第二十四話 ほら、主人についてこい
急に取らされた休みをシェアトは朝から夜までをベッドで過ごしていた。
何の為の休みかを考える事が出来る程、今の彼は冷静では無かった。
何度思い返してみても、目に浮かぶのは少女と老婆の憎悪に満ちた瞳だった。
何度思い返してみても、判断ミスをしてのは紛れもなく自分だった。
結界を解除しなければ良かったのだ。
もっと状況を確認しておけば良かった。
あの時、民間警察の一般警官が犠牲になってしまったかもしれない。
そんな危険に晒してしまったのは油断のせいだ。
失った命は戻らない。
トイフェルも、あの老婆も死なずに済んだのではないだろうか。
あの場で少女の正体を暴いてしまったのも間違いだったのかもしれない。
そんな重苦しい後悔の波を引かせたのは、嵐のようなノックと荒々しく叫ぶ甲斐の声だった。
「開けろ! 開けろ! 開けろっ!」
「なんだよこんな夜中に!」
耐えきれずに開けると、ドアに額を打った甲斐が震えていた。
痛そうにしている割に、何故かご機嫌そうに笑っている。
「酒臭ぇっ! どこ行って来たんだ!? お前の部屋は反対だろ! ……お、同じベッドで寝るか?なーんてな…で、で、でもよ……まさか……い、い、いいのか?」
笑顔のままキレのいいパンチを思い切り鳩尾に貰ったが、いつもの甲斐だ。
どうせ眠れぬ夜を過ごしていた。
思わぬ来訪者にシェアトは少しほっとしている自分に気が付いた。
「……あのさ、シェアトがここで閉じこもってヒィヒィ言っててもどうにもなんないよ」
「ヒィヒィなんて言ってねぇよ! それお前の幻聴じゃねぇの!?」
けっと口を斜めにして笑って見せたが、甲斐にまっすぐ見つめられやはり両手を上げて降参した。
「分かってるよ、でもなんつーか……流石に、へこむ」
シェアトの部屋へ甲斐はすると入り込むとヒールを足を使って脱ぎ捨て、ベッドに大の字になって横たわった。
そして伸び伸びしている甲斐の横にそっと腰かけてうなだれていると、何故か彼女の笑い声が聞こえた。
「う、ウケる……! めっちゃしょんぼりしてんのが! 後ろ姿がでっかい犬そのものじゃん……! ぎゃはー!」
「お前ホント……デリカシー…お前……!」
「はあ……笑った……。シェアト、真面目な話……部隊に戻れば?」
甲斐が何を言っているのか、理解できなかった。
「そっちの方がいいんじゃないかなって……。民警だとさ、どっちかっていうと犯人と被害者が分けられちゃうし、今までみたいに知りたくない気持ちとか知っちゃうでしょ」
予想していなかった提案に無性に腹が立った。
何故かは分からないが、戦力外だと、そう面と向かって言われたような気がしたのだ。
「なんだよ、それ……。部隊なら楽だっていうのか? ここの仕事を任されたのはお前だけじゃねぇ。俺だってやり遂げるつもりだ」
「じゃあ……」
憑りつかれたように飛び起き、じろりとシェアトを見る。
「こうやっていつまでも引きこもりニートしてらんないでしょ。仕事があんのに落ち込んだからって休ませられてんだよ。愚痴なら仕事終わりにいくらでも聞いてあげる。だから明日から頑張ろうよ」
叩くような調子で頭を撫でられ、そのせいで苛立つ気持ちにあった反抗心も抜かれてしまった。
「……おう……。明日からっつっても、もう今日だけどな。……なんでお前は毎回頭撫でんだよ」
「もっと服従したら腹見せて情けない顔でくぅくぅ鳴くんでしょ? それを期待してる」
「そんな人間見た事あるか? 期待しても無駄だ! 無駄だっつってんだろ! なんだその顔! お前は俺をどうしたいんだよ!」
開けっ放しのドアの向こうで、椅子に座ったまま仮眠を取っていたブレインは目を覚ました。
結果は最悪となったトイフェルの事件。
これは報道でも民間警察の信頼問題について触れていたが、事件の異常性、そして少女の父親が魔法適性者の登録を行わなかった事の方が市民の関心を高めたおかげで大事にはならなかった。
こうして事件に関わった警官は早い者であれば最初の時点で悩み、何が正しく何が間違いなのかの葛藤で押し潰されてしまう。
長年勤務している者は『常に第三者であれ』と口を揃えて心意気を語る。
難解な事件の容疑者には絶対に耳を貸してはならない、と。
人は揺れる生き物だ。
一人につき一つの常識を持ち、日々小さな事ですら判断を下して生きている。
だからこそ法という秩序が無ければより近い思考を持つ者が集ってしまうと、収拾がつかない。
そしてそこに入り込むのは感情だ。
どれだけ対象者が可哀想か、守る価値があるか、責めるべき者を探す。
この先彼らは出会うだろう。
守るべき価値が本当にあるのか、見いだせない被害者に。
裁かれる理由に目を向けてしまうと絶望が待ち受ける事件に。
それに対して感情を捨てられるかどうかを常に問われているのだ。
「(……彼女はシェアト君の緩衝材か。これまた良いコンビで来てくれたものだ。……だが……)」
音を立てないように椅子に深く座り直し、目を閉じる。
遠慮せずに普通のトーンで話している二人の声を聞きながら目に浮かぶのは、笑顔の二人。
「(彼女も、無理をしている。負った痛みは測れないが、甲斐ちゃんが傷んだ時にシェアト君は力になれるかな? ……共倒れ、なんて事にならなきゃいいが)」
「ぐもにーん。飯だ飯! シェーアート! 起きろ起きろ! 腹が減っては戦えぬ捻じ伏せられぬ悔しや悲しや…!」
「なんで二時間前に寝たのに元気なんだよ……。クスリには手を出すんじゃねぇぞ……。まだ仕事まで一時間もあるじゃねぇか……今飯なんて食ったらそ上からも下からも出て行っちまう。行って来い……」
追い払われた甲斐は一人で食事へ向かう事になった。
慣れたカフェテリアまでの通路を歩いていると、見覚えのある後ろ姿が前にある。
咄嗟に駆け寄ってかなり距離があるまま腰に抱き付いた。
「クロスちゃん!? あっ、違ったらどうしよう!」
こちらを向いたクロスの目を見開いて怒りを表わした表情にも変わりは無い。
こうして顔を合わせるのは三か月前の卒業式以来だった。
クロスは兄のシェアトと真逆で成績優秀であり、二年も飛び級をして甲斐達と共に卒業した伝説を持っている。
更に品行方正で世渡り上手であり、在学中も成績の良い先輩に対しては猫を被り、甲斐のような常識という文字が欠落している者には毒のみを浴びせるという性格をしている。
「……変わらず頭の中はお留守のようで」
「クロス選手! いきなりのジャブを繰り出しましたー! これは挨拶代わりかー!?」




