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第二百八十三話 カリアの一人相撲

「ミューさん、宿題は終わりました?」

「むぅ、アテネの宿題多い!」


 ミューはアテネに背を向けているが、アテネにはミューの頬が膨れているのが分かる。

 いつもなんだかんだと文句を言いながら宿題をこなすミューは、めきめきと力を付けていた。


「なんだ、やっぱりちゃんとやってあるじゃないですか」

「ミュー、すごい? ミュー、偉い?」


 正答率はどうあれ、まず宿題を最後までしっかりとこなしたことは凄いと思った。


「はいはい、偉いです。凄いです」


 ミューは勉強を楽しんでいるのだろうか。

 負担になってはいないか。

 アテネにはそこが気にかかっていた。


「……ミューさん、最近食欲が無いようですが」

「うん、ミューね最近、おかしいの。おなかが、あんまり空かないの」



 確実に、彼女の終わりは近付いている。



 元から健康には見えない細さの彼女は、ここから出る事もなければ、筋肉を使うような仕事も無い。

 ある程度細くなってしまうのは仕方ないのかもしれないが、それにしても段々とやつれてきているのは誰が見ても分かってしまう。


「……食べなきゃ、ダメですよ」


 なんでもないようにアテネに装ってはいあるが、確実にミューは弱ってきている。

 体調管理をしている他の守護者達に対して酷く憤りを感じた。


「ミューは、役に立ったのかな?」

「ミューさん……、どうしてそんな事を聞くんですか……」

「ミューね、悲しそうな人も楽しそうな人もいっぱい見たよ。外の世界は、大変そうだなって思ったよ」

「……はい、そうですよね」

「でもね」


 ミューは、ミューなりの考えを話し始めた。


「そんな内の誰かがミューの仕事を出来ちゃったら、やだなって思ったの。ミューは、ミューしか出来ない事があったらいいのにって思ったの」

「沢山、沢山ありますよ……。ミューさんはミューさんしかいないんですから…」

「ほんと? クロスく……アテネは、ここにいたのがミューじゃなくて、別の子だったとしても……優しくした?」


 クロスとして答えるべきか、アテネとして答えるべきなのか迷うような質問ではないはずだった。

 アテネとして、守護者の内の一人として答えるならば答えは決まっている。

 観測者も守護者も、代わりはいくらでもいるのだ。




 ただもしも、もしもクロスとして答えてもいいのなら。




 そしてミューは、アテネとしての言葉ではなくクロスとしての言葉を待っている。

 分かっていても答える事はできなかった。



「……守護者が観測者を守るのは、当然ですよ。どんな相手だったとしても」

「……そう、だよね。分かってるよ。ミューが、特別じゃないのも分かってる」

「ミューさん……!」

「疲れちゃった。ミュー、少し寝るね。お仕事があったら、呼んでね」



 ミューは背を向けて、上のベッドへと消えてしまった。

 口にする訳にはいかないのだ。

 観測者個人を特別扱いする事は出来ない。



 それをミューも分かっているはずだ。



 自分にだけ、こうしたメッセージを発信するミューにアテネは顔を歪めた。

 傍にいたい、支えたい、それだけじゃあまりにも遠い。






 思いが一方通行なのは、どうやら観測者と守護者だけではないらしい。

 リチャードは夕飯を顔色の悪いカリアの元へせっせと届けていた。






「やあ! 昨日はスパイシーなものが食べたいって言っていたからカレーにしたよ」

「やった! カレー、好きなんですよ。リチャードさん、食器は置いて行っていいですよ」

「ありがとう、でも自分で汚したものは自分で片づけるさ」


 慣れた手つきで食器を並べるリチャードにカリアは懐っこい笑顔を見せた。


「カリアはよく食べるのに中々太らないからなあ。私ばかりが太らされても困ってしまう。さあ、食べようか」


 蓋を開けると湯気で二人の眼鏡が曇った。

 顔を見合わせて笑い合う。


 あまりのスパイシーに苦戦しているリチャードが無理をして食べている。

 顔は赤く、水の消費量が凄まじい。

 苦しむ彼を見て、カリアはまた笑った。



 食器を二人、並んで洗うとリチャードは自室へと帰る。

 いつもの流れだ。



「それじゃあ、また。良ければ今度ヴィヴィも誘って―――」

「いえ、男同士でいいじゃないですか。それに、リチャードさんの負担を増やすのも心苦しいです」


 最後までリチャードが提案を述べる前にカリアが遮った。


「気にしなくていいんだけど、分かったよ。じゃあ、またね。おやすみ」


 ドアの前でリチャードを見送ると、カリアは笑顔を引っ込め、トイレへと走る。

 そして指を喉の奥に突っ込み、胃の中の全てを吐き出す。

 ある程度出切った所で手洗いの水を出すと、胃の中に流し込み続ける。

 限界まで水を含むと、再び便器の前に行き、吐き出した。


「はぁ……はぁ…げほっ……(SODOMの人間からの飯なんて……食べるもんか……。絶対……。ヴィヴィを巻き込むなんて…冗談じゃない……。飼い慣らしたつもりでいればいい……。いつか絶対……噛みついてやる……)」



×  ×  ×  ×  ×



 カリアの部屋を出た後、リチャードはヴィヴィの部屋を訪ねた。

 夜遅いというのに、突然の来訪に嫌な顔どころか嬉しそうな顔を浮かべ、入るように勧めてくれた。

 流石に女性の部屋に入るのは、と紳士的な理由で断るとヴィヴィはからかうような笑顔を浮かべている。


「カリアとはまめに食事をしているんだけど、良い関係を築けていると思うよ。……心配しているかと思って」

「ホント!? なんだ~! うんうん、カリアもやっと慣れたのかなん! 良かった良かった! カリアばっか構ってないでさー、たまにはヴィヴィちゃんも構ってよねん! 外出も出来ないんだから~!」

「そうだね、今度一緒に食事でも……なんて誘ったらまずいかな。良かったらこれ、食べて。さっき買って来たんだ」


 ペーパーバッグに入っているカレーはまだ温かい。

 ヴィヴィはそれを受け取ると嬉しそうに中を覗き、鼻をひくつかせた。


「ありがとん! うれしー! 一緒に食べてかないのん?」

「一晩に二人前も平らげたらスーツを新調しなくちゃならないからね。それに、ちょっと行きたいところがあるんだ。SODOMに戻るよ」


 残念そうなヴィヴィに手を振られ、リチャードはSODOMへと戻る。



 『行きたいところ』

 それは入室できるようになった地下の研究施設だった。



 ただでさえ広大な敷地を持つSODOM本社の地下全体が研究施設となっている。

 ここに恐らく、甲斐の空白の時間を埋めるピースがあるはずなのだ。

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