せしちゃうわ~。さあ、夕飯にしましょ。……ふふっ、誰かと食べるごはんって久しぶりでドキドキしちゃう」


 テーブルにはカルパッチョや、ポータジュスープ、焼きたてのバゲットや、宝石のような色の透き通ったジャム。

 そしてメインのビーフソテーとビーンズタルトが並べられた。

 徐々に運ばれてくる形式よりもこの方が色々食べやすいでしょう、とティティが言うが甲斐はそれどころではなさそうだ。

 ずらりと両端に並んだ少しずつ形と大きさ、長さの違うナイフとフォーク、そして皿の奥にはまたカトラリーが並んでいる。


 『テーブルマナー』という字がおどろおどろしい字体となり、甲斐の頭を占めた。


「……母さん、こんなにナイフもフォークも要らないよ。堅苦しいのはやめませんか」

「あら! ごめんなさい、そうよね。いきなり異国の文化丸出しの状態で召し上がれなんて戸惑うわよね! でも本当にただ、大切な人だからおもてなしのつもりだったのよ~! 勘違いしないでほしいの~!」

「あ、いやっいえ! 本当に頭の方のデータ不足ですみません……!」

「自由に食べてね~。私、二人のなれそめが気になるわぁ。聞いてもい~い?」


 自分の母親がこんなにも誰かと楽しそうに話すのを初めて見た。

 今まで見せてきた笑顔よりも、とても良い表情で甲斐に話しかける声は弾んでいる。


「なれそめかあ……あたしが学校で迷子になってる時に会ったのがナバロで……」


 確かに嘘ではない。

 話してもいいのかと伺う様な視線に応え、その先を引き継ぐ。


「……組も違うのに執拗に俺に話しかけて来たのがカイです。あの頃は新しい嫌がらせを実行しているのかと思ってたが……」

「そうなのねぇ~……。フェダインの事、全然分からないけどカイちゃんがいてくれて良かったわぁ……」


 その言葉に、胸が痛んだ。

 分からなくて当然だ。

 話そうともしなかったのだから。


「あの! あたし、ご両親のなれそめが聞きたいです。 かなり」


 前のめりになりながら訴える甲斐にティティは頬を染めた。

 意外な反応に驚いたが、確かに聞いた事が無い。

 勝手に家同士の政略結婚か、跡継ぎを作る為だけの見合いをしたのだと思っていたが違うのだろうか。


 父方の祖父母はどちらもビスタニアが生まれる前に亡くなったらしい。

 サクリダイスは流石というのか、代々守り続けていた家をあっさり取り壊し、同じ土地に今のこの家を建てた。

 この点からしてもやはり親子仲というのは良好ではなかったのかもしれない。


 母方の祖父母は健在らしい。

 これまで一切の面識が無いが、一つだけ印象的な記憶がある。


 朝方まで勉強をしていると書斎の扉が少しだけ開いており、中でティティが座ったまま眠っていた。

 毛布を掛けてやろうと入ると、ティティにとっての両親へ向けられた書きかけの手紙が置いてあるのを見てしまった事があった。

 どこか悪い事をしてしまったような気になり、結局毛布も掛けずにそのまま部屋を出たのをティティは知らないだろう。



「……ほんとに、話してもいいのかしら。私、話すの上手じゃないけど……。もう、何年前なのかしらねぇ~……」



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