第二百七十三話 シャイニールVS甲斐
飛び乗った泡の上でどうにか中へ入ろうと両手の指を全てメスに変え、狂ったようにヴァルゲインターの入っている泡の表面を引っ掻いていたシャイニールは顔を上げた。
「……なぁに……?」
銃声により、周囲を警戒し始めたシャイニールはにたりと笑みを浮かべている。
「まだ、一緒に遊ぶのぉ? しつこい男って、嫌われるのよねえ……」
仰向けになり、泡の中でどうにかシャイニールとの距離を取ろうとしていたヴァルゲインターは何が起きたのか分からずにいると、露出の高いシャイニールの腕から急に血が流れ出した。
先ほどの銃声は威嚇射撃などではなかった。
痛みを感じないシャイニールは自らの腕に銃弾が触れたことにすら気付かなかったようだ。
「ヘイヘイ姉ちゃん! こっちこっち! 数撃ちゃ当たるんだよ! そう、マークシート方式のテストのようにね! ……あれ?確かあの時は補習だったっけ……?」
浮かぶ泡の下でちょろちょろと走り回っているのは甲斐だった。
その手には小型の銃が握られており、口径も小さいようだ。
どこから出て来たというのか、いつの間にかダンスフロアに現れた甲斐にシャイニールは眉をひそめる。
一方で甲斐はそう言いながらも、内心はどぎまぎしていた。
「(なんて言ってみたけど撃ったのあたしじゃないんだよね……。でも撃たないと……。初めて持ったけどピストルって結構重いし……。つかアレってホントにさっきのセクシー美女? なんかびちょびちょだし、顔怖いんだけど……)」
甲斐が任せられたのはノアが狙撃する位置を悟られない為のカモフラージュだった。
ノアが抱えているのはスコープの付いた銃身の長い狙撃銃である。
引金から何からマットブラックで統一されており、出番を待つこの間に弾道修正を終えたと言っていたが甲斐はこの辺りから理解の範疇を越えたらしく無意識に口が開いていた。
甲斐に銃を渡す、と言ってベストや腕、パンツのポケットの中から細かな部品を取り出すと手際よく組み立て、やがて完成した小さな銃を甲斐に渡した。
ノアが言うには旧式武器は大きな銃よりも小銃の方が扱いにくいらしい。
ましてや初心者が的に当てるのは至難の業で、相手が人間となると尚更難易度が上がってしまう。
的は動くし、狙いを定めて引き金を引いてもその銃の癖や弾道の飛び方、タイミング、そして反動までおまけにしては豪華に付いて来る。
だから当てる事は考えず、ノアが潜んでいる方向へ自然に向かい、そして撃って欲しいと言った。
思わず頷いてしまったが、こうして対峙してみると使った事の無い武器というのは酷く重荷だった。
甲斐の持つ小銃に弾薬は入っておらず、代わりに空砲が六発詰められている。
その説明を最後まで聞かぬまま、勝手に殺傷能力の無い、音だけの物かと思った甲斐は何気なくこめかみに向けておどけてみせたがノアに激しく怒られた。
『こういうヤツがいるから事故が起きる』と言ってげんこつを落とされた痛みは未だに残っている。
「(まずはここ……っと!)」
指定されたポイントまで走ると、シャイニールの注意を引こうと挑発を仕掛ける。
「ヘイヘイ、セクシーねーちゃんこっちこっちぃ! おい! こっちだって! コラ! 下りて来いよ! か、覚悟しろ!」
「だいじょーぶぅ? 腕なら別に切り落とせばいいだけなの、せっかく当てたのに残念でしたぁ~」
完全に珍獣を見るような目つきで見下ろしているシャイニールは泡の上から下りる気は無いらしい。
甲斐は銃を構え、ノアから叩き込まれた知識を暗唱する。
「(えっと、引金は……『撃つ瞬間まで触んなよ絶対だぞ』……って言ってたな……。ん? あの言い方って触れって事だっけ……? 左手で右手を包み込む……こう、か……。目線まで持って来て……大事なのは、おどおどしない。おどおどのおどおどってなんだ……)」
構えてから撃つまでのタイミングは任せると言っていた。
ノアは今、甲斐の背後で待機している。
シャイニールに銃を向け、未知の反動に備え、引金を引いた。
銃声は、甲斐の体を生かす細胞一つ一つを目覚めさせるほどの轟音だった。
本来ならば二発分の銃声が重なっているが、タイミングまで完璧に合わせて来たノアの腕により素人には一発分しか聞き取れない。
少し上に跳ねた銃を握ったまま、甲斐は歯を食いしばった。
腹を抑えているシャイニールの隙間から、鮮血が徐々に流れていく。
「……ンのガキがああああ! そんなに死にてぇかああ!」
「めっちゃ怒ってるじゃん! 全然避けようともしないからほらあ!」
泡の上から飛び降りると、甲斐目掛けて四足で駆けて来る。
シャイニールに背中を向けてとうとう甲斐は走り出した。
次のポイントまで行かなければノアが撃てない。
魔法攻撃の禁止令が出ている今、身を守る術は無い。
魔法攻撃が出来ると分かれば、旧式武器をこの状況で使うという不自然さにシャイニールが気が付いてしまうからだ。
かといって走るのが特別早い訳でもないのですぐ後ろまで、シャイニールの指であるメスが床に当たる音が迫っていた。
ギリギリ、といったタイミングでポイントにしていた左側の中心点に辿り着いた。
転びそうになりながら止まり、振り返るとすぐ目の前に鬼の様なシャイニールの顔と振り上げられた手が見えた。
銃を構えたが遅く、更にこの銃には弾が込められていない。
甲斐が自分を信じきることが出来ずに、ほんの一瞬躊躇した。
それが命取りになった。
走り寄ってきた勢いのままシャイニールに首を掴んで押し倒されてしまった。
「私のスペアにしてやろうと思ったけどぉ……ダメね。手足も短いしぃ……体自体ちっちゃいからなあ……。後は……使えそうなのって……血? あーっ! そうだ! 思い出したの、やってみたい実験があるの! 協力してくれる?」
首を挟み込むように指で圧迫しながら覗き込んで微笑むシャイニールからは高級そうな石鹸の香りがした。
まだ乾ききっていない彼女髪から落ちた水滴が甲斐の顔に掛かる。
何度酸素を取り入れても、吸った気がしない。
視界にはちかちかとおかしな光が見えてきた。
銃を掴んだままの手で何度もシャイニールの細腕を殴りつけたが、痛みを感じていないせいで怯みもしない。
頭を殴りつけると、上げたままの口角が微かに何度か痙攣したがそれだけだった。
やがて力が入りにくくなり、銃を取り落としてしまった。
手探りで落ちた銃を拾い上げたのは甲斐ではなく、シャイニールだった。
「私の顔、綺麗でしょ? 元からなの。この大きな胸も、細い腰も、綺麗なおしりも」
うっとりとした口調で話すシャイニールは、突然豹変する。
「それを私よりも不細工なアンタみたいなガキに傷つけられるのって、許せない! これから飛び散る脳ミソ、自分の舌で舐め取らせてやるから覚悟しな!」
甲斐の額に銃を突きつけ、歪んだ笑顔は醜かった。
「(顔怖いし発想も怖い……! ダメなんだって! 空砲だけど当たると危ないんだって! ノアにげんこつされるって! ヤバいって!)」
甲斐の焦りの中、再び銃声が響いた。




