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第二百八十二話 シャイニールの過去③

 目が覚めたのは朝日が昇る頃だった。

 チープな作りのブラインドの隙間から差し込む白い光と部屋に立ち込めた鉄の匂い。

 どこか生臭くもあったけど、何度も深く肺に沈み込ませたくなる香り。


 ベッドの柵に繋がれたままの両手は冷え切って、そして痛かったけど、それどころじゃなかったわ。

 壁一面に飛び散ってる血しぶきと、ベッドを映すように壁に付けられてる大きな鏡のおかげでベッドの前でうつ伏せに倒れてる男を見たせいね。



 逃げようとしたわけじゃないの。



 もし、もしも両手を封じられてる私がこの男を倒したんだとしたらそれって私が適合者だったって事じゃない。

 力が暴走したって仮説は大当たりで、何時間頑張ったかしら、鎖から手を抜いて試してみたら出来たの。

 ちゃんと力をコントロール出来るようになるまで、転がっていた死体を切り刻んで試したわ。

 かまいたちのような衝撃波は起こせるけど、威力も操作性も悪いし苦労しそうだなって思った。


 でもこれで医療魔法が使える、お姉さまとはとうとうどれほど走っても追いつけない程の差が開いた。

 私が適合者だって事を隠していたお父様とお母様を恨む気持ちもあったけど、もうどうだって良かったわ。

 もう関わる事なんて無いでしょうし。


 とにかくお金に埋もれて過ごすには、医者が一番だもの。

 でも、雇われ医なんてまっぴらごめん。

 法律やら何やら小難しい事ばかりで、出来ない事が多すぎるの。

 私はそんな正規のルートから弾き出された人を助けてあげて、楽しく幸せに暮らすの。




 全部、順調そのものだった。




 高級クラブに通い詰めて、男達に拠点のマンション、設備費を貰えたし、薬を集めるのも簡単だった。

 あと必要な物は私自身の技術力。




「ね~ぇ、あなたおひとり? 一緒に飲みましょ?」



 私は誘いを断られたことが無いの。

 男女共に、ね。



「えっ、ええ……。モデルさんか何か? 随分キレイね」

「ありがと~。ねえ、外に出て飲み直さない? イイ所知ってるの!」


 いつもの手口で連れ出して、あとはマンションに連れ込むだけ。

 新しい臓器をストックするべきか、それとも実験に生きたまま使うかで迷ってた。



「……ねえ、クスリ持ってない? どれでもいいから、頼むよ。アンタ、金持ちそうだしさ……。お礼なんて体でしか出来ないけど……」

「……あるわ! ねぇ、ただお礼はしてね?」



 手術をするにしても麻酔薬は必要だけど、どことも取引をするつもりがなかったから自分で作ってみたはいいけどまだ試してなかった。

 役に立つかもしれないとバッグに忍ばせておいた粉末を手渡した。



 結果としては失敗ね、そばかす女性は激しく痙攣して嘔吐、そしてゆっくりと脈拍が消えていったわ。




 また改良しなくちゃ、ああ嫌な夜。

 ただドレスとバッグは一応貰っておきましょ。



 そんな気持ちのまま、家に帰ったらお姉さまが起きて来て余計な事を始めたの。

 今まで殺さないでおいたのも、私が疑われるからよ。

 ただお姉さまは絶対に私を通報したりなんてしないわ。


 だって可愛い妹ですもの。

 集めた服やバッグは残念だけど、また集めたらいいわね。



×  ×  ×  ×  ×



「目が覚めた? ああ、声は出さなくていいよ。聞きたくない」



 お姉さま、相変わらず化粧もしていないのね。

 白衣なんて着ちゃって、私に対抗してるつもりかしら。



「おかえり、シャイニール。記憶消去する確実なやり方は一度思い出させてからそれまでを削除する事なんだよ、取りこぼしがあると厄介だからね。フラッシュバックのきっかけすらも全て消し去る。……アンタは途中で学ぶのを止めたから、知らなくて当然だよ」


 ウソだ。

 お姉さまは負け惜しみを言ってるのね。


 私に弟子入りをしたコ達にも、患者にも必ず私に関する記憶だけを消してきた。

 顔も場所も分からなくさせる為に。

 今まで上手くいっていたもの。



「黒人の、ドクターと名乗る女。アイツは失敗だったみたいだね。見事にアンタの事を思い出したよ。根こそぎ取りきらないから」



 ウソだ。

 ウソだ。



 あの女、私の事を話すなんて。



 恩知らずにもほどがある。

 ああ、どうしてやろうか。



「まあ、そのおかげでアンタをこうして捕まえられたんだけどね。さて、アンタは数秒後には自分が誰かなのかすらも分からなくなるよ。ただのデータが入った器になる、まだ役目があるからね。その役目が終わったら、廃棄処分。アンタが人にしてきたように、実験がてらに殺してあげる」



 体に力が入らない。

 口元を伝っているのは唾液?

 睨みたくても酷い眠気。



「アンタの過去なんてどうだっていいよ。妹は死んだ。もう、死んだの」



 死んでない。

 ここに、ここに私がいる。


 私はシャイニール・ロンド。

 姉はヴァルゲインター・ロンド。




 何者にもなれなかったはずの出来損ないの陰気で堅物な姉が、どうして偉そうに私を見下ろしているの?

 どうして、私をそんな目で見るの?






 私は幸せになりたいの。






 豪華な食事と綺麗なドレス。

 誰もが羨む容姿と笑顔。

 みんなが跪いて称賛する。


 足りない物は奪ってでも手に入れる。

 細々とした生活が幸せなんて思えない。

 上にいけない人達の負け惜しみでしょ?




 みんな私の踏み台よ

 私の家族は私といられて

 幸せだったわね




 あら?

 どうして過去形になってしまったのかしら





 そういえば、しあわせって




 なんだっけ






×  ×  ×  ×  ×



「おはよう、ええと、そうだね、ライブラリーとでも呼ぼうか。気分は?」

「……平気です……。何か、とても、怖い夢を……見ていました」


 ベッドの上で震える彼女は、まるで人工物のように完璧だった。

 無垢な表情、潤んだ瞳。

 同性のヴァルゲインターでさえぞっとするほど妖艶でもある。


「ああ、そう。私の名前は知らなくていい。私はアンタを保護してるの。いい? 助けてあげるからアンタが覚えてる事を話して欲しいんだけど。アンタが医療技術を教えた人間を全員」

「はい……。私…全然思い出せない事が多くて……。誰かに追われてるんですか……? 私……あっ……リボン、可愛いですね……」


 

 記憶を失っても、シャイニールは可愛い物・美しい物に敏感に反応する。



「ん? ああ、これ?」



 頭に乗っているリボンに触れるとヴァルゲインターは口元だけで笑った。



「妹に、貰ったんだ。もう死んじゃったけどね」

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