第二百五十三話 ネオと甲斐のコンビプレー
僕はヴァルちゃんの涙を見たのは夏の日だった。
僕と二人きりの空間で話をしている時に彼女が泣いたが、決して泣かせようとした訳じゃなかった。
「ヴァルちゃんってどうして仕事が嫌いなの? こんなに腕がいいのに」
腕前の生き証人となった体を無意識に触りながら言うと、彼女は眉をひそめた。
「……仕事が嫌いなワケじゃないさ。ただ、あたしの仕事ってアンタらが傷つく事を今か今かと待ち構えてるしかないじゃん? それって、なんか最悪だよね」
「だから、お茶を飲んで鼻歌交じりに事務処理しながら平和な時間を楽しんでるの?」
いつ来てもここにいる彼女はマグカップ片手にペンを握っている。
最近ではとうとう僕が負傷して入ってきても振り返りもしなくなっていた。
「アタリ。景品として痛覚麻痺無しの手術を体験できる権利をプレゼンツ!」
「それ、貰えるなら僕は誰かにプレゼントするよ。……ヴァルちゃんって真面目だよね」
「褒めてんの?馬鹿にしてんの?」
睨む彼女の視線を躱すと、彼女は僕と同じように冗談めいた口調で言った。
「ま、あたしの願いは誰もここに来ない事かな。その為にはアンタみたいにわざとあたしの仕事を増やそうとする人間が退職して、無傷で生還してくる優秀な人材が入ればいいんだけどね」
「でもそれじゃあこうやって時折、治療ついでにお茶に付き合って謎の女医と交流を深めてくれる『勇敢な隊員』は消えちゃうよ? いいの?」
「どうかねえ、アンタはいつかホントに戻って来なそうで怖いわ。……もう怪我しなくてもいいんじゃないの?」
切られ、飛ばされ、千切られ、焼かれ、吹き飛ばされてきた。
経験としては十分だと彼女の瞳が言っている。
「ありきたりな武器はもう当たる気も無いけど、珍しい武器や攻撃を目の前にすると体が勝手にね!」
これ以上言葉を続けると本当にメスが僕の腹を切り裂きそうで、慌てて話題を変えた。
「そういえばヴァルちゃんって毎日リボンが違うけど沢山持ってるの?」
「これ? ……いや、これ一つだけだよ。柄を変えてるだけ」
彼女が窓に寄り掛かると部屋の中に影が差し込んだ。
「大切な物? もしかして、特別な人からのプレゼントとか?」
「あたしに興味津々だねぇ、もしかして気でもある?」
「かもしれないね。なんて」
目を逸らして横を向いたヴァルちゃんが赤くなっていた。
「これは妹から貰ったものなの。だから一応特別な人」
誤魔化すように声を張ったのもよく覚えている。
「妹さんがいたんだ。仲良いんだね」
はっとした顔でこちらを向いたヴァルちゃんの目から、ぼろぼろと大きな涙が零れた。
突然の涙に何かいけない事を聞いてしまったような気がしたけど、気の利いた言葉の一つも出て来なかったのはいつも強気なバルちゃんが眉尻を下げている表情がとても愛らしく思えたから。
「まさか職場で妹の話をするとは思わなかったわ! 私達姉妹の仲が良かったのなんて遠い昔の話。今はお互い何処にいるのか分からんからね」
「何をしているのかは分かっているの?」
「……あたしと同じ、医者という職業だけど志は真逆だね。カミサマにでもなったつもりでいやがるんだからタチ悪いわ」
それだけ言うと話を終わらせるようにまた顔を隠すように窓の方を向いてしまった。
それっきり彼女は何も話さなかった。
彼女の痛みを、僕は知らない。
気にはなるが、傷の深さも分からないのに広げてしまってもいいのかも分からない。
血の代わりに流れるのは涙なのだ。
だからこそ、これ以上その話を掘り下げられなかった。
それからも僕に対して明るく接してくれていたし、僕もノアのおかげで毎日明るく、そして健全に特攻しながら楽しくいられた。
知らなくて良い事もあるのだ。
僕も僕の全てを誰にも話した事が無いように、口にしてはいけない事だってある。
× × × × ×
「ネオネオ! おっそいよ!」
「ごめんごめん、軽く治療してもらってたんだ」
アナウンスが掛かってから普段よりも遅れてミーティングルームにネオが入るとそこには甲斐が一人、椅子に座って頬を膨らませていた。
「今回はあたしと二人でなりすまし調査だってさあ~! そんなのまであたしらがやんの~? あたし演技とか小学校の学習発表会以来だけど大丈夫かなあ……」
「……なりすましかあ、ちなみにカイちゃんがやった役は何?」
「一章が『草』と、二章が『岩』で、『最終章』がカカシ!」
「(全てに共通しているのは台詞が無いということ……。そして一章ではあったであろう風に揺れるような動きすらも二章では封じられ、三章ではとうとう磔にされている……。導き出される結論は……演技力どころか『邪魔』……!)そうなんだ」
この任務に危機感を持ったネオはデータを必死に読み漁る。
その横で、ミーティングルームの暗さに眠気がやって来た甲斐が大きな欠伸をした。
毎度の事だが甲斐はミーティングルームにあるデータには目を通さない。
その為、組んだ相手が内容をよく把握して甲斐を操作するのも仕事の一つとして理解されている。
以前はシルキーが彼女にうるさく嫌味九割の指導を行ったが、中途半端に理解をした甲斐の暴走の後始末の方が組んだ相手が内容を理解して彼女に指示を出す何倍も疲れる事が分かったからでもある。
「よし、オッケー。カイちゃん起きて」
「んあ。どう? あたしの言った通りだったでしょ~? どっかに患者としてなりすましてあたし達が行ってー、不法行為が行われてるか調査するんでしょ?」
「そうだね、闇医者が横行しているみたいだからそこを一斉検挙する為にチーム分けされたみたい」
甲斐はネオからの指示をウキウキしながら待っている。
一度小さく咳払いをした後、いつも通りの笑顔を貼り付けてネオは優しい口調で彼女の役を告げる。
「……そこでカイちゃんには『声帯を焼き潰されて心を閉ざした少女の役』をやってもらおうと思うんだ。僕はその兄ってことで」
少しの沈黙があった。
ネオの笑顔が崩れそうになった時、甲斐は目を大きく開いて立ち上がった。
「マジかっ! 妹役か! うおお初めての人間役だ! どうしたら人間っぽく出来るかな!? こんな事なら予習しておけばよかったあああ!」
「大丈夫、何があっても声を出さないで表情を崩さないようにしてくれたらそれでいいから。さあ、行こうか」
「ん? あれ? あたしって人間役だよね? 大人しい子役じゃダメ? 出来るよ! ほら見てて! 『……オホホ、貴様の青い髪はえっと……ワタクシの血のようなお色で…おいしゅうございますわねオッホオッホ!』」
口の横に手を当ててわざとらしく笑うが、ネオは生まれてこの方こんな不可思議な女に出会った事は無い。
「うん、何があっても声を出さないで表情を崩さないようにしてくれたらそれでいいから。ね?」
「ね、ネオ……目、目ぇ開き過ぎて怖い。出て来そう…。それにそれさっき聞いた……」
「カイちゃんの大人しい子のイメージの方が怖いよ。青い血が流れてるし、人の髪を食べてるって設定でしょ……。ほら、行こう」
転送される最後まで、甲斐は配役の変更を訴えたが聞き入れられることは無かった。




