第五十話 だから最初に言ったのに
「お帰り……先に手当をした方がいいね。治癒室へ行っておいで。場所は分かるね?」
事件が終焉を迎えてから時間が随分経った今、足を引きずるシェアトと気持程度に腰の辺りに手を添えている甲斐が戻って来た。
シェアトは甲斐におぶられる気になれなかったらしいが、肩を貸そうにも身長の差があるのでうまくいかないようだ。
甲斐の攻撃を受け止めた右手は砕かれているので壁にもたれながら歩き、ようやくブレインの元へ帰って来たが残念なことに治癒室は下のフロアだ。
「マジかよ……。めんどくせえ……」
「治療は早い内に限る。転送を掛けてあげるから、終わったら戻っておいで。痛むだろう」
「や、……そんなに、痛かねぇけど」
甲斐へ気を遣ってぷらぷらと手を振ってみせるが、彼の額には脂汗が滲んでいる。
強がるシェアトをさっさと転送したブレインはここに戻って来てから一言も話さずにソファに座った甲斐の向かいに座った。
「……あたし、シェアトに結構マジな怪我させちゃった……」
「そうだね、見ていたよ。でも彼は気にしてない、そうだろう? その優しさに甘えてもいいと思うよ」
「だよねー!」
無理をした笑顔を見せたが、すぐに甲斐は口を尖らせた。
「でもさでもさ、あんなバッキバキに手がなっちゃう位の力で無抵抗の女性を殴ろうと思ったあたしってどっかおかしいのかな……」
「確かにカイちゃんはまともじゃないね……うん。でも、やっぱり場慣れしていないと感情はああやって動いてしまう訳だ。いい経験になったね」
場慣れすると感情は何処へ行ってしまうのだろう。
観光地で感動する景色も、そこで暮らしてしまえば何も思わなくなってしまうようなものだろうか。
「あそこまで、殉職した事に怒ってもらえたドッペル君は幸せだったと思うよ。その意味でも、この事件を君達に任せて良かった」
綺麗にまとめ上げるブレインに違和感を感じた甲斐は首を傾げた。
「ブレインさん……なんていうか……それだけなの?あたし達と違って沢山の修羅場とか事件とか潜り抜けて来てるんだろうしさあ、でも……やっぱりそんなもの?」
「……カイちゃん、私は上に立っている上で決めている事がある。それは私の指標でもあり、絶対だ。『何があっても動じない事』……人生には悲しい事の方が多いように思う。裏切りや誰かを失う事。決して埋め合わせのきかない事が必ず起きるだろう。それに揺らぐようでは上には立てないんだ」
上に立っている人の指針は何か。
考えたことはなかった。
指示もアドバイスも、誰もくれないだろう。
自分の考え一つで人が動き、もしかすると命を落としてしまうかもしれない。
現場に出ていない分、常に最良の選択と人の配置を考えているブレイン。
ドッペルも彼の部下なのだ。
悲しくない訳が、ないのに。
「でも、あたしは誰かが死んだら思いっきり泣いて遺体が壊れるぐらい心臓マッサージとかしちゃうような上司って好感持てるけどなあ。そんな人に、あたしはなりたい」
「駄目だよ、絶対。……じゃあ仮に、私がドッペルが亡くなった事を嘆き悲しんで仕事に来なくなってもいいのかい? これを踏まえた政策として、銃を構えた瞬間に相手よりも先に攻撃をする魔法を配布してもいいのかい? 感情に左右される、というのは危ない事だよ。私は全世界の民間警察に所属する警官の命も預かっているが、警官の管轄である市民の命も同じように考えているよ」
それでも、正解は分からないが甲斐は納得がいかないといった顔をした。
今まで感じた事が無かった違和感。
人の気持ちがこんなにも分からないというのは、気味の悪い物なのだろうか。
「でも、あたしは……あーもう。ブレインさん頭良すぎて口が上手いからいいけど、あたしは上手く言えない。でもね、もしあたしがドッペルみたいに死んじゃって……ブレインさんの反応を見にここまで霊になって来たらって考えたら……ちょっと傷つくよ」
「……年を取ると、感情を隠すのが上手くなるのかもしれないね。人目があると、泣くのも笑うのも大変になってくるんだ。分かって欲しい。……あとは、私は幾つもの最悪なパターンを想定して仕事にあたっている」
「……あたしとシェアト、どっちもデッドエンドと……どっちかがデッドエンド……?」
「そうそう、その通り。ああ、あとどちらも生き残って来る……とかね。これは冗談だから笑って笑って。その最悪なパターンの全てに救済措置を考えてある、だから今回の事も想定済みだった……。こんな言い方になってしまうが、そういう事だ」
手当てを終えたシェアトが口を挟む。
「……あのガイドちゃんの思考回路とかデータ入力してんの、ブレインさんだろ。……チッ、良い性格してやがる。最初に『ドッペルは足手まといになるから退避させろ』っつーのは、こういう事だったのかよ…」
肯定とも否定ともとれる笑顔を残してブレインは席を譲った。
命令されたなら、指示を出してくれたなら。
そんな責任転嫁が頭を駆け巡る。
「……結果的に俺達が判断をミスったって訳か。あんたは頭が良い。分かっていたのに何でそれを先に言わなかった! 人が一人死んだんだぞ!」
怒鳴るだけでは気が済まず、拳をガラステーブルに叩き付けた。
突然の大きな音に驚いて甲斐が座ったまま跳ねた。
「私が指示を出して全てを見守る、そんな仕事では現場にいる君達に降りかかる咄嗟の出来事に対応できないときが来るだろう。私は君達のお目付け役になった覚えも、保護者だった記憶も無い。責任を全て私に押し付けるなら受け入れよう。自分で何も悔いず、感じず、跳ね返すのはとても楽だろう。所詮それまでの人間だったという事だ」
普段と変わらぬ口調で仕事を言い渡す時の様に言葉を紡ぐブレインは決して怒ってはいなかった。
現状を受け止め、返事も待っていない。
何も期待していない、そんな見通せぬ彼の内側はシェアトを黙らせるのには十分だった。
「……自分を信じる力は絶対に必要なんだよ。ただ、どこでどの情報を信じるか……選択できるかも力だ」
ふと、シェアトは思い出した。
ブレインは決して咎めなかったが、彼の決めた一人ずつの仕事の配置に対して文句を言ってしまった事を。
ブレインを信じていたならば、不満など抱かなかったはずだ。
彼は彼なりの考えで、指示を出しているというのに。
何も言わずにシェアトは立ち上がり、ひび割れた部分で切れてしまったのか血痕を点々と落としながら荒々しく部屋へ戻ってしまった。
甲斐は彼を目で追いかけ、次にブレインをちらりと見た。
「……せっかく治ったのに、手。ブレインさん、あたしどうしてたらいいかな。部屋に戻るべき? それともここで一人しりとりしてるべき?」
「話したい相手と話したらいい。沈黙が嫌ならね」




