第二百七十二話 作戦を教えて
ネオ、シルキー、シェアトの三人がかりで暴行を一方的に加え続けても、シャイニールは笑っていた。
シャイニールの視線の先にはヴァルゲインターがいたが、姉は無表情にその様子を見ていた。
シルキーが標的の横っ腹を先の硬いブーツで蹴り上げ、床に転がした時にシェアトは思わず目を背けそうになった。
いくら人道に反し、人を殺す事を何とも思っていないという最低な標的だと分かっていても見かけは若く美しい女性であり、男三人で暴行をしているという状況は気分が良くない。
単純に絞め落とせばいいのではないかと思ったが、シルキーの命令では『絶対に一度攻撃をしたら距離を取るように』と言われている。
それに従いシェアトも何度も、何度も地道に打撃を与えていく。
普段の任務では感じる事の無かった罪悪感や、人を痛めつけているという生々しい手応えに不快感が酷い。
人の体を蹴り上げる感触、重み全てが自分を責め立てる。
これが目指した『正義』かと。
やがてシャイニールは腹の部分に防御魔法を展開したのか、足に当たったのはまるでアスファルトの様な硬さだった。
足を宙に浮かせて痛みに耐えながらシェアトが引くと、シルキーはギャスパーと顔を見合わせている。
ネオは笑顔を崩さずに何度も背中を踏みつけていた。
「……まだ足りんな」
「本当? じゃあ、まだまだ頑張らないと! でもずっと相手が笑ってるってつまらないねえ」
ネオがポケットに手を突っ込みながら無表情で頭に向けて足を振りかぶった時、シャイニールは獣のように素早く身を起こした。
そして速度を落とさず床を四つん這いで這い回り、壁へと向かう。
縫い付けたばかりの左手はまるで最初から彼女の物だったようにしなやかに動き、四本の手足は強化され、更に壁に貼り付いて蜘蛛のように動き回っている。
「……なんだ限界だったのか。新しい素材探しってトコだな」
シルキーが小首を傾げ、まるで小動物を愛でるような瞳でこちらの様子を伺っているシャイニールを見ていた。
「ガッカリしちゃった……。てっきり私を殺しに来てくれると思ったのに……拍子抜けよ。もう、飽きちゃったわ」
それは気高い猫が闊歩するようにも見えた。
ペタペタと音を立てながら壁を歩くシャイニールは腰を突き上げ、胸を強調するかのように手を交差させている。
歩きにくいのか高そうなパンプスは早々に脱ぎ捨て、床に落とした。
その退屈そうな声とは裏腹に、シャイニールのグレーの瞳は流れるようにしてこの空間を警戒しながらせわしなく動いている。
泡の中に入れられた彼女の『パーツ』である人々を見ているのだとシェアトは分かった。
使えるスペアはもう無いのだ、彼女はどうするだろう。
そしてギャスパーもそれを狙ってああして人々を助けるかのような行動に出たのだろう。
逃げるか、戦うか。
そのどちらかしか道は残されていない。
「これで終わり。久しぶりに、楽しかったわあ……貴方達、みんな顔がいいし……体も魅力的。だから私の一部として、これからも一緒にいましょうね」
「みんな! 霧が! 霧が出てるよ!」
高評価を貰った当人達はヴァルゲインターの言葉で気が付いた。
三人を取り巻くようにドームの中と同じように霧が起き始めていた。
その声にシャイニールも反応した。
怒れる獣のように顔を醜く歪め、吠える。
「また……またお姉さまは私の邪魔をするの…? 何回私を裏切れば……気が済むのよおおおおお!? ええ!?」
強化された脚力を使い、壁からヴァルゲインターの泡に向けて跳んだシャイニールを目で追いながらシルキーは皆に怒鳴った。
「マスクを付けろ! 早く!」
出動の際にシルキーからの指示で普段は使用しない防毒マスクを腰に付けていたポーチから素早く取り出す。
手慣れているギャスパーと、使用したことが無いせいで縮小されているせいでもたつくシェアトはどうやってサイズを戻すのか悪戦苦闘していた。
到底間に合いそうにないと判断したのか、口元に押し付けられたのはシルキーのマスクだった。
代わりにシェアトが手に持っていたマスクを奪い取られ、早く装着するように顎で指示をされた。
軽く頭を下げ、シェアトは片手で口元のマスクを抑えながら頭にバンドを回そうとすると、ネオが両手でバンドを留めてくれた。
その頃には目視できる程に霧が濃くなっている。
「……あの女の隠し技はこれが限界だな。引き出しも空だろ」
籠った声でシルキーが言うとギャスパーも同意する。
「元々戦闘員じゃないですからねえ、医者が本業だとしたらむしろよくここまで戦力を高めたというか。女性が毒を吐く、というのは確かでしたね」
「……ギャスパーって意外と下らない事言うよね。嫌いじゃないよ。ただ、寝起きの僕にはキツイかな」
ネオが肩を小さく上げると、ふっとシルキーが笑った。
この会話に参加どころか全く笑えなかったのはシェアト一人だ。
「助けに、助けに行かないんですか……!?」
皆、シェアトを見るが何も言わない。
「まさか……! あのメガネってオトリってのは分かってますけど……そうじゃなくて……死んでもいいとかそういう意味の……『オトリ』だったんですか……?」
シェアトはダンスホールのドアを開く前に聞いた作戦を思い返していた。
偉そうなキールがどうだといわんばかりの顔で経路を説明しようとした時に遮ったのはシルキーだった。
まず自分に教えるように、と。
そして手短に話を聞くと今度はノアを交えて三人で何かを話していた。
最終的に何故かシェアトとシルキー、そして中にいるギャスパーとネオで標的を攻撃すると伝えられた。
疑問すら抱かなかった。
ノアの周りを回りながらキールの腕を引いて隠し通路へ向かった甲斐が今どこに潜んでいるのかも分からない。
一体彼らは何を話し合ったのだろうか。
ヴァルゲインターに飛び掛かって行ったシャイニールを止めようともしない二人にシェアトは背中に嫌な汗が滲むのを感じた。
まるで全てが終わったかのような口ぶりで話し始めたのだ。
霧の立ちこめる中、息がし辛いのはこのマスクのせいだけではない。
ギャスパーとネオは作戦自体知らないはずなのに、呑気に雑談を始めている。
「俺達の仕事は終わったろ?」
吐き捨てるようなシルキーの物言いに、シェアトは頭に血が昇った。
『仕事』はあの女を生け捕りにする事だ。
ちょうどこの霧のおかげで互いに状況が見えないが、戻って来た標的を捕らえようとしているのだろうか。
現にまだ『仕事』は終わっていないのに。
従わなければけないのは分かっている。
分かっているが、それは仲間を見殺しにするという誓いじゃない。
自分だけでも助けに行かなければ。
そう思い、走り出そうとした腕をネオに掴まれた。
「邪魔になるから、大人しくしないと。ね?」
「離せ! 見損なった! お前も、シルキーさんもだ! 俺だけでもっ……」
すぐ近くで、銃声が響いた。
その音は召還武器では有り得ない音。
思わず身をすくめてしまう、この音は旧式武器の銃声だった。




