第二百七十四話 種明かし
一発、遅れてもう一発。
甲斐の上に、銃を持ったままシャイニールは白目を剥いて覆い被さった。
この状況からすると現実逃避の思考なのかもしれないが、甲斐はどこか野生動物の捕獲シーンに似ているなと思った。
ようやく気道を塞ぐ力が緩んだ。
反射的に激しくむせ込み、跳ねるように体を起こしたせいで甲斐の上で眠るシャイニールは床へと落ちる。
「ったく、ヒヤヒヤしたぜ。普通なら一発で効くのによ」
スナイパーライフルを片手にノアはダンスフロアの壁に沿うように作られているキャットウォークから梯子を蹴落とした。
点検や、修復に必要なこの場所は裏口からしか入れなかった。
裏口、といっても壁の一部にある取っ手代わりの燭台を引いて入る隠し扉という洒落たものだ。
そこから続いているのは豪華絢爛な内装と打って変わって簡素な通路を進む。
この仕掛けは図面にも載っていない。
乗っていたとしてもそこへ続く仕掛けはキールがいなければやはり分からなかっただろう。
キャットウォークがどの角度から下から見上げても分からないような構造になっているのは、ここがダンスフロアとして使用されているので、若者達が酒に酔って上らないようにする為だ。
「ほら、先に降りろ」
ノアが息を殺して戦況を見守っていたキールに声を掛ける。
「いいか、絶っっ対に落ちるんじゃねえぞ! 落ちてお前が怪我したらうちのリーダーが『怪我一つさせない』っつー血の契約違反になるんだからな! それはまあ自業自得だからどうでもいいか」
突如冷静になったノアは、大きく首を振った。
「いや、やっぱダメだ! その責任はお前を任された俺に来るんだ! 絶対だぞ!?」
「分かった! 分かったよ! ハシゴ位下りれる! あんまりごちゃごちゃ言うとここから飛んでやる!」
× × × × ×
シャイニールの意識が失われた事を霧の中に包まれ、ガスマスクを着用している三人が知ったのは、霧が晴れ、視界がはっきりとしてからだった。
「あ、終わったね。よし、もうマスク外していいと思うんだけど……どうかなリーダー?」
「……自分で考えろ! いつも命令なんて聞きやしない癖に」
わざとらしくシルキーに指示を仰ぐネオに、苛立ったように答えるとギャスパーも口を開く。
「作戦勝ち、ですね。さあ、早いとこ拘束しちゃいましょう。魔法の無効化をしてから手当ですね」
「……カイ!? ……なんだ? ノアのいるとこ、普通の壁に見えるぜ……?」
何が何だか分かっていないのは、シェアトだけだった。
ノアがひょっこりと姿を見せているのは壁の合間のようだ。
「……キャットウォークだ。あそこにいるのはノアと情報提供者。バカ女も最初はあそこからここの戦いを見ていた。バカ女でも俺達の攻撃が止んだらそれを合図に入り口から静かに突撃する位は出来るからな」
面倒そうにシェアトに説明をするシルキーをネオが猫のような口を作ってにやにやと見守っている。
「あの高さから魔法強化無しで飛び降りたら骨の一本ぐらい普通は折るだろうが、バカの場合は知らん」
「へぇ、それ僕も初耳だな。そういう事だったんだ」
ネオが作戦を知らなかったという部分を強調し、シェアトの疎外感を薄れさせた。
「シルキー、ノアが撃ったのは麻酔銃?」
「ああ、ノアなら急所を外して確実にヒットさせる。それに俺とノア以外は作戦は知らないのは、不慣れなコイツもいたからだ。目線でノアの位置を知られては面倒だ」
シェアトの事を目を細めて咎めるシルキーから、シェアトは目を逸らしてしまった。
「やはり一撃では仕留められなかったようだが、明らかに不慣れなバカ女が撃っているように見せかけた方があの女も油断するだろ」
「じゃ、じゃあ……俺達の仕事っていうのは……」
「標的に余裕がある内にバカ女を突入させていたら真っ先に狙われる。アイツを見てると万人がイラつくからな。それにポイントを合わせているとはいえ、違う場所から発射されていることぐらい弾道を読まれたら分かるだろ。その余裕を削り取るのが俺達の役割だった。……と、お前は全てを説明されないとダメなのか?」
片手をひらひらと振るシルキーに、シェアトは何も言えなくなってしまった。
自分だけが何も知らないまま、ここに立っていたのではない事を知らされたが残ったのは後悔だった。
「それに切り札を隠し持たれていたら面倒ですからね。腹部のガードと、更にこちらをまとめて動けなくしようとした所を見ればあれが彼女の限界なのだと判断できます。……非戦闘員にしては十分すぎるほどだと思いますがね」
ギャスパーの話を聞かぬふりをして先を歩くシェアトは振り返らなかった。
最も自然に先を行くタイミングだと思った。
歩きながら話していたおかげで誰の顔も見る必要が無い。
という事は、誰も自分の顔を見ていないのだ。
今の顔は誰にも見られたくなかった。
こんなにも恥ずかしいと思ったのは初めてだ。
注意もせず、追いかけても来ないところを見るとシルキーは分かっているのかもしれない。
自分がリーダーを、このメンバーを一瞬でも疑った事を。
仲間を簡単に使い捨てるのかと、目的の為なら手段を選ばないのかとケヴィンの死を思い出し、勝手に憤り、一人で暴走しかけてしまった。
「(なんで……信じられなかったんだ……)」
仲間を裏切るような人間はここにはいない。
「(アイツと、違って)」
「……シルキー?」
ネオが徐々に歩く速度が遅くなっているシルキーを振り返って呼んだ。
声を掛けた時、シルキーはとうとう立ち止まってふらふらと体を微かに揺らしている最中だった。
ネオの声にシェアトは少しだけ振り返り、シルキーの様子を見て名を呼ぶ。
「……シルキーさん……!?」
「いいから……標的を、拘束しろ……」
掠れた声で小さく命令するシルキーの強がりも、続かなかった。
「あーらら」
ギャスパーの声も、聞こえていないのだろう。
そのまま倒れるなどプライドが許さなかったのか、ゆっくりとその場に腰を下ろすと足を伸ばし、右足の膝を立てて顔を伏せてしまった。
「……さっきの霧を少し吸ったんでしょう。心配無いですよ。ネオ、標的を拘束しましょうか」
「あ、じゃあ僕が先に魔法無効化しておくからギャスパーはヴァルちゃん泡から出してあげてよ。治療もあるし。シルキーも後で診てもらおうか」
てきぱきと仕事を進める二人に付いて行けず、シェアトはシルキーに駆け寄った。
確かに息はしているし、脈もある。
ただ眠っているだけらしい。
「(あの時……俺がガスマスクを取り出せなかったから……!)」
シルキーは自分のガスマスクをあててくれたのだ。
あの霧が一体どんな効果があるかも分からなかったのに。
「……すみません。……ありがとうございます、リーダー……」
× × × × ×
泡から久しぶりに出されたヴァルゲインターは、遠巻きにシャイニールが次々とギャスパーに魔法を掛けられているのを見ていた。
連行する為、手足を拘束して視覚と聴覚を奪い、徹底的に警戒しているようだ。
「ヴァルちゃん、お疲れのところ悪いんだけど一応手当入ってもらってもいい?」
ネオににこやかに声を掛けられたヴァルゲインターは、はっとしたように彼を見上げる。
「はいよ。……これからあちこちもいだり、千切るのに手当てするってのに最高だわ」
近付いてシャイニールの傍に腰を下ろす。
妹の寝顔は、幼い時から変わらず美しい。
そっとシャイニールの患部を治療しながらヴァルゲインターの意識は過去の追憶を始めていた。




