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第二百九十六話 ミューの不調の理由



 観測期間では、アテネにべスが絡んでいた。



「お前、観測者の扱い方分かってねえなあ」



 緑色の髪の毛に包まれたベスが無い左腕の代わりに垂れ下がっているワイシャツの袖をアテネの肩に回し、下品な笑いを浮かべた。

 観測者を見守る業務に従事しつつ、ベスは何かとアテネをからかったり、軽い嫌味を言ったりと関わりを持とうとしてくるのだ。


「……なんですか?」


 それは非常に鬱陶しいのだが、相手にすると図に乗るだろうと考えたアテネは極力構わないようにしていた。


「観測者は常に孤独と戦ってんだ。それを補うのがウチらの役目だろ。なあに機嫌損ねてんだぁ?」

「分かってますよ……! 言われなくても、そんなのっ!」


 疲れと、ミューの体調が安定しない事が不安に変わり、アテネは久しぶりに声を荒げた。


「おぉ、怖い! 何をカリカリしてるんだか知らねぇが、そんなだからミューに嫌われるんだ」


 言い返す事が出来ずにいると、ベスは飽きたのか袖をクロスの顔に振って当てると離れていった。

 今度は一連の流れを聞いていたアルテミスがアカーテスに車いすを押してもらい、クロスの傍に来た。

 黙っていてくれた方が何倍も楽だというのに。


「ベスも、分かってないよねぇ!」


 相変わらず汚れたパジャマと真横にぱつりと切られたような髪形のアルテミスは目が笑わない。

 アカーテスは今日も真っ黒な出で立ちでガスマスクを付けている。


「アテネの事が好きだからぁ、ミューはやきもち妬いてるんだよ。そうだよね? アカーテスもそう思うよね?」

「(やきもちって……何を言ってるんだ……。これだからその辺の女子は……)」


 思い切り溜息を吐いたアテネにアルテミスはガタガタと車いすを揺らす。 


「アテネ可愛くないなぁ! でも、ほんとだよ! たぶんだけど! きっとだけど! みんな誰かの一番になりたいんだよ!」

「……僕達の一番はミューさんでしょう。今さら何を……」


 クロスがきつく言い返そうとした時、ヘルメスが戻ってきた。


「おい、何をもめてる? ボスがいなきゃ仕事も満足にできねえってか? あー……マジか。……アテネ、お前しくったろ」

「……すみません……」


 くまの着ぐるみのまま冷たく言い放ったヘルメスはミューの元に向かった。


 アテネとして最近までは上手くやれていたんだ。

 なのに、変化は突然訪れた。

 同じ言葉を話しているのに、ミューが何を言っているのかまるで理解できない。



 守護者の一番は観測者だ。



 これ以上、どうして欲しいのだろう。

 守護者として、人生全てを観測者に捧げて常に観測者の安全を考えているというのに。


「(ダメだ……頭が、うまく働かない……)」



 アテネとして生きるようになってから、生き辛さを感じるようになっていた。




×  ×  ×  ×  ×



「……くまさん……」

「どう! した! の!?」


 足でリズムを取りながら、右に左に両手を振り、ミューの前で飛び上がりつつも超回転を見せる。

 四回転して正面を向いて着地すると、ミューは楽しそうに拍手を送った。


「(……考えるな……!見たままに感じるんだ……!あの中にひしゃげたレモンのような頭のいかつい男が入っているなんて考えるな…!あれはクマあれはクマあれはクマっ……!)」


 上から見下ろしているアテネは二人が何を話しているのかは分からないが、必死に思考を振り切ろうと努力していた。


「あはは! すごい、すごぉい!」

「ミューちゃん、もっと凄いダンス見たい? 見たい?」

「見たい見たぁい! やってやって!」

「どうしようかなあ~? ミューちゃんがちゃんとごはんを食べてくれたら僕もダンスを頑張っちゃおっかな?」


 大きく両腕をミューに伸ばし、ぱあっと広げて小首を傾げたヘルメスにミューは赤いドレスの裾をぎゅっと握り締めた。


「ごはん、あんまり、いらないの。おなかも、すかないから」


 ミューの一言が分かったらしい。

 ベスはアルテミスの車椅子を蹴った。


 アカーテスがアルテミスの肩を支え、アルテミスに首を傾げる。

 初めてアテネはアカーテスの人間らしい動きを見た気がした。


「おい! ミューが腹減らねえって言ってんぞ! 一回内臓検査もかけた方がいんじゃね!?」

「な、なんでミューさんの言っている事が分かるんですか!? 今マイクオンにしてるんですか!?」


 べスが怒鳴り散らしている中で、アテネはただ純粋に驚いた。

 アテネの大きな声を聞くのは久しぶりで、べスは身を引いてしまう。


「はぁ? んなの口読みゃ分かるだろ!」

「よ、読めませんよ! 読めないから驚いてるんじゃないですか!」

「落ち着いて~! ミューの体に異常は無いんだから! もう、アテネも鈍すぎ~。 ベスもベスで~それでも女の子ぉ? 下半身見せてよー!」

「ああ? 見てどうすんだよ?」

「確認するー!」


「……そういう女子ならではのトークは僕のいない所でして下さいよ……」


 ミューはヘルメスとの会話を笑顔で続けている。

 あの不貞腐れたような顔も、悲しそうに笑顔を浮かべる事も無い。

 今も何を話しているのか拳を握ったまま、力みつつ必死にヘルメスに何かを伝えている。


「ミューね、なんか変なの……。アテネに会うと、いっぱい話したいことあったのに何にも言えなくなっちゃうしね。アテネがいじわる言ったわけじゃないのに悲しくなったり、ごはんが食べられなくなったりね」

「うんうん、そっかあ。ミューちゃんはアテネが嫌いなのかなあ?」

「えっ……?」

「嫌いだから~、アテネと話すと悲しくなったり~、ご飯を食べられなくなったりするんでしょぉ~?」


 背中で手を組み、うろうろするヘルメス。

 クマの口は動かないので読み取る事は不可能だが、なんとなくミューの元気が無くなったのはアテネにもようやく分かる。


「大丈夫だよ! 僕が守ってあげるから! アテネをやっつけてあげるね!」


 シュッシュッとシャドーボクシングの様に何も無い空間を殴る真似をするヘルメスの胴体にミューが抱き付いた。



「だめーー! アテネはいい人なのーーーー! ひどいことしちゃ…だめーーーー!」



 ぶっと吹き出したベスは髪の間から見えている口元をアテネに向けてニヤニヤと笑った。


「……聞いたか? ああ、聞こえねぇか。見えたか? 『アテネはいい人だから酷い事しちゃダメ』、だってよ!」

「全く、何を言わせてるんだか……」



 ぷいっと下を向いたアテネの顔はこれでもかという程、赤くなっていた。



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