第四話 民間警察へ
「しっつれーしまーす! ぎゃばばばばばばばっ!?」
軽やかに二回、ノックをすると同時に甲斐が開いたのは上官であるダイナが常駐する指令室のドアだった。
だが一瞬で甲斐の視界には真っ白になり、その中で光が幾つも炸裂した。
入隊試験の面接官も務めたダイナは甲斐の無礼な態度に怒り、一度は不合格の通知を学校へ送りつけた者だ。
なんとか校長がダイナの上官達と直談判を行い、甲斐を合格へと導いてくれたのだが入隊後も目を付けられているのに変わりは無かった。
「入る前にノックをしろ。ここが便所だと思ったか? ん? ノックは四回だと何度言えば分かるんだこの鳥頭が……!」
大きな机の前に座っていたダイナは狐のような目をしていた。
鳥の巣の様な癖毛を乗せただけの頭に、貫禄ある彼に良く似合っている多くの勲章が付いた緑基調の軍服は威圧感を増幅させている。
「うひえー……いきなりこれだよ……。えほっ、ダイナ中尉、お話があります!」
「そうか、戻れ」
静寂が、一瞬室内を包む。
シェアトはもう、動けそうにない。
「あの、あたしとシェアトにそろそろ何かしらのお仕事を頂けないかなーなんて思いまして」
普通にまた話し出した甲斐にシェアトはぎょっとしていたが、ダイナは想定内だったようだ。
「上官の言葉が聞こえんか? も・ど・れ。そう言っている」
「チクりに来た訳じゃないんですけどー、なんかー、先輩からー、ただ飯食らいとかー、言われちゃってー。イラっとしたんですけどー、実際その通りだしーぃ」
「あ、あの……お忙しい中恐れ入ります! シェアト・セラフィムです! トウドウの言う通りです。良ければ何か、自分達でも出来るような仕事を頂けないでしょうか!」
一度唇が震えたのは甲斐の態度への苛立ちか、それとも命令を聞き流すことに対する怒りなのか。
背もたれを軋ませて視線を二人の足元の辺りに泳がせる。
甲斐が余計な事を言わないかと強張った顔をしているシェアトは気が気でなさそうだ。
「仕事、か。お前達にはもう給料も振り込まれているはずだ。という事は、だ。トレーニングを重ね、基礎値を上げるのも仕事のはずだ。それを放棄すると? まだ幼く、実戦だって未経験、力も今いるどの者よりも劣る。……金を貰っておきながら何の役にも立たずに死にたがる新人にはどうしたらいいだろうな」
「じゃあ誰か先輩とタイマンして勝てばいいんですかねっ?」
シェアトはもう、死んでしまいそうだった。
だが、死にたいわけではない。
なのでこれ以上甲斐が余計な事を口走る前に、助け舟を出すしかないのだ。
「もー! フェダインから就職先の感想アンケートとか届いたら『新人教育がおざなり』だって書いてやる!」
「恐れ入ります! ダイナ中尉! もしですが、我々未熟者でも務まりそうな業務があればご紹介頂きたいです! 俺……わ、私としてもこのままでは先輩たちと同じ食事摂るのも心苦しいのであります! この部隊に入った時から、この命、とうに捧げるつもりです!」
地団駄を踏む甲斐のせいでダイナのこめかみの辺りに青筋が立ったのをシェアトは見逃さなかった。
少しでも事態を好転させようと、とにかく意見を述べてみたがダイナは聞き入れてくれるだろうか。
暫く思案すると机の引き出しを開け、数枚の書類を取り出した。
まさかこの状態で自分の事務仕事に移ってしまったのかと思ったが、一度指で机を叩くと二人の胸の高さに二枚ずつ紙が飛んで来た。
手に取って文に目を通していると次に万年筆が先を向け、二人の眉間に突き刺さるように飛んで来た。
ほんの数ミリでも動いていたならば間違いなく愉快な声を上げていただろう。
「民間警察から魔法使用者が不足していると通知が来ていた。特殊部隊からの助っ人など、地面に何度も頭をぶつけて拝み倒されるだろうな。 白アリ駆除に家ごと爆破するようなものだ」
突然のことにシェアトは固まり、甲斐はよくわかっていないようだ。
「どうした、ペンの持ち方を忘れたか?」
「民間警察? ……えっ、あたし警察になんの!?」
「戻って来る気が無いならそれでこちらは構わんぞ。出向、という形になるだけだ。残念だよ。民警の扱う事件など、張り合いの無い物ばかりでこちらの人員を減らすような事はしたくなかったが……。お前らなら惜しくない。せいぜい町の地図をよく覚えて頑張るんだな。力を上げる事など期待はしていない。汚名だけは貰って来るな」
契約書を読むのも面倒なのでシェアトはさっさと名前を書いていた。
本当に売り飛ばされる訳では無いのか確認したかったが、これ以上ダイナを苛立たせてはいけないので手の平を下敷きにして薄くペンを走らせる。
「我々部隊と違うのは一点だけだ。ターゲットがどんな者でも……人質を取っていたとしても命を奪えないという枷が付く。とにかく命令を理解し、ターゲットを見つける」
へえ、だかほう、だかと頷く甲斐とその横でシェアトは背筋を正している。
「まあ、それだけだ。民間警察は世界各国、どの市町村にも配備されているがその中でも重要性、そして危険性の高い者を扱う本社勤務をして貰う。こちらで戻って来いと言うまで居ていいぞ。部屋ごと転送をかけておく」
「へー、本社の警察とかお堅そう……。でも大活躍して来ますね! 任せて任せてー! んで、あたし達はいつから行けばいいんでしょうか?」
「……今からだ」
「……今。 いま……?」
足元に魔方陣が現れていたのに気が付かなかった。
スポット、と呼ばれる場所と場所を繋ぎ人を転送させる便利な魔法だが、誰が何処へ行くのかなどの許可申請や細かい規制や制限がある為、扱えるのは限られた者だけだ。
「マジかー。……やってくれるね……!」
一瞬胃の浮くような感覚を感じた。
カラフルな言葉に表しにくい図形の飛び交う中を抜けて行く。
ようやく落ち着いた頃に霞む目を大きく開くと、乾いた笑いが出た。
半袖短パン、そしてビーチサンダルといったどうしようもない恰好のまま場違いとしか言えない程に立派なオフィスビルのロビーに立っていた。
「これが民警本社か……。ここで婦警さんとどうにかなっても俺はここの警官でもねぇし、社内恋愛にはなんねぇんだよな!?」
「性犯罪者と一緒に仕事をする気は無いよ……? 働く前にしなきゃいけない事あったんじゃない? ……治療とか」
「よく来てくれました、私はブレイン……ブレイン・イレブンだ。語呂が良いでしょう? 語感も良い! そして私は頭が良い! ……特殊部隊の精鋭様が民間警察に来て下さるとは……!」
突然素敵な笑顔の男性に話しかけられ、二人は顔を見合わせた。
背の高いシェアトと頭の高さが同じで、体格に恵まれている。
ブレインと名乗るその男は、眼鏡越しにも分かるほど寝不足なのか目の充血が酷い。
ロマンスグレーの髪の毛を七対三に分けて黒縁の眼鏡をかけているが、その顔には皺一つ無かった。
声を聞いた印象からしても、三十代前半のように見える。
「……あれ? おかしいな、 若者の心を掴むには最初はフランクに軽いジョークも交えた方がいいと統計的に出ていたんだけど……」
突然の事に付いて行けずにぽかんと二人はブレインを見た後、再び顔を見合わせた。
大きな独り言にシェアトは一度肩をすくめ、自己紹介を始める。
まだ六月だというのに冷房が入っており、薄着の甲斐には薄ら寒かった。




