第二百五十七話 シェアトの傷
散々見知らぬ同業者の叫びを『最後まで』二度も聞いたドクターは最後の一人だ。
『治癒室』という名の『拷問部屋』へ連行される直前、目隠しをされていたにも関わらず、声を辿り甲斐の方を確かに向いて言った。
「アタシが悪だと言うなら、アンタ達はどうなる? アンタ達は人間じゃない。ヒトの皮被った悪魔だ」
その言葉に黙るかと思われた甲斐は言葉を返した。
「……皮を剥いでみないと分かんないな。当たってるかも」
シルキーは腹部を殴って甲斐達が連れてきた女医を黙らせると、引きずるように治癒室へ向かった。
シェアトはギャスパーに転がされた時からしゃがみ込んだまま、誰とも会話をしようとしない。
「さて、俺達も役目御免だな。あー、寝るかあ」
役目の終わりを切り出したのはノアだった。
ネオもその言葉に思い切り伸びをする。
「そうだね、後は中尉とヴァルちゃんで話を整理してくれるだろうし。こういう時に限って寝始めた頃に呼ばれたりするんだよねえ……」
ノアと共にネオがここから動き出した。
シルキーは壁に寄り掛かり、立ったまま仮眠を取っていたようだ。
甲斐が近付くと素早く身を固めて目を見開いた。
「お目覚めっスか? 戻っていーってノアとネオが」
「……近い。さっさとこれを脱ぎたかったんだ。どけ」
「これってここの服っすか? いーなー、かわいー。いーなー。捜査用っすかあ?」
ちょろちょろとシルキーの周りをうろつく甲斐に嫌気が差したのか、シルキーは黙ったまま背中に手を持っていき、ファスナーを下ろした。
「ちょちょちょ! 公開ストリップならどうぞノアとか喜びそうな人の前で!」
編み上げのブーツはロングで、ワンピースのフリルは膝下まであるタイプだったので気が付かなかった。
シルキーはその下に細身の黒いパンツを履いていた。
細い腕回りから乱暴に腕を抜くと、ワンピースはシルキーを円の中心として囲うように床に落ちる。
ノアやシェアトと違いあまり肌を人に見せないシルキーの上半身は白く、細い。
それでもやはり胸の膨らみはなく、薄く割れている腹が意外だった。
「まじまじ見るなよ、気持ち悪い。ほら、捨てるなり洗って飾るなりすれば? 」
甲斐の顔目掛けて投げつけられたワンピースは甘い洗剤の香りがした。
「まあ、お前よりもビビりまくってるワン公の方が似合うかもね」
シルキーは甲斐の反応を待たず、行ってしまった。
投げつけられたワンピースを持ったまま、甲斐はシェアトに近付いたが顔を上げようともしない。
「……さて、私も戻ります」
「そっかあ……。おやすみ、ギャスパー」
「……そっとしておいた方が良い。噛みつかれたら災難ですよ」
ギャスパーの忠告も、甲斐には届かない。
皆が消えてから、やはりシェアトを無視して部屋には戻れない甲斐は声を掛けた。
「シェアト、だいじょぶ? あたし戻るよ?」
「……ああ」
たった一言、そう言ったきりシェアトは甲斐と共に戻らなかった。
ロビーで座ったままのシェアトを甲斐は何度も振り返りながら、ギャスパーと並んで歩く。
珍しく隣に並ばれたギャスパーは甲斐を見ると、困ったような顔をしていた。
「……気になりますか」
「シェアト、辞めちゃわないかな?」
「……さあ」
たった一言で返事が終わると思っていない甲斐は続きを待っていた。
その期待に気が付いてしまったギャスパーは面倒そうに推測を話す。
「ここに強い憧れを抱いて入ったなら危ういですね。私達がスーパーヒーローだと思っていたんでしょうか」
「思ってたと思うなー! シェアト、ヘンなとこ真面目だし……。いや、あたしもショックだよ!? 未だにさっきの断末魔が録音の音声なんじゃないとか思ってるけどさ! しかもヴァルちゃんがその担当とか今後『腹掻っ捌くぞ!』 みたいな冗談に笑えないじゃん!」
「……頼もしい事です」
「……でも、あたしはショックとかさっきの人達の事よりもヴァルちゃんが心配だよ。それと、シェアトも。シェアト思い込み激しいからヴァルちゃんに失礼な事言って、標本にされないかなとか……」
「へえ、第一号になってみる?」
後ろからヴァルゲインターが甲斐の髪を引っ張った。
青冷めた甲斐は適当な念仏を唱え始めた。
「ウン! ギリギリ! ソッカ! ウン! ギリギリ! ソッカ!」
髪を掴んだ手を放し、前に回ったヴァルゲインターは頭から爪先まで返り血に塗れていた。
「死体処理もこれからだし、忙しいんだよ。なんなら手伝う? 細切れとか、油っぽくて大変なんだよ」
親指を治癒室へ向けるヴァルゲインターに甲斐は死んだ目で答える。
「自分のお尻は自分で拭いて下さい」
「つれないね、ったく」
「で、どうでした? 成功しました?」
「たまの役目でヘマするようじゃあ、ここにいられんでしょ」
ひらひらと手を振って上官室へ向かうヴァルゲインターを甲斐が追い掛ける。
「シェアトが錯乱して失礼な事言ったら解体しちゃう?」
「……はあ?」
疲労困憊なヴァルゲインターはむしろ意味不明な質問をした甲斐を解体したいと思った。
「ああ、そっか。カイもワン公も『尋問』は初めてか。日が悪かったね、脅しの意味も込めて複数人いる時は防音解いてるし。……ワン公が吠えても若さって事で流してやるよ」
ヴァルゲインターは明らかにほっとした甲斐を不思議そうに見た。
「人の命を奪えないとかなんだか言って悩んでた癖に……全く、アンタはよく分かんないわ」
「あはは、乙女の心は読めないものってね!」
甲斐はそう言って笑い、くるくると回った。
「(……あたしががここにいる理由、それはシェアトを守る事。その為に距離を置いて彼の負担を減らしたのに)」
それなのに、こんな所でシェアトの心に傷がつくとは思っていなかった。
シェアトの気持ちも甲斐は分からないでもないが、連行したドクターが拷問の末に殺された事よりも今の甲斐にはシェアトの心に付いた傷の深さと、あれだけ憧れていたこの特殊部隊に対する思いが変わる事の方が重大だった。
「(シェアトが最悪、ここを離れる事を選んだとして……どこで何するんだろ……)」
そうなった場合、自由の利かないこの部隊を抜け、やはりシェアトを追うべきなのか。
微妙に開いてしまった彼との距離。
これを埋めない限り、シェアトは胸の内など到底話してはくれないだろう。
「あっちゃあ……」
× × × × ×
その頃、誰の目にも触れずに自室へと戻っていたシェアトは明かりも点けぬまま、ベッドに寝転がり天井を見つめていた。
酷い罪悪感を感じていたが、今更全てを無かった事には出来ない。
ただ、前に進むしかないのだ。
「……チッ、弱ったとこ見られちまった……。カッコ悪ぃ……」
学生の頃より、力は付いたし機転も利く。
武器召喚のレパートリーも増えたし、体も鍛えた。
それでもまだ、『強さ』には遠い。




