第二百七十七話 ヴァルゲインターの過去③
シャイニールが姿を消しても私は探そうともしなかった。
薄情だと思われるかもしれないが、受け入れられていなかったのかもしれない。
その年の冬、父が亡くなったと連絡があった。
数年ぶりに聞く母の声は小さく、無機質だったが母からすれば私もきっとそうだったのだろう。
その通信でようやく、シャイニールが失踪した事を伝えられたが相槌なのか分からない吐息混じりの音でその話は終わってしまった。
本当であれば民間警察に捜索願を出したりしなければならなかったのに。
私も、母もそれすらしないまま、月日は流れた。
まるで何かに怯えるかのようにニュースも見なくなった。
誰が、どこで、どうして亡くなったのかを知ってはいけない気がした。
ただひたすら仕事に打ち込んでいく。
身元不明の若い女性が私の働く病院へ搬送されて来る事が多くなった。
いつしか、シャイニールのせいで何もかもが壊れていくような妄想が離れなくなり、私は病院を辞めた。
資格の勉強に対する熱意も無くなってしまっていた。
眠れぬ夜が続き、シャイニールがいつも出て行った時間である午前零時に私はとうとう家を飛び出した。
こんな時間に外を歩くのは初めてだったが、当時の私は恐怖なんて感じていなかった。
何を求めていた訳でもないが、彼女と過ごしたあの家にるのが耐えられなかったのだろう。
暫く歩き、この時間こそ彼らの活動時間なのだろう若者達の野次を無視して歩いて行くと薄暗い雰囲気の通りに辿り着いた。
車はおろか、人通りすら無い。
柄の悪そうな男達の声が向かって来ていたので、身を隠すのに路地に入り込んだ。
そこで何かが動き、そちらに視線を動かして絶句した。
全裸の女性が這いつくばり、手を伸ばしてこちらに助けを求めているのだ。
「……ひっ……!」
「た……すけ……いかな、で……おねが……いぃ……」
思わず駆け寄ると、口からの出血が酷かった。
口の中を見れば歯が全て抜き取られている。
両手足の爪も剥がされているのを見て、さあっと全身から力が抜けたように何かを失うのを感じた。
「……治療を、します……。我慢して……」
医療系の魔法を一人きりで使うのは初めてだった。
病院では補助という名目だが、資格が無いので雑務ばかりをこなし続けてきた。
適合者であり、医療魔法は独学で覚え、病院内で参加できる医療魔法の手術の映像研修会に参加して来たが実際に患者を相手にした事は無い。
そしてこの先も学歴が全てのこの医療の世界では治療に関わる事など無いのだろうと思っていた。
出来る、出来ると自分自身に言い聞かせて力を発動させる。
どんなに不安な処置だとしても相手に悟られぬよう、堂々と行うという癖が仕事のおかげで付いていたのは良かった。
止血を終えて、痛みを麻痺させると女性は力尽きたように眠ってしまった。
家に連れ帰るべきか悩んでいると、背後から懐かしい声がした。
甘く、鼻にかかったような声で変に間延びした喋り方。
確かに香るがしつこくは残らず、何度でも吸いたくなるこのどくどくの芳香。
「いやあねえ、モルモットが逃げ出しちゃって困ってたんだけど……捕まえてくれたの? お姉さま、ありがとう!」
「……なに、考えてるの……? シャイニール、アンタ、何してんのよ……!?」
「ふふ、お姉さま聞いて! 私、お医者様になるの!」
屈託なく笑うシャイニールは、まるで成長していない。
幼い頃を思い出させるこの笑顔に、ほだされてはいけない。
「……バカ言わないで……! 人を傷つけて……何が医者なのよ!?」
「何にもなれないお姉さまからしたら、悔しいわよね? 私の方が何もかも上で……」
初めて、彼女の口から私を否定する言葉を聞いた。
その衝撃は鳥の翼をもぎ取ったあの日よりも強かったように思う。
「私、適合者なの。ああ、こんな形で伝えるなんてさぞかし私を恨むでしょうね……。ごめんなさい。でも、本当なの。両親は教えてくれなかったし、学校も非適合者の人達と同じ所に通わされていたけど……」
「私も適合者だ! それに、学校の選択は両親の希望だ! 幼い頃から力の使い方を知ってはいけないと……学ぶなら後からいくらでも学べると……!」
両親の考えは確かに正しかった。
シャイニールが自分に備わっている力に気が付いてしまった事は、誤算だった。
「そうなの! でもね、私はお医者様になるの、もうこれは決定したの。足りない物は補えたし……やりたい事、ぜーんぶできるの! お姉さまの事は心配だけど……大丈夫よね? そうそう、いーコト教えてあげるわ! お金の心配ならクラブに行って……あっ私の服を着ていいわ。髪の毛も……美容室に行った方がいいわ! それで、男の人にね―――」
妹に手を上げたのは初めてだった。
雪の降らない、月の明るい夜。
路地で向かい合っていたのは妹の皮を被ったナニカだった。
シャイニールは不貞腐れたような顔をした。
覚えているのはそこまでで、寒さで目覚めると冷え切った手足はすぐには動かなかった。
いつの間にか朝になっていて、私は路地に倒れていた。
すぐ横には鮮血の跡があったが、家に転がるようにして逃げ帰った。
そしてあの日以来開くことの無かったシャイニールの部屋に入り、置き去りにされたバッグを片っ端から開けて行くとここからそう遠くないクラブの名刺が全てのバッグから出て来た。
一日限定の視力矯正魔法を掛けてもらい、伸ばしたままだった髪の毛を美容室で切り揃え、妹の残していったピンクのミニドレスを着て鏡の前に立つとどこかあの美しく、恐ろしい妹と似ているような気がした。
「お姉さま!? ああ、来てくれたのね!?」
最初は門前払いをしようとしていた受付も、シャイニールの名前を出すとVIPルームに通してくれた。
ドレスコードはクリアしているが恐らく、ぱんぱんに膨らんだ薄汚れている通勤用のトートバッグが気に掛かったのだろう。
VIPルームには甘ったるいお香の匂いと、いかにも金持ちといった男がシャイニールを膝に乗せて甘えさせていた。
「これ、返しに来たの」
トートバッグから取り出した分厚い書類の束をシャイニールにぶつける。
「何すんだよ……お前の姉さん怖……い……うわああああああああ!?」
男が目にしたのはカラーの軽いスプラッタの様な写真と共に、そこに添えられているメモの言葉。
全てあのアルバムに収められていたものの、コピーだった。




