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第二百四十七話 リチャードとカリアの夕食会

 リチャードはカリアの顔色がやはりまだ優れない事が気にかかった。



「ちゃんと食事を摂っていて、その顔色?」

「……そうですけど」



 つれない返事にはもう慣れたのか、リチャードはいそいそと中へ入り込み、埃の被っているダイニングテーブルへ両手に持っていたペーパーバッグを置いた。

 カリアが中身を聞くまでも無く、部屋に香ばしいスパイスの香りが満ちていく。



「出先でアジアンマーケットがあってね、名も無き料理が沢山あったんだ。一緒に食べようと思ってつい買い過ぎちゃった。ほら、座って」


 毎晩、カリアが食事を終えた頃を狙ってやって来るリチャード。

 彼にカリアがいくら怒りをぶつけても、いくらその存在を無視してもここへやって来る。

 図太いのかと思ったが、怒鳴れば焦り、無視すればカリアを見つめたまま返事を待ち、下手くそな話の切り替えをしては幾度となく撃沈している。


 リチャードがそうすればするほど、カリアは彼が何を狙っているのか分からなくなった。

 仕事は確かにしっかりと行っているし、互いに忙しい身なのだからこんな風に機嫌を取らなくてもいいはずだ。



「あの……僕の夕食後にこれを持ってくる意味が分からないんですが……」

「しっかり食べて無いのは分かるよ。だからほら、一つぐらいどうだい? これは……なんだろう、チャーハンかな? スープもあるよ、……独特な匂いがしてるけど……」


 リチャードの開いたスープジャーから漂う香りは幼い頃、家に侵入した緑色の虫を叩き潰した時に嗅いだ匂いに似ていた。

 諦めたようにカリアは椅子に座った。

 いつ見てもリチャードはスーツ姿で、フレームのみをかけているカリアとは違い、レンズの入った眼鏡を掛けている。



「……視力矯正、しなかったんですか?」

「ん? そうだね、私は臆病だから」



 せっかく話しかけてやったというのにリチャードは恥ずかしそうにはにかんで、その一言で会話を終わらせてしまった。

 こちらが無視を決め込んでいれば聞いてもいない自分の身の上話をしてきた癖に。

 話すという事が得意ではないのだろう。


 元々はSODOMの事務だったらしいが、納得だ。


「……臆病だと眼鏡になるんですか? 心外です」

「ああ、誤解させたね。私は魔法が使えないんだ。だから適合者達が羨ましい反面、どうしても視力矯正の魔法治療が怖く感じてね。魔力がどんなものなのか分からないから、怖いのかもしれない。いくら説明されたって私がそれを扱える訳じゃないからね」


 得体の知れないスープは一つだけで、カリアの分と渡された容器の透明な蓋を開くと濃厚な香りが漂う。

 辛い様な、酸っぱい様な、香りを嗅いでいるだけで喉にダイレクトにダメージを与えて来るのはこの赤いスープの特徴なのだろうか。


「……けほっ……」

「だから……ええとなんだったかな、そうだ。視力矯正の話も両親から勧められたんだけど、怖くて断ってしまったんだ。……その頃は思春期だったから、意地になっていたのかも。一度断ってしまった手前、今更魔法で視力矯正をするのも格好悪く感じてね」


 しかめっ面のまま、カリアはスープをリチャードの方へと追いやった。

 代わりに緑色のカレーらしきものを引き寄せて食べ始める。



「……そうですか、としか言いようがないですね。僕も、魔法は使えませんが視力矯正しましたよ。……貴方より、勇敢って事ですかね」


 やはり、彼の話は面白くない。

 盛り上がりも無ければオチもつかない。



「……勇敢なら、このスープを平らげてくれてもいいと思うけどね」

「……勇敢と無謀は違いますよ」



 嬉しそうにリチャードは帰って行った。

 その理由は単純で、初めて会話らしい会話が出来たからだろう。

 一人で食べるには明らかに多すぎる料理を冷蔵庫に入れながら、カリアは波のように押し寄せて来る苦しみに顔を歪めた。



「ほだされるもんか……。絶対に……。僕だけは……正気でいなくちゃ……」



――――真実を上手く隠しているつもりだろうが、そうはいかない。

――――だけど、今はそれでいいんだ。

 

――――知らないからこそ、ヴィヴィはああして笑っていられる。

――――知ってしまえば、きっと壊れてしまうだろう。



「……でもこのままだと……まずいか……」



 態度を改めないと、リチャードはここへ通い続けるだろう。


「昼間は良い顔をしている元SODOMの研究者達め、余計な事を吹き込みやがって……!」


 

 カリアはテーブルを思い切り殴りつけた。

 


「自然に、自然に……。不自然過ぎてもまずいから……今のペースで、徐々に……」



 あの計画書には答えが出ていたが、気付く者などそういないはずだ。




――――ヴィヴィを守れるのは自分だけだ。



―――― 矢面に立つのも僕だけで良い。



――――だから、どうかこのまま真っ直ぐな君でいて。





×  ×  ×  ×  ×



「今日も面白そうな食べ物があったんだ。出先で見つけてね」

 

 食器を並べながら、リチャードはカリアを見た。

 呼ばれる前にカリアは自らダイニングテーブルへと向かい、大きな袋を一つ取ると中身を出し始める。

 自主的にテーブルへと現れたカリアに、唖然としているリチャードの視線がうるさい。



「出先で……ですか。今日はどちらへ?」

「ああ……メキシコまで、使いでね。いやあ、暑かったよ! 冷めていたから温め直しておいたからすぐに食べられるよ」



 カリアが持っているペーパーバッグの底に一枚のレシートがあった。



 袋の中から取り出さずに読んで行くと、確かに購入場所はメキシコのようだ。

 だが、打ち込まれている時間はほんの数分前だった。

 今までも出先で見つけた、と言って珍しい料理をあれこれ買って来ていたが側近ともあろうリチャードがこの時間まで出歩き、馬鹿真面目な彼が仕事で来ている先から大量の料理を抱えて戻るだろうか。



 自然な考え方は、仕事を終えてからわざわざ他国へと足を伸ばして調達しているということ。

 食べるかどうかも分からない相手の為に、も付け加えていいだろう。



「……そうですか」

「……そうなんだ。……詰めが甘いのも、そうなんだよ」




 カリアの沈黙に気が付いたリチャードは顔を赤らめながらレシートを奪い取った。

 そして手のひらでぐしゃぐしゃとレシートを丸めながら、リチャードは恥ずかしそうに笑った。





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