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第二百四十八話 ノアの昔話

 トレーニングルームで鉢合わせたシェアトとノアが競い合うように片腕のみを使った腕立て伏せに励んでいる。

 二人の視界にショッキングピンクのビーチサンダルを履いた素足が見えた。

 だがまるで幻のようにあっという間に踵を返してしまったのを見て、ノアはすぐに起き上がるとあぐらをかいて甲斐を呼び止める。


「よおよおよおよお! お二人さん! お前ら喧嘩でもしてんのか? 気まず過ぎて俺が謝りたくなるぜ!」

「え? 何が?」


 ひょっこりと戻ってきた甲斐が眉を上げてノアに答えた。



「別に、喧嘩じゃないよ。二人が暑苦しいから後で使おうと思っただけ」



 図体のでかい半裸の男が二人、息を切らしながら腕立て伏せをしている光景を目撃した甲斐はげんなりしていた。



「それなら俺が外れるから、使ってけよ」


 タオルで汗を拭いながらシェアトが立ち上がり、甲斐に笑いかけた。


「あ、ホント? ノア、近寄って来ないで。身長差考えて。ノアの汗があたしのつむじをロックオンしてる」



 唖然としているノアは驚きのあまり、笑うしかないようだった。

 シェアトが出て行ってから甲斐は魔法攻撃用の的を全方向に用意し、テープで床に×印を貼ってある場所まで下がると手に拳を打ってやる気を出している。


「……マジで喧嘩じゃねえならなんなんだよ? 倦怠期か?」

「ちょーどいー距離感、ってヤツ? やっと見つかったんだよ」



 自在に甲斐の周りを動き回る的に向かい、拳を銃に見立てて炎の弾を撃ち込んでいく。



「お犬様と飼い主様、見てて楽しかったけどな。よっと……」



 ノアは片手のみで倒立し、そのまま肘を曲げていく。

 腕立て伏せの要領でトレーニングをし始めた。



「ノア、あたしがぶつかっても大丈夫ならいいけどダメそうなら今すぐどいて」


 甲斐の近くでわざわざトレーニング始めた彼がどくとは思っていなかったが、やはりノアはいたずらっぽく笑って見せるだけで動こうとはしない。



「で、一生このままか?」

「一生かどうかは分かんないなあ。シェアトはワンちゃんじゃなくて狼だったのかもね、ワオオン」

「その雄たけびじゃあ結局イヌじゃねえか。狼はこうだろ、ウオオォン!」



 ノアが音も無く甲斐の後ろに忍び寄り、脇腹を巧みな指さばきでくすぐると甲斐は前屈みになって笑い転げた。



「……っはあ、セクハラーとして順調にキャリア積んでるね」

「一つのプロみてぇに言ってんなよ……。ま、いいならいいけど後悔すんなよ」

「ノアって兄ちゃんみたいだよね」



 甲斐の髪の毛を両手で上へ持ち上げて角に見立てて遊ぶノアと、それを阻止しようとする甲斐は歯を出して笑っていた。



「ノアってここで一番仲良いのはネオネオ?」

「あー、まあそうだな。あいつとは相容れねえと思ってたんだけどよ。昔のネオなんてよ、アイソもコイソも無ぇクソガキだったんだぜ?」

「ね、ね、ネオネオの黒歴史じゃないッスか! せんぱぁい! 教えて下さいよぉ~!」


 目を輝かせて食いついた甲斐にノアは周囲を見渡してネオがいない事を確認すると隅の床に腰を下ろし、甲斐を向かいに座らせた。


「今ここにいるメンバーであいつの初期を知ってんのはシルキーとギャスパーだな。当初のメンバーはケヴィンみてぇに死んじまったり、辞めちまったりしてるからもういねえし……」


 上を見上げてぶつぶつと確認事項を呟くノアの膝に置いてある腕を掴んで甲斐は揺さぶりながら急かした。



「はーやーくーほーらーはーやーくーねーえー!」

「いや、お前……安請け合いしたけどよく考えたら危ねぇ橋渡りかけてんだぞ……。アイツ怒らせると怖ぇんだよ……。面白おかしく話した事がバレた後、俺とアイツ、二人で組む時にぶちあたってみろよ……」


 ぶるりと身震いをしたノアを励ますように甲斐は肩を叩いた。


「いいじゃん、殉職したら殉職したで昇格するしさ!」

「流石にそこまでじゃねえよ! 何普通に受け入れ始めてんだよ!」

「ていうかなんでネオネオは昔の話を嫌がるの? そんなにツッパってたの?」

「あー……まあ、今のネオしか知らねえお前とかシェアトとか……他の奴らからすりゃあ驚くかもな」





 今でも鮮明に思い出せるのは、誰一人として映る事の無かったあの暗い瞳。






「げー! まぁた俺かよー!」



 今から八年も前、俺にとって十代最後の年だったからこれは確かだ。

 新人として俺と一緒に入った他のメンバーは日を追うごとに一人、また一人と減っていった。


 この当時の先輩や上司として籍を置いていたヤツははっきり言ってろくでもない。

 どいつもこいつも敵を的ではなく、憎しみの対象として見ているようなヤツらだったからトドメの一撃ならぬ五撃、十撃なんてのは毎度の事だったし、味方を味方なんて思ってもいないようで自分を守る盾にしたりとやりたい放題だった。



 シルキーとギャスパー?



 シルキーは誰ともつるまないし、関わらない。

 孤高の存在だったが当時の立ち位置としては中間で、上手くやってたみたいだな。


 上官にだけ見せてたあいつの嘘くさい笑顔を今もたまに思い出す。

 お愛想振る舞って、自分の足元固めてたんだな。


 その代わりと言っちゃなんだけど、同期とか俺たち見てえな下っ端には今以上に他人行儀で冷てえ奴だった。




 ギャスパーはずっとあのままだ。


 俺よりちょっと前に入ったらしいがあの見かけだろ?

 当時は上官と同い年かと思ったもんだぜ。

 何考えてんだか分かんねえ、けど実力はあるし一緒に出ても楽なヤツ。


 そんなイメージだな。

 余計なことは言わないし、しない。



 まあ、そんな中で生き残った俺も『ろくではない』のかもしれないが。



 そのおかげで出動する頻度も多くなってった。

 皆、それぞれ自分の好きなようにしか動かねえ。


 助けられても仲間を仲間と認識してねえから助けねえ。

 まあ、任務優先なのは当たり前だけどよ。

 どっかで『死んじまえ』っつー感情持ってるのが分かるんだ。

 


 出世するのも人数早けりゃお鉢が回ってくる時間も早いって思うやつばっかりだったんだろうな。

 そして大多数の望み通りに人数の少なくなったW.S.M.Cには疲れと殺伐とした空気ってモンに包まれていたって訳だ。



「知ってましたか、今日から新人が入るらしいですよ。……といっても、君も入ったばかりですもんね。同期みたいなものですね」

「うお! ビビった! やめろよ、漏らすだろ!」



 あいつが人の真後ろから話しかけてくるのはわざとだ。

 ただでさえ存在感の無いギャスパーに忍び寄られると気味が悪くて敵わねえよな。

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