第二百四十六話 エルガへの反論・カリアの部屋
「面談の……報告に、参りました……」
リチャードは自分でも驚くほどトーンが低く、気付いた時には書類に目を通していたエルガも顔を上げてこちらを見ていた。
「なるほど? 問題有り、だったと。原因は?」
即座に原因を究明し、対策を取らねばならないのは分かっていた。
それを先延ばしにしたいならば、エルガの前では平静を装わねばならなかったのに。
「い、いえ……。業務に差し支える事ではないのですが……一名、気になる研究員がおりまして。他の研究員は皆、良い雰囲気で励んでくれているようです」
「業務に差支えが無いならば放っておけ。だが、『気になる』のベクトルだけ聞いておこうか。社内恋愛に関する規定は特に設けていないが側近が恋に狂って仕事にならないのでは困るからな」
恋愛方面の『気になる』だったなら、どんなに良かった事か。
ただ、そうだとすればまさか代表に話すはずはないのだ。
「そんな、恋愛だなんて……。様子がおかしいというか、そうなっても仕方がない様な気もするのですが……。問題行動があるという事でもないので、放っておいても平気かもしれませんがやはり他の者も変化に気が付いているようです」
「様子がおかしい者の名は?」
名前を口にして、特定されたら何が起きるだろう。
カリアになんらかの制裁があれば、彼との関係は二度と修復は不可能だろうし、彼の挙動について言葉を選びながら伝えてくれた他の研究員達は二度と些細な事も報告はしてくれなくなるだろう。
リチャードが口にするのを躊躇っていると、エルガが答えを口にした。
「マラタイトから来たどちらか、という訳か」
沈黙さえも、エルガの前では意志を持ってしまう。
それともそんなにもリチャード・アッパーという人間は読みやすいのだろうか。
「マラタイトでの事件により、全てを失ったんですから……まだ、ここで働く意味を見出せずにいるのかもしれません」
「働く意味を考えられるなんて贅沢だとは思わないか?」
金色の瞳が、怪しく光った。
反論しても、きっと敵わないだろう。
「ここが嫌なら、檻の中へ逆戻りだな。何もかもをリセットしたいというのなら、叶えてやろう。それで話は終わりだ。開発者をまた探せ、代わりなら世界中探せば一人はいるだろう」
反論しても、敵わない。
そう思ったはずなのに、リチャードは頭を下げていた。
「まだ、混乱しているのかもしれません。……少し、時間を下さい」
「アッパー、甘やかすのは感心しない。自分の立場を分からせ、黙らせるか檻の中へ戻してやったらいい。いつか暴走するかもしれない危険因子を野放しにするのか?」
「……食い止めます。必要であれば、業務後にカウンセリングを」
食い下がるリチャードにエルガは沈黙した。
そして、許可でも否定でもなく今度は質問をリチャードに投げかける。
「何故マラタイトの研究者にこだわる? 仕事を問題無くこなしているから、などと言ってくれるな。それはプラスでもなんでもない、当然の事だ」
仕事さえしていればいいと思えないのはエルガも同じようだ。
だが、問題があればすぐに人を切って捨てるという提案には手を叩いて賛同は出来なかった。
「……手懐ければ、きっと、力を発揮します。今以上に開発もスムーズに進むでしょう。お任せを」
表情が読めないエルガを相手にするには役不足過ぎる。
こんな啖呵を切っておいて、最悪の結果を招いたら首が飛ぶだけでは済まない気がした。
「では今回だけ、私が道を譲ろう。しかし、今の言葉を忘れるな。そして私は今回、道を譲った。だが君の歩くそのすぐ後ろには私がいる事もな」
「ありがとうございます……!」
「君は仕事が好きで堪らないらしいな。自ら仕事を熱望するとは頼もしい」
大口を叩いたのだ、これでカリアをどうにかしなければそれこそ金の瞳に石にされてしまう。
それに加え、甲斐の作り上げたであろうタイムトラベルの装置も探しに行きたい。
SODOMでの日々の業務とZの開発スケジュールを調整しては日報に目を通し、広報担当との打ち合わせや現行のチェックを終わらせて代表であるエルガの判を貰わなければならない。
「全てこなしてみせますので……」
この言葉が、主を裏切る刃へ変わらないように。
× × × × ×
それから一週間ほど経った晩、リチャードはカリアの部屋を訪れていた。
「調子はどうかな」
「……どうやって……ああ、そうか。貴方は偉い人なんですもんね。鍵ぐらい持ってるか」
ヴィヴィとカリアの部屋は特殊な構造となっている。
研究所に隣接しており、閉塞感を緩和する為に自然の映像が窓に投影されているが夕食を終えてから部屋へ戻るとロックされ、翌朝までは開かない。
中にトイレやバスルームもあり、お手伝い天使も一人ずつ配置されているので不自由はしていないだろうが逃亡防止の一環である。
他にもこの研究施設から彼らが足を一歩でも踏み出せば気絶するようにセキュリティシステムが組まれている。
「……ノックをしても、君に開いてもらえないから開けさせてもらったんだけど出直した方がいいかな?」
失礼だとは思いつつ、あの様子のカリアが気になり、こうして鍵を開くに至った。
言い訳しつつも好感度が上がったとは思えない。
「別に、いいですけど……。ミスでもありました?」
「いや、今日の報告も問題無かったよ。むしろ当初予定していたスケジュールよりも早まっているね。ありがとう」
「……おだてる週間ですか? ああ、この前の面談の事を気にしてるならどうぞお帰りを。癇癪なんて起こしませんし、研究も開発も好きだから研究職に就いていたんで仕事はちゃんとこなしますよ」
小柄なカリアはこの広すぎる部屋が落ち着かないのか、直接床に座り、壁に寄り掛かりながら本を読んでいた。
黒い革のソファも使われぬまま、オブジェと化している。
「……カリア君の事もそうだけど、ヴィヴィさんの事も私は何も知らないからね。あの時は私も余裕が無くて……酷い言い方をしてしまったかもしれない。今更と思うかもしれないが、一生お互いの事を何も知らないでいるより分かり合いたいと思ったんだ」
まるで何も聞こえていないように、カリアは読書にふけっている。
業務時間でもなく、仕事に関する話でもないというのに部屋を訪れたリチャードを歓迎する気は無いようだ。




