第四十話 クロスくん、お仕事です
「たっのもーう!」
綺麗なオフィスビルに飛ばされた甲斐は受付の女性にクロスと約束をしていると言うと、数秒間瞳を見つめて確認するとあっさり通してくれた。
本当はクロスを呼び出そうとしていたのだが直接会いに行くと言うと、五十八階の観測専門部署と伝えられた。
エレベーターだと思って入った箱の中には、入って右手に電話のボタンと同じような並びのボタンがあり、「58」と入力して確認ボタンを押すと扉が開いた。
確かにそこは五十八階で待合室を通り過ぎ、強くドアを開けるとそこは戦場のような世界だった。
忙しい、を描いたらきっとこうなるのだろう。
けたたましく鳴り響く、古いベルの音を荒く止める女性は直後に浮かぶ映像を目にも留まらぬ速さでスライドさせて何かを必死に探している。
移動は小走りから本気のダッシュが基本なのか、皆必死の形相で右に左に移動していく。
広いがその分、オフィス家具が置かれており、更にスタッフも多い。
息を切らせたクロスが突然下から飛び出したように見えた。
「……すいません! お待たせしました、お約束は何時にどなたですか!? ……なんだ、野良犬か……。人かと思ったのに……」
輝くような笑顔にばつが悪そうに下げられた眉尻。
思わず待って良かったと言いそうになってしまう。
だがそんな素敵な笑顔を見られたのも数秒で、相手が甲斐だと分かるとあっという間に真顔に戻ってしまった。
「合ってるよー。人だよー。今のスマイル……凄いね、初めて見た。顔の筋肉どうなってんのそれ……」
「今忙しいんですよ。いや、今とかじゃなくて常に。何しに来たんですか……!」
「ブレインさんからお使いに。これ、渡してくれってさ。あと出来れば交渉もしたいなー、なんて」
書類を受け取ると、中身をその場で確認するクロスはこうしているとスーツも着なれて出来る男に見える。
実際多くの仕事をこなしているらしいので出来る男なのだろうが、甲斐に対して憎まれ口を叩く所がまだ可愛げがある。
学生時代から変わらない部分だ。
「……僕がやりますよ、貴女が出ると話がこじれにこじれて終わってしまいそうです。良い結果には繋がりません。どうぞお引き取りを。あ、あとついでにその辺のゴミ箱のゴミを捨てて来て下さい」
「ちょい待ち! クロスちゃん、そんなに邪険にするなよう。あたし達の仲じゃんかー! で、誰にこれを渡せばいいの? 民警の事件解決に協力してよー!」
放置していてもいいのだが、これ以上無視すると甲斐が暴れ出しかねないと今までの経験からクロスは悟った。
ブレインからの依頼に何故甲斐を送って来たのか、なんとなく読めてしまった。
彼女が悪気が無いのは分かる。
それが一番の問題なのだ。
頼まれた仕事を完遂しようとする気持ちは分かるが、それがどうも常人の発想を持っていない彼女にかかるとどうも厄介な事へと進む。
こちらで必ず処理すると言っても納得するまで付き合っていては仕事にならない。
「ブレインさんも人が悪いな……。まあ、馬鹿と鋏は使いようって事ですかね……」
観念するしかないようだ。
彼女に長居をされる方がリスクが高い。
「こっちです。なるべく静かに存在を消して付いて来て下さい」
人の波を縫うように歩くクロスを一瞬で見失ってしまった。
目立つスーツでもないので、人に流されながら歩く甲斐は低い身長のハンデが邪魔して前にも進めず、目標のクロスも見つけられない。
「……ちょっ! 待ってってば! 女性を置いてくなよ! クロス! こら! クロスちゃんってば!」
叫びながらがむしゃらに前へと進むと今度は誰かに思い切りぶつかってしまった。
転ぶ寸前で腕を荒く引かれてバランスを取り直す。
「……人前で恥ずかしいあだ名で呼ばないで下さい。あと、貴女を女性だなんて思ってませんから。……本当はかなり厳正な審査の後じゃないと連れて行けないんですが、僕が新人ながら優秀なおかげで独断でも同行できるんです。感謝して下さい。……行きますよ」
またはぐれると面倒なので腕を掴んだまま進むクロスの後ろで甲斐は気味の悪い笑顔を浮かべていた。
冷たくしきれない、優しい性格である事を知っている甲斐は彼の嫌味や暴言は照れ隠しだと考えている。
「着きましたよ……相変わらず気持悪い顔してますね」
「わーい。クロスちゃんの言葉全てを反対の意味に変換して聞くようにすると幸せな気持ちになれるよー。わーい」
「……美しいお嬢様、ここではありません。服を正さずカジュアルに退室して下さい」
「『不細工な下民よ、ここだぞ。服を正して礼儀正しく入室しろ』……って言ってんの?」
ネクタイをきつくしてクロスが壁に触れると、何もかもを吸い込んでしまいそうな空間が開いた。
腕を引っ張られているので飛び込むようにその空間に入った。
中は重力があるのかないのか、下と上がどっちなのかすらも分からない。
晴れているのか宇宙の中なのか海の中なのか。
何が正しくて何が間違っているのかも分からなくなってしまいそうだ。
「酔うね……ここ……。うぷ……」
「吐いたらここに貴女を置いて帰ります。絶対にそうします。この中で数年暮らせば慣れるんじゃないですか?」
「ぶっ壊してでも這い出てやる……! よくこんなとこすたすた歩けるね。あぶっ……危ない!」
二人の真横をドアが通り過ぎた。
その風を受けて甲斐の髪の毛が後ろへ持っていかれたのを見ると、どうやら映像ではなく本物らしい。
「ああ、ぶつかると危ないですから。かといって壊さないように。どれもちゃんと使われているドアですから。誰かとすれ違ったら挨拶ぐらいはして下さいね」
「もっとなんか無かったの……? もう平衡感覚すらないよ……地面らしきものがものすごい深さの場所に見えるんだけど……」
「クレームなら開発した部署へお願いします。僕だって慣れてる訳じゃないですから。あ、あったあのドアだ……」
古びた小さな木製のドアのノブを掴んでノックをするが、何の返事も無い。
そのままクロスはドアを開けて甲斐を乱暴に押し込むと、周りを見渡してから身をかがめて続いた。




