第二百三十七話 開発内容の真実
ボーンはリチャードが『計画』を担当すると知ってから、あからさまに落ち着きを失っていた。
「それで、どこまで進んでいる?」
「飲茶はもう満腹ですね。あと手を付けていないのは……それ、その黒い卵ですかね」
回転テーブルをボーンが荒く回し、リチャードが止めた。
「好きなだけ食べたらいい、私は食欲が無くなった! 最高な食事だな!」
焦りは怒りとしてボーンは消化したようだ。
「君が考えているほど、簡単な話ではない! そうして不気味な卵を食べていられるのも今の内だけだ!」
「そうでしょうか? 元の案も完成されていますし、恐らく当初よりも円滑に進むかと思っていたのですが……。ああ、といっても私の不安はこう、漠然としたもので……」
うまく話を合わせるしかない。
核心めいたことを尋ねられては、計画の内容を知らぬリチャードに逃げ場はないのだ。
「漠然とした不安か、私は最近こうして一人死んでいくのかと家にいると考えてしまう! ええい、そんな話はどうだっていい! やめろ、ペットなど勧めてくれるなよ! 自分の食事の世話だけで手いっぱいだ!」
犬でもどうかと提案しようとしたが酷い剣幕で頭文字の時点で却下されてしまった。
「それで、血の契約は交わしたか?」
杏露酒の入った洒落たグラスを回しながら聞かれ、リチャードは箸から点心を逃がした。
「いえ……それが、まだなんです。まだ、私が担当になるという話だけで……なのでこうしてボーンさんにお話を聞きに来たんですよ」
「なんと! ならば私の責任は重大だな! ……私が血の契約をしているのはもう分かっているな?」
リチャードが神妙な顔で頷いて見せると、ボーンは満足そうに話をつづけた。
「だから、詳しい話は出来ん。SODOMに人生を捧げた。裏切る事など誓ってしない……と言えるのも拷問を受けた覚えがないからかもしれんが。それでも話す価値はあるだろう」
ごぽごぽと音を立てながらボトルを傾けて、グラスに酒を注ぎ込む。
リチャードは思わずその残量をじっと見てしまい、勘違いしたボーンにグラスを渡されそうになったが笑顔を返すとつまらなそうにあっという間に飲み干されてしまった。
「……過去と未来、どちらに行きたい?」
「……はい?」
「……私が子供の頃は未来が見たかった。テレビでやっていた下らんアニメのように空を縦横無尽に飛び回れるのか、家や生活がどうなっているのか。全てが明るき希望だった」
やはりボーンも年を重ね過ぎたのか、酒を呑み過ぎたのか思い出話が始まってしまった。
リチャードは脱線した話を戻すべきか否かで迷いつつも、ここで機嫌を損ねるのは上手くないと話に乗る事にした。
「……私は……今なら……どうでしょう、やはり過去ですかね」
それはリチャードの本心でもあった。
過去の自分を、今の自分として客観的に見てみたかった。
懐かしく、そして将来の不安や憤りなどを知らぬ純真だった頃。
家族に囲まれ、自分は幸せだと信じて疑わなかったあの頃をもう一度味わいたかった。
「そうだろうな。大半の人間は過去に行きたがる。子供の頃は後悔した過去も少ないから未来へ行きたいのが当然だ。ふん、下らん話だと思ったか? これが出来るとしたらどうだ?」
「それは……とても、素晴らしいですが……。しかし……問題も、多いのでは……」
同一人物が同じ世界に存在した時に世界に何が起きるのか、リチャードは急いで思考を巡らせる。
もし本人同士が顔を合わせてしまったら?
もし過去に行き、思わぬ事件を起こしてしまったら?
リスクの方が大きいのは明らかだ。
過去を一つでも変えてしまえば、そこへ来ている自分のいた『現在』へは決して繋がらないのではないか。
折ろうとも思わなかった枝を一本折ってしまったとしてもそれは改変に値するだろう。
「……その通り。しかしそれはマナーも知識も無い人間がその夢の様なマシンを使った場合の話だ。だがその点は安心だ、我々SODOMが秩序を守る。そうだろう? 私を相手にそんなに警戒する事はない。君が過去に行きたいと言った事を騒ぎ立ててどうこうすような男に見えるか?」
意味ありげに微笑んだボーンに今度はリチャードが驚いた。
ボーンはリチャードが何もかも知っている体で話しているが、寝起きに水を浴びせられたような思いだ。
顔に驚きを出さないようにするのに必死で言葉が出て来ない。
「エルガ様は新事業を始めたが、やはり用心深いようだ。あの開発を再度進めるとは……。なに、何も心配する事はない。使い方を誤るような小物などではないのだからな! 我々凡人では考えられぬような発想と力で大いにこの世界を盛り上げてくれよう!」
「ええ……ええ、そうでしょう」
まさか、あの『計画』の内容がタイムトラベル装置の開発だとは思いもしなかった。
SODOMの安泰を願ったのか、その目的は不明だがその開発自体そもそも許可されているものではない事は研究職でないリチャードですら分かっている。
更に言えば禁忌だというのに、それに飛び付く研究者がいるなんて思いもしなかった。
それがあの、へらりと笑う彼女だなんて。
「しかし、だ。今回の開発者が何処の誰だかは知らんが、気を付けろ。またあの学生のように血に姿を変えて面倒事のみを残して消えてしまうかもしれん」
「……やはり危険が多い開発となるのでしょうか……」
「さあな、私は研究について詳しくない。進捗状況の確認をしていただけだ。だが確かに順調だった開発のはずが、最終調整を期にああした幕引きとなった。あれは他の依頼のせいではないだろう。何かが起きたのだ」
知りたい『何か』の部分はボーンですら、分からないようだ。
「……そうですか、それは……なんと言ったらいいか……。気をつけるように指導します。特に、その、最終調整の段階では」
「あの学生のように、引きこもってばかりだと無事が分からんからな。点呼位は取った方が良いぞ!」
はっとした顔をしてしまったが、酒を煽るボーンは気が付いていないようだ。
以前にも感じた違和感がなんだったのか、リチャードはようやく分かってしまったのだ。




