第四十二話 見守っているから
「カイちゃんは、ミューと初めましてだね。ミューはカイちゃんが来た時から知ってるよ。知ってたよ。色んな人と話してたね。いっぱい、笑ってたね」
手を後ろで結び、ゆらゆらと体を横に動かしながらミューは口元だけで笑顔を作る。
「そうだね、友達沢山出来たわ。あれ、会話内容とかも覚えてたりする? あたしの独り言までインプットされた?」
「ううん、ミューは声までは聞いてないよ。ミューが見てるのは誰が何処で何をしてるか。だからこの世界の中じゃ逃げられないんだよ」
「ねえ、クロスちゃん。あのさ、この子がいるなら犯罪も起きたらすぐ民警なりなんなり派遣しちゃえば捕まえられるんじゃないの?どこにいるかだって分かってるんだし」
「……ミューさんは、何が悪い事で何が良い事なのか判断できないんです。だから、データバンクと言われているんですよ。……ちゃんと環境があればミューさんだって分かると思いますが」
ミューにとってはこの世界で起きている事全てがただの映像でしかない。
誰かが誰かを殺しても、隠れて何を企てようとも。
誰が何処にいるかだけを常に正確に把握している、それだけだ。
分からないほうが、いいのかもしれない。
常人では不可能な把握も彼女一人が一手に引き受け、代々観測者がその命が尽きる度に入れ替わっていく。
一人の犠牲でこの世界の平和を保つシステムは甲斐には理解できなかった。
「……トモダチ。トモダチってどうしたら出来るの? なれる? ……ミュー、分からない? トモダチ……?」
自身を抱きしめるように腕に爪を立てて震えるミューの様子に再びクロスがなだめに入る。
どうやら『分からない』という事に過剰なストレスを感じるらしい。
「クロスちゃんはミューちゃんの友達じゃないんだ。ミューちゃんが上司になるから、まあ違うか。……あたしとお友達始めない?」
「け、汚らわしい! なんて事を言うんですか! 最低だ!」
「友達発言のどの辺が汚らわしい!? 最低なのは年上にガンガン暴言吐くクロスちゃんじゃない!?」
そっと甲斐の手を握り、子犬のような表情で見上げるミューにクロスは風船から空気が抜けるような音を出した。
「トモダチ、トモダチ? カイちゃん、あったかい。変なの」
「よしよし、一緒にベッドに入ろうね」
甲斐の悪ふざけをクロスは許さなかった。
思い切り甲斐の腕を後ろにひねり上げる。
「痛い! なんか今日のクロスちゃん凶暴! 誰か鎮静剤!」
「ミューさんの前でおかしな発言ばかりしないで下さい! 僕の一存で永久的にここに出入り禁止にも出来るんですからね! これだからレベルの低い人間と話すのは嫌なんだ!」
「失礼すぎる! 大体あたしの経験値からして、ゲームのモンスターなら最終進化とかまでいけるよ!」
「なんでモンスター側なんですか! それはそれで自分をよく分かってらっしゃいますね!」
空いている手でクロスの腕を掴んで笑うミューを見たクロスは毒気を抜かれたのか咳払いをする。
手に持っていた書類を片手で無理をして開け出したのを見ると、ここに来た用事を思い出したようだ。
「……ミューさん、お仕事なんですがお願いできますか?少々急ぎの案件のようでして……審議されていないのですが……」
「ミューちゃん、お願いっ」
書類が自然にミューの目の前に広がり、読みやすいように斜めに浮いた。
「いーよー。ミューね、お仕事好きだよ。誰かを探すの、楽しいもん」
一点を見つめ、黙ったミューは目の奥が光りはじめた。
大きな赤い瞳の中では、無数の光が飛び交っている。
「……検索を開始します。第一目標捕捉。位置確認。最新データを解析中。完了。送信先はクロス・セラフィム。デスクに送付します。第二目標捕捉。位置確認。最新データを解析中。完了」
彼女の周囲には、目視できるほどの魔力の流れが渦巻いていた。
この膨大な魔力を内に秘めているというのか。
だからこそ、観測者として成り立つのだろう。
「……ミューちゃん、どうなってんの……?今までのが演技?」
「……魔法機器で行うには複雑すぎる組み方も、人間の脳を使用して組み込ませてるんです。魔力も元々の素質を限界まで高めてそれを利用しているんですよ……。いくらハイテクと言っても機械では把握しきれない事も多いですから……。だから、ミューさんは半分機械のような……いえ、それ以上ですね……」
目を見開いたまますべての処理を完了させると、ミューはゆっくりと目を閉じた。
こうして一人、星空に囲まれて日々を過ごす彼女は一体何を想い、生きているのだろう。
今までの観測者達は最期に何を想ったのか。
「……ミューちゃん、いくつなの?まだ小さいんじゃない?」
「……ミューさんは今年で十五歳です。ちなみに平均的な観測者の寿命は二十代後半です」
「そー。ミュー十五歳なんだよ。もう少しで、このお仕事も、終わるの。さよならなの」
友と笑い合う事も、明日の予定を楽しみに眠る事も無い。
その代わりに人に裏切られる苦痛も、不安に駆られ眠れぬ夜を過ごす事も無い。
果たしてそれは『幸せ』だろうか。
「さよなら、なんて言わないで下さい……。僕も出来る限りの事をしますから」
「ミューを見るとみんな、そんな顔をするの。でも、カイちゃんとランフランク君は違うの。じっとミューを見て、何かを考えてるの。それは、きっと良い事。何かは分からないけどミューの事、考えてくれるの」
スカートの裾を持ち上げてばさばさと動かす。
フェダインにいた頃にランフランクも観測者に会いに行ったと言っていた。
そんな顔、と例えられたクロスは一度床を見て甲斐を連れてミューの部屋を出よう促す。
「ミューはここで二人の事、いっつも見てるから」
「また、来ます」
「ミューちゃん、またね」
両手を振って見送ってくれるミューを、クロスは見ないようにしていた。
部屋を出た後のクロスは辛そうな顔をして押し黙ってしまい、甲斐は気分の悪い空間を一人騒ぎながら歩く事になった。




