第二百六十五話 ダンスフロアで踊りましょう
地下のダンスフロアへ降りたネオとヴァルゲインターは赤い鉄の扉を押し開けた。
防音魔法でなければ抑えられなかっただろう音の波は二人をあっという間に包み込んだ。
どこから、という疑問が消し飛ぶほどにこの空間全体に音という音が満ちていた。
ダンスフロアというだけあって、若者たちが腕を上げ、足を上げ、床の上で見事なダンスを披露している。
激しく点滅するような光のせいで人々の動きがコマ送りのように見える。
一際目立つ壇上ではDJと思われる男性が勝手に動き回る機材に動きを合わせて音を操っている。
「(やられた……!)」
ネオは口元の笑みを崩さぬまま、好戦的な目をした。
三百、いやそれ以上はいようかという人の中でこの暗さ。
この中からシャイニールを探すのは楽では無い。
「どうする!? あの女、絶対ココにいるよ!」
両耳を抑えて声を張り上げるヴァルゲインターの後頭部にネオは手を伸ばし、そっと包み込んだ。
ヘルメット越しとはいえネオの大胆な行動にヴァルゲインターが混乱したのもつかの間、前へ倒すように頭を思い切り押された。
耐えきれずにヴァルゲインターは前に倒れ込む。
人の足に踏まれないように這いつくばりながら避け、どうにか立ち上がるとネオが男をねじ伏せている所だった。
「そいつはシャイニールじゃないよ!?」
「分かってるよ~、ヴァルちゃんが襲われる寸前だったから助けてあげただけ。ほら、気を付けて!」
ついさっきまバーテーブルの上で彼氏に官能的なダンスを披露していた女性が突如、その上に立ち上がりヴァルゲインター目掛けて助走も無しに飛びかかって来た。
こちらに飛んでくる事が分かっていた。
それでも咄嗟の出来事にヴァルゲインターの頭は真っ白になった。
何も出来ないまま、突っ立ったまま近づく女性の顔を見ていた。
「ね? 危ないでしょ?」
後ろからネオがヴァルゲインターを引き寄せ、女の手を持って組み伏せようとしている。
「……女性の力にしては強すぎるなあ、一人一人拘束してたらこっちが力尽きちゃいそうだ」
両手首を掴んでも歯を剥き出し、眉間に皺を寄せ、食らい付こうとして来る。
この女性が普通では無いというのもヴァルゲインターだって分かっていた。
床に組み伏せた男はネオが締め落としたが、いずれ目覚めるだろう。
そうこうしている内にヴァルゲインターとネオの周りに人が押し寄せようとしていた。
「ヴァルちゃんこっち!」
らちが明かないと思ったのか、ネオは女性の頭に頭突きをして意識を飛ばし、額を抑えながらヴァルゲインターを抱き留めた。
「しっかり掴まって」
「つ、掴まるって……!」
こんな時、どこにどう手を置いたらいいのか分からない。
この年まで男女交際の一つもしてこなかったからだろうかとヴァルゲインターは自分の人生を悔いた。
まごついていると、ネオは片手を大きく振った。
一気に人の波が壁際へと追いやられる。
背後の人々も天井まで風によって巻き上げられて、ばらばらと積み重なるように落ちて行った。
「あーあ、つまんないの。たったこれだけかあ……。魔法で反撃してくるわけでもないし……。ヴァルちゃん、大丈夫だった?」
「だ、大丈夫に決まってんでしょ! 離してほら!」
いつも、自分から触れているのに。
相手から触れられるというのはこんなにも戸惑ってしまうものなのか。
いつの間にか音楽が止まっていた。
全く関係の無い場所にいたはずのDJはステージの派手なペイントを血で上塗りし、息絶えている。
パチ、パチ、パチとやる気の無い拍手が静かになったこのホールに響いた。
「良かったぁ~。お姉さま……イイ人、見つかったのねぇ」
問答無用とばかりにネオはヴァルゲインターから離れ、飛ぶようにシャイニールの元へ走る。
突如人々が襲い掛かって来たのは魔法のせいだろう。
理性を飛ばし、更にターゲットに向けて操るには相当の魔力と使い方を理解しているはずだ。
シャイニールの生け捕りを指示したシルキーとダイナを恨みつつ、彼女の腹部目掛けて圧縮した風力を打ち込む。
だが、片腕でガードされた。
攻撃の威力を考えても、彼女の腕一つで抑え込めるとは思えない。
案の定皮膚が裂け、肉が弾け、そして骨が軋み、内側から壊れる音が聞こえた。
「んー……でも暴力的な男はやめた方がいいかもぉ」
シャイニールは苦笑をヴァルゲインターに向けると、皮一枚で繋がっている右腕を左手でもぎ取った。
ネオは首を傾げてその様子を見守る。
「あら、これで終わりぃ? こんなに綺麗な女性の細腕に攻撃しといて今更躊躇するなんて! おかしな方ねぇ」
元々あった位置に腕を持っていき、患部を手で抑えるようにして指先でカリカリと掻いている。
するともぎ取ったはずの腕は、繋がった。
そして手を回すようにして全体を撫でると元通り、動くようになった。
「(……幻覚……? いや違う……)」
冷静にネオはこの状況を分析する。
確かに血液も、その匂いも、壊した時の感触も本物だった。
シャイニールと接触したのはこれが初めてである。
幻覚剤のガスが散布されている可能性も考えたが、彼女は平然としている。
そもそも追いかけて来るかも分からない人間の為にここへ散布するのも効率が悪いだろう。
ダンスホールのドアを開いた時、ここにいる若者達の様子は普通だった。
「痛覚を無くしているね? なんだ、もっと面白い仕掛けかと思った」
ネオの周りに風が吹き始めた。
やがてそれは前髪を揺らす程度の風から壁を抉り取る威力を持ったものへと変化していく。
「切り刻んでみるよ、まずは両腕から」
予告通り、そして予告から一秒も経たない間にシャイニールの肘から下の腕は床に落ちていた。
それでも尚、目を細めて笑うシャイニールが解せずにいる。
全く動じないどころか、攻撃すらもしてこない。
「いいのよ、気にしないで。代わりなんていくらでもあるから。思う存分、暴れなさい。坊や」
切り落としたはずの腕が、床の上でぴくぴくとまるで命があるように動きだした。
そして手のひら全体で反動を付け、手の甲を上にすると、体制を整えると指を使ってまるで蜘蛛のようにフロアへと走り出す。
血を肘からぼたぼたと流しながらシャイニールは我が子を見るようにネオを優しく見つめていた。
『代わりはいくらでもある』
確かにそう言ったシャイニールの言葉の意味はもうネオには分かっている。
標的を放って走り出した手を探したが遅かった。
床に積み重なっている中から現れた右手は人差し指をメスに変えた瞬間を見た。
次にシャイニールの手が現れた時、その刃の先にシャイニールの腕とよく似た細く綺麗な腕を刺して掲げていた。




