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第二百七十九話 キールの決意

 ヴァルゲインターは過去に浸りながら、こっそり持って来ていた煙草を取り出す。

 今は誰にも邪魔されたくないと思った矢先に、ネオが指先に火を灯し、差し出してきた。

 好意に甘んじて受け入れ、深く煙を吸い込む。


 その香りを嗅ぎつけた喫煙者のギャスパーも、ネオが火を消す前にやって来て便乗していた。



「ウッソだろ!? コイツ寝てやがる! なあ、血の契約はどうしたら解除されんだ!?」


 キールはシルキーの顔を覗きこむと、話しかけやすいのかノアに走り寄った。


「ああ? そんなん契約内容が履行されたら勝手に解除されんだよ。契約場所、傷出来てねえか?」



 頬に触れると血が付いた。

 これが解除の証らしい。

 ほっとしたような顔をすると、キールは座って銃を分解しているノアの前に立った。

 そしてぶっきらぼうに言葉を投げる。



「……守ってくれて、ありがとな!」

「守ったあ? 標的もこっちにきゃ気付いてなかったし、守ったっつーかなあ……」


 肩をすくめ、キールの顔を見る事はせずにノアは笑う。


「ま、礼を言うならカイにもだろ。アイツ死ぬ気で頑張ってたからな。俺からすればお前が女だったらって思ったくらいだ」

「なんでだ?」

「キャットウォークでくっつきまくってたろ。ほんと、あれがカワイ子ちゃんとなら色々楽しかっただろうから、残念だ。生まれ直したら体でお礼してくれや」


 顔は上げず、手だけを振って返事をするノアの元を離れ、キールは甲斐の元へ小走りで近付いた。

 ノアに見せた表情とは違い、優し気な目をしている。


「カイ! 大丈夫だったか? 女の子なのに、凄いな」

「ああ、キール! 無事ー?」


 笑う彼女の首には赤く、指の跡が付いていた。

 爪が食い込んだであろう三日月形の傷口も見て取れる。


「首……大丈夫か!? あそこで煙草吸ってる女、医者なんだろ!? 診てもらえよ! 傷が残ったら……!」

「え? いいよ別に、致命傷じゃないし。でも、隠し扉カッコいーね。教えてくれてありがとー!」


 女性は名前が思い出せないほどの人数を知っているが、やれ『爪が割れた』とか『ひっかき傷が出来た』と自分の体に少しの傷も許さない女性ばかりだった。

 高い酒を出しても当たり前の顔をして飲み、自分の笑顔に数万ドルの価値があると心から信じている、そんな女性ばかりだった。


「……いや……、いいよ。上手くいって、良かったな。もう、帰るんだろ?」

「そだねえ、標的も拘束し終わったし持ち帰るかな。騒がしくしてごめんね。あ、でも今度はプライベートで遊びに来るよ」

「そうだな……。そう、だよな……」

「うーわ出たよはっきりしない系の返事! なに? 迷惑?」


 自分で聞いておきながら、甲斐はその答えを自分で見つけ出してしまった。


「……まあ、そっか。あんだけ目立ってたしね。ちぇー、出禁食らっちゃったよ! ちぇーーー」

「いや、違う……違うんだ……。そうじゃ、なくて……」


 ああ、ここまでは調子が良かったのに。

 そんな落胆がキールから見て取れた。


 いつもなら『凄い』と言われ、それ以上何も話す事は無かったのに。

 一番幻滅されたくない相手に、本当の事を話す事になるなんて。


「……俺、確かにここのオーナーの息子だけど……跡取りなんかじゃないんだ……」

「ん? そうなの? でも隠し通路とか知ってたじゃん」

「小さい時に、ここの建設予定が立ち上がって……親父の部屋にいたずらで入った時に図面を見つけたんだ。ここは別に隠し通路、って訳じゃない。ただの補修用の通路だ。それを覚えてただけだよ」


 急に弱々しい言い方をするものだから、甲斐は少々気まずそうだ。

 キールは下唇を突き出しておどけてみせると、両手をパンツのポケットに入れて肩をすくめた。


「……ここを継ぐのは、きっと親父の会社の有能なヤツだ。俺は、学校すらろくに行ってなくて……夕方に起きて行くとこが無いからここに来てるだけ。金もかかんないしさ。……がっかりした?」

「そっか、要はキールはダメ人間なんだ。やーい人間のクズ! すねかじり!」

「がっかりしてくれ。そんな嬉しそうに野次飛ばす位ならがっかりしてくれよ……!」


 まさかこんな風に罵倒されると思っていなかったキールは少し傷ついたような顔をした。

 それすらも甲斐は笑い飛ばす。


「いんじゃないの、別に。オーナーの息子なんてなりたくてもなれないじゃん。それにここが好きだから毎日入り浸っちゃうんでしょ? もうファンじゃん」

「……親父がオーナーだから来れてるだけだよ。違う奴がオーナーになったら、多分来れなくなる。きっと、タダで今までみたいに飲ませてくれるだろうし女の子にサービスしても何も言わないだろうけど……それってでも、良い事じゃないだろ」

「あたしがオヤジさんだったらだけど、やっぱり息子に継いでほしいなって思うけどなー。息子も継ぎたいなら言えばいいのに」


 キールは何度か頷いて笑った。


「言ってみた事あるよ、でも……経営が出来るとは思えんって言われてさ。ダメだった」

「えっ、それだけで? その一回で心折れたの!? よっわ!」

「だって……その通りじゃないか」

「あたしがキールだったら今までの人生で何回酒浸りにならなきゃダメなんだろ!? こっわ! 本当にやりたいならしつこく言わないと! 相手をノイローゼにさせるぐらいに! 変えるのは自分だけじゃなくて相手もだよ!」

「……そう、だな……」



 熱くなるのは馬鹿らしいと、引き下がったあの日。

 あれ以来、ここにいる時間が長くなった。


 常連客からすると新参者だった自分の口を勝手に転がり出た言葉は「この店のオーナーで次期跡取り」だった。

 見栄にしても虚しすぎるが、きっとそれは誰にも言えなかった望み。



「お取込み中悪いな、行くぞ」


 甲斐の背中をかなり強めに叩いたのはシェアトだった。


「はいよ! じゃあ、またねキール!」

「ああ……、またな」


 このブロンドの髪も、丁寧に手入れをした口ひげも、オーダーメイドスーツもどうやら彼女を引き寄せるには足りないらしい。



 彼女はどんな酒が好きだろう。



 オーナーとなって盛大なイベントを開けたら、招待状を送ろう。

 もし、もしもオーナーの座を奪われたとしたら一緒に悲しみながら安い酒でも一緒に飲んでくれるだろうか。


 きっとその日は、騒がしい夜になる。

 それまで体力を温存しておかなければ、付いて行けなそうだ。

 素面の今夜でさえ、飛んで跳ねて問題を起こし、果敢に相手に立ち向かう彼女に胸が高鳴り続けたのだから。

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