第二百三十八話 彼女はどこで何をしていたか
翌日、ジャッジに挨拶もせず、本棚の間を早足で歩き回るリチャードは険しい顔をしていた。
何から手を付けたらいいのか分からなかった。
「お帰りなさい、で合っておりますか?顔色が優れぬようですが」
「ああ、ああ、そうだな。私自身、混乱しているよ。訳が分からない。パズルは苦手なんだ。完成するまで本当に全てのピースが揃っているのか分からないんだから!」
誰がどう生きようが関係無い。
それなのに甲斐に対して怒鳴りたい気持ちがいつまでも居座っていた。
「リチャード様、何かご不満があればなんなりとお申し付け下さい」
リチャードから付かず離れず、後ろを付いてくるジャッジの顔からは何の感情も読み取れなかった。
彼に対して怒りをぶつけた所で何も始まらない。
電子生命体だというのに良くしてくれている書庫の主に敬意を払わなければ。
そう思い直すのと同時に立ち止まり、革靴の踵をすり減らす覚悟でターンをしてジャッジを見た。
「……君に対する不満なら、ある」
リチャードはぐっと顎を引いた。
「ここから出て来て夕食を共にしてくれないだとか、部署は違えど公には出来ない仕事の愚痴を言い合って笑い合えないだとか、私の部屋に招待できないだとか……そんなところかな」
「大変申し訳ございません。夕食は私に消化機能が備わっていれば可能でしたね。……改善要求を提出しておきますか?」
「……悪い結果が分かった上で動くのは趣味が良くないと思うよ」
ジャッジが冗談を言ったのかと思ったが、彼は大真面目のようだ。
「……ただ、仕事の愚痴を言い合うというのは出来なくはないかと。勿論、挑戦した事はありませんが試してみましょう。……そうですね……私の仕事が大人しく幽閉される事なのか、それともここの安全を守る事なのか」
「……それ最高、コメディショーに出たらその一言で笑いの渦が巻き起こるよ」
「上手く愚痴を話せたでしょうか?」
曖昧にリチャードが頷くと、ジャッジは真顔のまま頭を下げた。
「ありがとうございます。ですが、リチャード様はあまり笑っていらっしゃらないようですが」
「皮肉を理解できるように改善要求を提出する方が先だな」
口の端を下げて肩をすくめたジャッジに吹き出してしまう。
ジャッジと話したおかげで気が紛れたせいか、気分も落ち着いて来た。
「……どうしたものかな。嘘をつくような事じゃない事は明確だ。でも、事実が相違している」
「それでお悩みなのですね? ……私には具体的な内容が分からないですし、リチャード様のお仕事の邪魔をしてはなりませんのでお力にはなれないかと」
「そう言わずに知恵を貸してくれ!」
簡単に見限られそうになり、リチャードは慌てて話し出した。
「君の言った通り動いたら結果が出たんだ。それが良いか悪いかはさておき、私一人じゃあドン詰まりだ。……分かる? えーと、『ドブ野郎!』なんて誰かに罵られるかもしれないって事」
「それは少し見てみたい気もします。是非場所はこの書庫でお願いします」
「……言うようになったじゃないか」
額を抑えながらリチャードは頭を振った。
「いいかい、話は単純なんだ。まずある少女がいる。彼女の拠点にいる長は彼女の動向を知っている。長が言うには彼女は確かに拠点に籠る日もあったが、数か月ほど何処かへ行ってしまう時もあったと言っていた」
甲斐の事を悲しい表情で語るポールマンが思い出される。
彼は今も、彼女の無事を祈っている。
「彼女が拠点から出かけていたのは恐らく仕事を依頼されていたからだ。大きな仕事を依頼した会社の担当者は研究室を与えてはいたが、彼女は拠点に引きこもっていたと語った。たまにぶらりと依頼者の会社へと顔を出していたらしいが、それ以外はほとんど拠点で開発をしていたのだろうと」
「……話は理解できました。お互い、彼女の過ごした日々に意見が食い違っている。……特におかしな点では無い気がしますが。依頼者が知らぬだけで、彼女にも予定があったのでは?」
やはりジャッジも、リチャードと同じ結論に行きついたようだ。
自分の考えが間違っていないと証明されたことにリチャードは胸をなでおろした。
「それがあり得ないんだ。依頼されていた仕事は並大抵じゃない。なんというか、それこそ旅行に行く暇も、ましてや遊んでいるような時間すらも無いようなもので……。とにかく彼女は優秀で他の仕事は一日程度で片付けられるような人物なんだ。そんな人物が一年がかり……いや、それ以上の年月がかかる仕事を依頼されていたんだよ」
「……依頼者の方が、彼女の日常を把握していたと?」
「定期報告を上げる義務もあったらしい。Aのパーツが何日に完成した、とか……報酬を提示しているんだ、適当な報告では済まないさ。それに対して依頼者も不信感を抱かなかった。という事はサボっていた訳じゃない。でも拠点にはいなかったし、依頼者の与えた研究所にもいなかったと言うんだ」
一体甲斐はどこで、何をしていたのだろう。
「……なるほど、彼女がどこにいたのかが気になっている。これは正解ですか?」
「そうだ! その通り! でも、答えを知っている者がどこにいるのかが分からない! 少女は……その、いるんだが聞けるような相手じゃないんだ」
「意見する訳ではございませんが……その少女がどこにいたのかが分かったとしてリチャード様にとって有益なのでしょうか?」
これはエルガの側近としての仕事ではない。
だが、乗り掛かった舟だ。
興味本位と言われたらそれまでだが、ここまで知っておいて投げ出す事はもう出来なかった。
彼女が数か月、お気に入りの研究室を空けてまでどこにいたのか。
その答えが分かれば、彼女の開発したタイムトラベル装置が見つかるはずだ。
依頼者に悟られぬように人知れずどこかで研究を進めていたのは分かっている。
今もきっとどこかに、その装置はあるはずだ。
誰かがこの事実に気が付く前にどうにかしなければならない。
「勿論だ。……ジャッジ、この事は二人の秘密に出来るか?」
「勿論です」




