第二百七十六話 ヴァルゲインターの過去②
私が十九歳、シャイニールが十六歳の歳だ。
彼女はハイスクールに通うようになった。
私はハイスクールに行くよりもこの生活をもっと良くしたいと思い、元より興味のあった医療の現場で働くようになった。
資格も無い私は補助として街の病院に雇われ、勉強をしながら資格試験を受けようと思っていた。
資格試験、といっても医者の試験は簡単なものではないのだ。
それも独学となれば、いい大学を出た身ではない私が働ける場所は資格に合格したところで限られている事も分かっていた。
「じゃあ、行ってくるね~!」
「あっ、こら! 今日は夜遊び禁止って言ったでしょ! 不良! ママに言ってやるからね!」
シャイニールが遊びたい盛りな事も分かっていた。
あの美貌があれば、皆彼女を放ってはおかない事も。
嬉しい反面、夜遊びの多いシャイニールが心配でもあった。
言いつけたところで心配し、涙を流してくれる『ママ』など私達にはいない事をシャイニールも分かっているだろう。
「あん、お姉さまったら! イジワル言わないでよ~。すぐ帰って来るわ! あ、電気は消しておいてね。おやすみなさい!」
「そんな格好じゃ襲われちゃうっての! コラ! ……もう」
手に持っている赤いハンドバッグは友達の誰かから貰ったと言っていた。
誕生日に買ってあげたピンクのミニドレスも良く似合っている。
多くの友人が出来たことに、そしてその中でうまく生きられているシャイニールは大丈夫だと信じていた。
『ママ』からの送金額では食べていくのが精いっぱいで、ハイスクールに通う妹が遊びに行ったり、お洒落をする為にもお小遣いが必要だった。
少ないながらもお小遣いを渡すと子供のように跳ねて喜んだ彼女を見ていると日頃の疲れも吹き飛ぶ気持ちになったし、暇を見つけては家事をしてくれるシャイニールがこうして夜遊びに出るのも本気で咎めようとも思わなかった。
髪をロングに伸ばしているシャイニールは街一番の美少女だった。
いつかはモデルにでもなるのだろうか。
一方で私は化粧の一つもせず、自慢出来る物とすれば通勤用のトートバッグに結びつけた妹から貰った刺繍の入った布だ。
これに価値が出たら売り飛ばそうか、なんて言ったらシャイニールは笑っていた。
一度気を使って玄関の電気を点けて眠ったが、『電気代がかかる』と怒られてしまった。
それ以来、全ての明かりを消す事にしている。
疲れた頭を乗せ、自分の部屋に入って横になる。
長時間の読書のせいか視力が落ち、眼鏡をかけるようになってしまった。
医療魔法の施術で視力を戻すには金が掛かる。
眼鏡も安い物を選んだので、誰が見ても経済的に貧しいと分かっただろう。
せめてもの抵抗でフォックス型のフレームを選んだが、とてもお洒落には見えなかった。
ふと目が覚めたのはシャワーの音のせいだろうか。
シャイニールが帰って来たらしい。
時間を見れば出掛けてから二時間しか経っていない。
深夜だが、夜遊びにしては早過ぎる。
言い方がきつかったのだろうか、早く帰って来るのは良い事だが申し訳なくなり、謝ろうと部屋を出た。
「もう、服もバッグも床に置いて……」
踏んでしまった感触でバッグだと分かった。
脱ぎ捨てられているドレスを先に拾い上げて気が付いた。
シャイニールの着ていたピンクのミニドレスにはスパンコールなど付いていない。
それなのに今、拾い上げたドレスは生地全てにスパンコールが縫い付けられ、手探りで形状を確かめると、胸元には大きな飾りのストーンまであるのだ。
耐え切れなくなり、明かりを付けると落ちていたのは赤いハンドバッグではなく、黒の蛇革のハンドバッグだった。
「やだ、お姉さまどうしたの?」
バスルームから出たシャイニールはタオルを大きく膨らんでいる胸元で結んでいた。
「……友達が、来てるの?」
「……どうして?」
「これ、誰の?シャイニール、アンタのじゃないでしょ……」
「それ? 貰ったの。もういらないんですって!」
酷い言い訳を聞いて私はシャイニールと話す気を失った。
持ち主の事が知れる者が無いかとバッグの口を開いて逆さにすると、財布や口紅、リキッドのアイライナーと最新型のミュージックボックスが出て来た。
盗んで来たにしても、このドレスはどう説明するのだろう。
この時、顔を青くしていたのは私のほうだけでシャイニールは可愛らしく笑っていた。
「ホントよ。このバッグとドレスの持ち主は、もう着られないもの。おかしいのよ、彼女クスリを持ってるかって聞くから渡したら倒れたの。もう息をしてなかったわ、だからもうこのバッグもドレスも必要ないでしょ?」
「クスリって……なんのクスリ!? アンタ、何言ってんの!?」
「私が作ったの。良い薬同士の成分を掛け合わせたら、もっと良い薬が出来るでしょ?」
濡れた髪の毛を耳に掛けつつバッグから落ちた財布から、身分証を抜き出して読み上げるシャイニールに鳥肌が立った。
「へぇ、あの子、レイチェルっていうんだ。クスリならなんでもいいからって言うから……変よねぇ」
民間警察の乗り物であるエアライド特有のエンジン音と共に、サイレンを鳴らして走って行く音が聞こえた。
走り、シャイニールの部屋のドアノブを荒く回す。
掃除も全てシャイニールに任せていたので、部屋に入るのは久しぶりだ。
こんな形での入室になるのは残念だが、仕方ない。
鍵は掛けられていなかった。
そして明かりを点けて愕然とした。
時が止まるというのは、この事だ。
勉強机の上には学校から拝借したとみられるフラスコや薬品の瓶が置かれ、やたらと付箋の張られた本の山やレポートらしき書類もあった。
クローゼットには入りきらない服はカーテンレールにハンガーを使って掛けられ、靴やバッグは棚にまるでインテリアの様に整然と肩を並べている。
全てが高そうな物ばかりで、お小遣いでは到底揃えられるようなものではないだろう。
「……ウソでしょウソでしょウソでしょ……」
口に手を当て、しゃがみ込むとベッドの下にアルバムがあった。
引き寄せ、開くと簡易的なメモと共に目を覆いたくなるような惨たらしい女性の死体写真ばかりが貼り付けられている。
その全てがまるで実験をしているようにページ上部にはナンバーが描かれていた。
「シャイニール! これはどういうことなの!? シャイニール!? ……嘘、シャイニール……?」
ライトブラウンの小さなダイニングテーブルにはアイライナーで『さようなら、優しいお姉さま。今日で可愛い妹は終わり、全部お姉さまのおかげよ』と書かれていた。
末尾には口紅で縦長のハートマークが付いていたが、指で触れると伸びて割れた。




