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第五十三話 ビスタニアの母・ティティ


「でっ……か……! え? これ? マジで? 掃除で一日が終わりそうだ……」


 すぐ近くにウィンダムの家もあるのだが、それは帰りにでも紹介しようとビスタニアはセキュリティをクリアして門を開いた。

 そびえ立つような家に甲斐は口を開けて見上げたまま動かないので手を引いて中へ入れる。



「こんな所にしか金を使う場所が無かったのかもしれないな。忙しい人だ……楽しみも少ないだろうし」



 騒がしいのを嫌うサクリダイスは、用事がある時以外は使用人を使わない。

 基本的に家の中の事は代々契約を交わしているお手伝い天使に任せている。


 ふと、そんな家で母は日々、何をしているのだろうと思った。


「身分不相応よこの下等民族! オーホッホッホ! とか言われたらこりゃ愛想笑いして出て行くしかないわ……。へへっ、さいでっか! あっしの来世にご期待を! とか言って窓から出てくわ……」

「俺の母に対するイメージが悪すぎる。……でもその代わりに、あまり良い期待をしなでくれよ」


 一人で実家に帰るとあんなにも長く感じたこのアプローチも、二人並んで歩くとそれほど距離があるように感じない。

 広がる芝生や、魔法映像機器を取り入れたどこかの世界で幸せそうに暮らす妖精たちを見て感動の声を上げる甲斐には思わず笑顔になってしまう。


 気にした事など無かったが、この庭は確かによく手入れされていて、名前の分からない花が咲き誇っていた。

 遠くに見える花は強い色、このアプローチに近い花は淡い色とグラデーションになっている。

 そんな変化にもたった今気が付いた。


「凄いね! 妖精見た!? ほんとに女の子だった!」


 見逃してしまっていた。

 もしかすると、心が澄んだ人間にしか見えないのかもしれない。


「……いや……。これだけ庭を褒められたんだ、お礼でも言いに姿を見せたのかもしれないな」

「あれ、あそこにあるテーブルとか……もしかしてお茶用!?」

「……本当だな、いつからあったのかも分からないな……」


 パラソルも立てられ、使われる事を待っているテラス席はそこだけ床がレンガで丸くスペースを作られていた。

 フェダインに入る前、門から玄関までの直線的な道は毎日通学で使っていたが参考書を見ていたり、本を読んでいたり、両手が空いていても考え事をしていたりと顔を上げたことは少なかった。

 雨の日も傘をさして手が塞がってしまうので、じっと上から降り注ぐ雨粒に耐えて下を向いていたような気がする。



 見ようとしなかったのかもしれない。

 気が付いてしまうと、ほら、こうしてどこかが痛み出すだろう。



 あの椅子も、テーブルも誰が何のために、どんな気持ちで選んだのだろう。

 母だけが使う為のものではないのは、椅子が二脚ある事から読み取れる。



 玄関ポーチに立って、束の間の日陰に火照る体を休める。

 甲斐に笑顔を向け、大きなドアを引いた。


「お帰りなさ~い、ビー君。あらあら、可愛いお連れ様ね。いらっしゃい、ようこそ」

「……母さん……! た、だいま……戻りました……」


 何故か目の前に母、ティティ・ナヴァロが立っていた。

 ビスタニアは今までの余裕はどこへやら、目を白黒させている。

 その隙に甲斐はビスタニアより少し前へ出て、大きく息を吸い込んだ。



「初めまして! カイ・トウドウです! 宜しくお願いします! 突然お邪魔してすみません! こちら! 手土産です! どぞ!」



 甲斐の低い声は家中に響き渡った気がした。

 はきはきと名乗り、びしっと直角に頭を下げ、機械の様な速度で身を起こすと手に持っていた紙袋を突き出した。


「まあ嬉しい! 中身は何かしら、楽しみだわあ! 気が利くのね、でも悪いわ~。そうだ、みんなでお茶にしましょ。そうしましょう」


 ティティの夕焼けのような色の髪は、肩に決してつかない長さで全て綺麗に内側へと巻かれている。

 金色の目はにこにこといつも楽しそうに細められている。

 白い丸襟のシャツはパフスリーブになっていて、膝の隠れる青いスカートはスリットが左右両側にあり、そこから白いフリルが見えた。


 手土産を大事そうに受け取り、浮かれた足取りでリビングへと消えた母を二人は見ていた。

 ビスタニアが上がろうとしないので、甲斐も勝手に入り込む訳にもいかないのだが。


「そこはリビングじゃないのよ~? 早くこちらへいらっしゃいな」

「は、はいただいま! ……行こう」

「あ、そっか靴のままでいいんだもんね! うひー、新しいの履いて来て良かったー!」









 リビングだけで、甲斐の家が丸ごと入ってしまいそうな空間だった。

 天井は高く大きなシャンデリアが揺れ、差し込んだ光を黒い壁へ照らし返して模様を描いている。

 大きな窓からは夏の白い日差しが差し込んで、少しだけ開けられている隙間からは外の匂いが入り込んでいた。


 大きなソファとガラスのローテーブルが置かれており、その奥にあるダイニングテーブルとチェアもまた立派な物だった。

 小物一つ見ても気絶する値段がしそうで甲斐はとにかくぶつからないようにと気を付けて歩いている。


「どうぞ座ってちょうだい。やだわビー君、どっちでもいいから彼女を休ませてあげなさい」


 理想の奥様像としてよく使われるであろう、フリルの白いエプロンをしてひょっこりと顔を出したティティは、頬を膨らませて息子を叱った。

 とても社会人の息子を持っている様には思えない容姿と声の可愛らしさに甲斐は思わず見とれてしまう。


「あんなに楽しそうな母さんを見るのは初めてでな……。本当なんだ、本当に……その疑いの目を止めろ……!」

「なんかそういうお世辞的なやつ、たまにあるじゃーん。……そして一個いい? めっちゃ普通にしてるけどビー君って……! 呼ばれ方可愛す……うおお働けあたしの自制心!」



 下から上に徐々に赤くなったビスタニアは最終的に涙目になってしまった。



 色とりどりのカップケーキを持ってやって来たティティは下を向いて微かに震えている息子と、笑い出さないようにと自分の太ももをかなりの力で殴りつけるその恋人を目にする事になる。

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