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第二百七十五話 ヴァルゲインターの過去①



 私が幼い頃、家は裕福だった。




 ロンド家、と名乗ればレストランでもホテルでも態度が変わったし、常に最高のもてなしをされた。

 父も母も私の事を小さなお姫様と呼ぶ時もあったし、悪い気はしなかった。

 家も大きかったし、ゲストルームの正確な数は覚えていないけど迷子になるんじゃないかといつも不安になっていた。

 夜にトイレに行くのがとても怖かったのは覚えている。



 いつも父も、母も、笑っていた。

 それ以外の表情を私は知らない。



 妹が生まれると聞いた時、私は三歳でよく分からなかった癖に喜んでみたらしい。

 だって、そう話した両親の顔が『幸せ』そのものだったから嬉しくなったのだろう。

 幸せの記憶がそこから先も続いているけど、シャイニールが生まれてから数年の間に何もかもが変わってしまった。



 父が、病気になった。



 

 母は病院に通い詰めていたけど、お手伝い天使がいたから家は綺麗なままだった。

 シャイニールが歩けるようになるまでは母と一緒に病院に連れて行って貰えていたけど、その間私は一人で広すぎる屋敷の中で本を読んでいた。

 テレビを見ていると今が何時で、母が帰って来るまでの時間を見せつけられているような気がして嫌だった。



 父の病気は精神的なものだったのだと、今なら分かる。



 会社を経営していた父がどれだけ頑張っていたのかも、いつからか多くなった独り言の中に『騙された』という単語ばかりになっていた事も覚えている。

 でも、当時の私はお金があっても治せない病気がある事が怖くて、何か役に立てないかと必死になって分かりもしない医学書ばかり読んでいた。



 シャイニールの異常性に気が付いたのは私が七歳、彼女が四歳の時だ。

 彼女の美しさと愛嬌、それに比べると自分の容姿の平凡さと不足した可愛らしさが浮き彫りになったがそれでも妹は可愛かった。

 とても良い姉妹だと、誰からも言われていたし、自分でもそう思っていた。




「おねーさま、おねーさま。ほら、見て。おねーさま」 

「シャイニール、それ……なあに……?」



 ある日、シャイニールが庭から綺麗な白い翼を二本持って来た。

 それは作り物ではなく、根元には無理に千切ったのかと思う程の血と体組織が付いていた。



「ツバサ! きれいだから私の背中につけたいなって」



 何も言葉を返せないままでいたが、次に聞こえたのは家からの悲鳴。

 母の声だった。


 その場から離れたい一心で家に駆け込むと、キッチンにへたり込んでいる母と血まみれの床の上に翼の無い鳥がいた。

 ナイフは子供の手に届かない場所にあったせいか、父の工具箱が意味ありげに置いてあった。

 ダイニングテーブルの上には大きなリボンのついた鳥かごが転がり、父宛のメッセージカードがあった。



 心を病んだ父の助けになればと贈られた鳥は、シャイニールの目に留まったのだろう。

 濃厚な血の匂いを胸いっぱいに吸い込んだのは、私もシャイニールも初めてだったはずだ。




×  ×  ×  ×  ×




「お姉さま、私お家に戻りたいわ」

「……いい? 学校でまた問題を起こしたら今度こそママに捨てられちゃうからね」


 といっても、もうこの時点で私達は捨てられたのだ。

 シャイニールは七歳、私は十歳になっていた。


 あの事件からも、シャイニールは度々問題を起こした。

 当然といえば当然なのだが、決定打となったのは自分よりも綺麗な瞳を持ったクラスメイトの顔に実験で使う薬品をかけて笑っていた事件だろうか。


 父は未だに入院しており、家は売り払い、母は実家へ帰ってしまった。

 私とシャイニールは最低限の送金で二人で暮らす事になった。


 もう元の学校にはいられないので街も変えたが、治安はあまり良くはない。

 そんな街に送った事からしても母はきっと「不幸な事件」で私達がなんらかの事件に巻き込まれる事を願っていたのだろう。

 鍵がたった一つしか付いていないアパートで、未成年の子供が二人で暮らすなどあり得ない話だ。



「お姉さま、この本はなあに? 面白い?」



 シャイニールは私によく懐いていたし、私もたった一人の近くにいてくれる家族を愛さない筈が無かった。

 時折顔を覗かせる狂気も、子供が虫を殺してしまうのと同じようなものだろうと考えるようになっていたし、今の学校では問題を起こしていないようなので安心していたのかもしれない。

 そう思う事で未来に希望を持ちたかったのかもしれない。



「医学書。シャイニールには難しいかもね」

「お姉さまは頭がいいのね。私も読んでみたいわ!」


 

 私の好きな物に興味を抱いた妹を可愛い、なんて思った私は馬鹿だ。



「……じゃあ、ほら、これ。医学書が何か分かってる?」

「……んー、これから分かるわ!」




 あの本を手渡した私に罪が無いだろうか。




 その答えは、もう誰にも聞けない。




 シャイニールの屈託のない笑顔に騙されたのは男性ばかりではない。

 現に、この私も彼女を何も知ってはいなかったのだから。



×  ×  ×  ×  ×



 シャイニールが十二歳、私が十五歳の歳だった。



「見て、お姉さま!」



 鳥の翼をもいだシャイニールがフラッシュバックしたのは、あの時と同じ楽しそうな口ぶりと同じような台詞のせいだろう。




「……いやだ、そんな怖い顔をされたら出しにくいわ」




 二人で暮らすようになってから五年が経っていた。

 それまで、彼女は私と同じように医学の世界にどっぷりと浸かり込んでいたし、誰かを助けるという事に興味のベクトルが向いたのだと心底ほっとしていた。


 一年経つごとにシャイニールの美には磨きがかかっていた。

 並んで歩いていても姉妹だと思われる事は皆無だったが、それでも自慢の妹だった。

 美しい中にも知性があり、学力も高い。



 彼女が唯一の家族のように感じられていた。



「……ごめん、なに?」

「はい! あげるわ! これ、学校で刺繍を習ったの! ……練習用の布だから、大きいし……その、上手には出来なかったの。でも、お姉さまと私の名前を縫ったのよ! 魔法じゃないの! すごい? ……ど、どうしたの? お姉さま?」


 『Vargeinter&Shinner』と縫い付けられた灰色の文字に、涙が落ちた。



 妹は、まともだ。



 事件を起こしたといっても善悪など分からない子供だったじゃないか。

 彼女を守ろう、こんなにも妹は可愛らしく、優しい心を持っているのだから。



「スペル、間違ってるじゃん……。シャイニール、はS・H・I・N・E・E・Rだよ。自分の名前でしょ! もう」

「えへへ……」

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