第二百五十二話 ネオの回想・2
僕はどうやら無意識に絶叫していたらしい。
逃げない痛みがそうする事で少し紛れる気がするのは今でも分かる。
そのおかげで、高い位置から戦況を見て援護するはずのノアが駆け寄って来たのに気が付かなかった。
迷彩服ごと大きくえぐり取られた右太ももからどくどくと僕の血が流れ出して、地面を染め上げていく。
味方を助ける為に自分の仕事を放り出すなんて、御法度だ。
それなのに、ノアは迷わず来てくれた。
倒れ込んだままどうする事も出来ず、力が抜けていくのが分かったしもうダメなんだと頭のどこかで冷静な自分が言った。
痛みのせいで全身から汗が吹き出し、涙で視界が滲む。
ノアに肩を貸され、ひきずられるようにして撤退する中で何度叫んだか分からない。
今思い返してもその場で大気圏まで打ち上げられてしまいたいほどの汚点だ。
あの程度の怪我であんなにも大騒ぎをしてしまったのだ。
歩いている途中で手が壁に当たった時の『痛い』とは遥かかけ離れた感覚に、これが『死』なのだと漠然と思った。
それは酷く辛く、苦しくて、早く楽になりたいとすら思ったがこの先に待つものは何か考えると助かりたいと考えたのだろう。
だろう、というのもその時はこんな風に冷静な分析など出来ずにただひたすらノアの迷彩服を千切り取らんばかりに握り締めていただけだったからだ。
「こいつ頼む! 俺はこのまま出る!」
ようやく拠点に戻って、治癒室のベッドに寝かされた時、傷を悪化させそうな女性の怒鳴り声も聞こえて来た。
これがこのW.S.M.C専属であり唯一の女医である『ヴァルゲインター』と初めて顔を合わせた日だ。
「アンタとノアの組でしょ! 任務失敗したの! 聞いてんの!? ……うっわ泣いてるよ、泣きたいのはこっち! 血の匂いの中でティータイムなんて喜ぶのはヴァンパイアだけ!」
とやかく言いながらも姿を見せたヴァルちゃんはマスクをしていて顔はよく見えなかったけど、大きなリボンが空色で綺麗だと思った。
激痛が和らぐ事の無いまま、いつの間にか意識が切れて次に目が覚めたのはその日の夕方だった。
黄色がかった夕陽の映像が差し込む治癒室で、僕とヴァルちゃんだけが息をしてた。
足の痛みもすっかり治まってはいたけど、包帯を巻かれていて患部がどうなっているのか分からなかったし、何より気になったのは服が病衣に変わっていた事。
まあ、あの当時は今よりも若かったから。
「お目覚めですかー。出てって下さーい」
「……これって、もう起き上がっても……」
「良くないなら寝かせとくでしょ。なに、まだ痛いの? また泣いちゃいそう?」
欠伸をしながら言った彼女が憎らしく感じた。
馬鹿にされる事に耐性が無かったのかもしれないし、現場に出ている自分とこの治癒室で暇そうにしている女医という存在が許せなかったのかもね。
「……たまの仕事なんですから、もう少し丁寧にしてもいいんじゃないですか?」
事実、この優秀な部隊では滅多に治癒室へ行くようなヘマをする人間はいない。
「自分の体も大事に出来ない奴に言われる事はなんにもないっての! ほら帰った帰った!」
そう追い払われたが、この日から僕は治癒室の常連になった。
× × × × ×
「……アンタ、わざとやってるでしょ」
最悪な顔合わせ、それから何度も懲りずに治癒室へ通っていた。
正確には治癒室に行かなければならないほどの怪我を毎度負っていた。
この部隊の中で一番通っていたと自信を持って言えるし、スタンプカードがあればあっという間に景品を貰えただろう。
僕はお愛想用の笑顔の裏で彼女を酷く嫌っていたし、彼女も怪我を負ってばかりの僕をもう止めようともしなかった。
いつも無言で手当てをしてもらい、思ってもいない礼を背を向けている彼女に告げて出て行く。
それが習慣となったのも当然であり、彼女の仕事なのだからそれ以上何も望みはしなかった。
この日も僕は思ってもいない礼を口にしてそそくさと出て行こうとした時だった。
日常はこの瞬間に壊れた。
彼女は普段無言であるべき場面で何かを僕に言ったから。
「なんですか?」
無視しようかと一瞬迷ったが、聞き返してみた。
すぐにその判断を後悔することになる。
「アンタ、わざと怪我してるでしょって言ったの。バカにしないで、あたしがそんな事も分からないへぼ医者だと思った?」
「……治すのが、貴女の仕事でしょう?」
「『わざと怪我を負う事が仕事』ってアンタの契約書に書いてあった?」
ノブに掛けた手を回せば出て行けるのにそうしなかったのは、ここで向き合わなければ今後もこうして小言を言われるのが嫌だったからだ。
「僕の仕事のやり方に口出しされると自信が無くなります」
可愛らしく笑ってみせても、怒れる女医には通用しない。
「自信の前に命の方が先に無くなるだろうさ! 任務にあたるのは立派だと思うけど、それを自殺の理由にしないでよ! そんな調子のヤツと組まされる他の隊員が可哀想だわ!」
「自殺?」
一体目の前の女性が何を言っているのか分からなかった。
「……別に僕は死のうとしている訳じゃないですよ、人の痛みを分かろうとしているんです」
「……物理的に?」
「はい。僕は何も知らないんです。切り刻まれる痛みも、爆破に巻き込まれる痛みも、撃たれて体内で金属片が四散する痛みも知らなかったから」
「知ってどうすんの……?」
急に落ち着きを取り戻した彼女はしげしげと僕の顔を見ていた。
「……そうですねえ、どうしましょうか。でも、知らないよりも知っていた方が何かと便利ですね。どれだけの力をどこに込めたら死ぬのか、苦しませる場合はどうしたらいいのかよく分かりました。動けなくさせる為にはどの方法が一番良いのかも―——」
「ぎゃははは! なんそれ! なんそれ! セルフ人体実験じゃん! なに、アンタって見かけによらずどエムってわけぇ!? サイッコー!」
変人が変人を好むのはごく自然の摂理だった。
それから僕は彼女を『ヴァルちゃん』と呼ぶようになる。
それから彼女は僕を『冷たい瞳』で見下ろしてこなくなった。
その代わり、僕が治癒室に顔を出すと手にしていた物と怒号が飛んで来るようになった。
気付けば斬られても撃たれても、笑えるようになった。
痛みを予測できるし、怖くなんてない。
それどころか知らない痛みを教えて欲しくて、楽しみで、全身が震える。
「あんたもうネオからエムに改名したらあ?」
「アドバイスありがとう。シルキーに相手が僕に怯むからやりやすいって褒められたよ」
敬語でなく、話せる相手が増えた。




