第二百八十四話 カイ・トウドウの研究室
SODOMの就労規則がしっかりしていて良かったとリチャードは思った。
業務時間外の今、社内には人の気配は無い。
警備は二十四時間体制なので遠隔で対応している誰かしらがいるのは仕方がないが、今のリチャードには目に見える人影が無い事が有り難かった。
どこへでも入室可能だとエルガに言われたが、それでも自分の管轄外の部署に出向くのは緊張するのだ。
『どうしました』
なんて声を掛けられたらしどろもどろになってしまうだろう。
地下に続く転送装置のある場所を目指し、歩いていた。
地図ではこの突き当りだ。
リチャードはその場でぐるぐると回ってしまった。
どこを探しても見当たらず、困ってしまった。
「えっと……まさか、間違えた……?」
入念に目を凝らして周囲を見ると、ようやく壁の一部が光っているのを発見した。
しかしどうしたらいいのかは分からない。
とりあえずそこに触れると、次の瞬間には景色が変わっていた。
これまで挙動不審な動きをしていたはずの静かな通路ではなく、リチャードのいる通路の両側はガラス張りでどちらも中は白ばかりの空間だった。
そのガラスの向こうで忙しく研究をしている人々は、うっすらと白い輪郭の分かるベールに包まれているように見えた。
研究員達は月で決められている勤務時間を満たせば良いという特殊な働き方らしい。
しかし、リチャードにとっては彼らがこの時間まで働いているというのが恐ろしかった。
こちらが見えていないらしく、皆研究に没頭している。
ガラスに挟まれた通路を通り、ラボを抜けて甲斐が研究に使っていたであろう部屋を探しに行く。
「……これは、そうか……。困ったな」
殺菌消毒の泡の中を通り抜けると、湿った体はあっという間に乾いた。
困ったのはそのせいではない。
抜けた先にはドアが立ち並んでいた。
表札が出ているドアはSODOM研究員の使用している部屋だろう。
寝泊りもそうだが、部屋で書類をまとめたりといった事務も行っているはずだ。
「……一部屋ずつ確認する他ないか。……食後の運動にはもってこいだな」
ポケットに忍ばせた地図を見れば、現在位置の部分が拡大され、誰が使用しているのかが見て取れた。
情報更新をしている部署もあるのだろうか。
これは助かるとばかりに地図を見たまま足を勧めた。
四つ折りにすると現在位置と書かれた黒い四角がちょうど良く収まる大きさに変わり、思わず感心してしまった。
これで遭難する可能性は下がった訳だ。
「……ゲスト用? ……ここか?」
厳重なセキュリティの掛けられた扉がリチャードをサーチし、開いた。
進むたびに真っ暗だった一本道に灯りが灯っていく。
そして辿り着いたのはただの銀色の壁の前だった。
「……からくり屋敷か。子供なら喜びそうだけど、私は泣きそうだ」
『一名認証完了。攻撃性無し・武装無し・非適合者。貴方はリチャード・アッパー様ですね?』
「その通りだよ、こんばんは」
『こんばんは。申し訳ございません、本日はゲストルームにはどなたもいらっしゃいません。進捗確認であれば、請負人の名前をフルネームで発声して下さい。お戻りになる際は、このまま引き返して下さい』
すぐにでもカイの名を口にしようかと思ったが、ジャッジと似たものをこの女性のナビゲーションに感じ、コミュニケーションを取ろうとした。
「もしかしたら、私の勘違いかもしれないんだけど……。間違えていた場合のペナルティとかあるなら先に教えて欲しい。……例えば両側から壁が迫って来てプレスされる、とか……」
冗談半分、本気半分である。
もしも甲斐がここを使っていなかったとして、それなのにフルネームを述べた時に警報が鳴り響いては敵わない。
ジャッジと話しているようなノリで話しかけてみたが、返って来たのはつまらない答えだった。
『申し訳ございません、ご要望にお応え出来る設備は整っておりません。宜しければ、ご要望としてシステム開発部へとお送りする事も可能ですが如何致しましょう』
「ああ、いや……冗談だよ。……そうだな、もしかしたらいないかもしれないけど……カイ・トウドウの研究室があれば見に行きたかったんだ」
『かしこまりました。では、部屋をお持ちします。扉の前で暫くお待ち下さい』
心臓が、突然ドキリと音を立てた。
半ばダメで元々だと思い来ていたのに。
喜びと、この中に一体何が隠されているのかという不安が混ざり合う。
手を擦り合わせ、震えを誤魔化した。
もしかすると、彼女はまだ特殊部隊に居ながらSODOMに通い、研究を続けているのかもしれない。
だが、学校から消える意味は何だ?
一体、何が起きたのだろう。
そしてその疑問は、彼女の研究室へ無断で立ち入る事で解決されるのだろうか。
銀色の壁に幾つもの白い光が流れていく。
やがてそれは左右に分かれた扉であり、形は凹凸を噛み合わせているのだと目視できるようになった。
エアーの抜けるような音を立て、ホイッスルの様な音が二度鳴った。
『お待たせ致しました。カイ・トウドウの研究室が到着致しました。扉が開きます、ご注意下さい』
「え? 研究室『が』到着したの? 研究室『に』じゃなくて?」
かなりの厚みのある扉が開かれていく。
自分の影が、先に室内へ入っていった。
扉が開き切るまで待っていたが、明らかになった部屋のセンターに置かれている機械が何か、もうリチャードには分かっていた。
身の丈よりも大きなそれは、門の様にも見える。
上部に装着してある大きな球体ガラスの中で白く光り続けているのは魔力だろう。
こうして商業用魔力を目にするのは初めてだが、よく見ようとしても目が眩んで涙が出るほど暴力的な光の強さだ。
煙の様な、球体の様な、なんともいえない形状のように思える。
『どうぞ、中へ。退室する際は入室した際の壁に触れて下さい』
マニュアルなのか、冗談一つ返してくれない彼女にリチャードはつれなさを感じた。
「オーケー。他に注意点は無い? 飲食禁止とか、禁煙とか……あとは具合が悪くなった時の対処法とか」




