第二百三十四話 ボーンとの回想
今日もリチャードはジャッジのいる資料室へと足を延ばしていた。
「ご機嫌如何ですか、アッパー様」
「悪くない。ここへの缶詰にも慣れた。人に備わっている適応能力に感謝すべき……かな」
前代表の側近だったボーンが魔法技術開発専門学校に依頼した仕事の資料は大量に残されていた。
その原案や、会議の議事録、誰に依頼すべきかと悩んだのだろう。
ここにある膨大なリストを見ていると自分があれほど駆け回ったというのも当然だったように思える。
だが原案を見ていても、リチャードは元々ただの事務員であり、こういった専門的な研究開発に携わっていない為、この資料に載っている物が一体どういった機器でなんの為のものなのかはさっぱり分からない。
最終的に、魔法技術開発専門学校で名前が挙がっていたのはカイ・トウドウ一人だけだった。
リチャードは知った名前を見てふと彼女を思い浮かべた。
熱く、硬いアスファルトにのされたあの日も同時に頭に蘇った。
彼女に聞いても無駄だろう、という結論に至る。
力で打ち負かされた以外にも、リチャードが直接甲斐に話を聞きに行こうとしないのにはもう一つ、理由があるのだ。
やはり自分で理解するしかない。
これだけある書類を見ても初心者に分かるような文が一つも無いのだから頭が痛くなる。
ここまで読み解かれるのを拒否しているような書類に囲まれていると、何から始めたらいいのか分からなかった。
たった一言、この機器に目的が分かる名称があればいいのにそれすらも無いのだ。
議事録を見ていても分子分解がどうとか、再構築魔力をどうだとかちんぷんかんぷんである。
「ジャッジ、これからの君に対する態度が掛かっているから慎重に答えて欲しい」
リチャードは深刻な声でジャッジに話しかけた。
ジャッジは眉を上げる事すらしない。
「この……なんだ……研究開発の原案を噛み砕いてもらう事は出来ないか?」
「噛み砕く? 保存された資料をシュレッダーにかける事は認められておりません」
リチャードと同じように大真面目にジャッジは答えた。
「だろうね! それはいい!」
ジャッジの答えにリチャードは手を叩いて笑ってみせた。
だが、すぐに真顔に戻ると威厳たっぷりに咳ばらいをする。
「私を馬鹿にしないでくれ、ジャッジ。君の歯が全て犬歯に見えてはいないし、シュレッダーの代わりになるだなんて過大評価もしてない。……その……、恥ずかしい話だがこの資料の内容が私には難しすぎて理解できないんだよ……!」
「アッパー様、私にも専門的知識はございません。そもそも資料の内容も私の瞳には映らないようになっております。白紙、という訳ではありませんが書き換えられて見えるのです。ここを守る為に、知らない事こそ必要な盾でございます故……」
リチャードは何とも言えない笑みを浮かべて書類を振ると、視線を文字に落とした。
少し考えればわかる事だった。
ジャッジが書類を読み解けては、悪用されかねない。
この書類を解読してもらいたいが、人に頼れるような内容ではないだろう。
やはりこの主導権を握っていたとされるボーンに会いに行かなければならないのだろうか。
「アッパー様、お困りですか?」
「……そうなんだ。私は聡明でも無ければ、飛び抜けた才にも恵まれていないからな……。やっぱり、自分でなんとかするよ。この年で新たな分野を勉強するのも良い機会だ」
うなだれながら、自分自身を励ますように言うリチャードに今度はジャッジが話しかける。
「これは無知な私が思いつく提案ですのでどうぞ、笑って流して下さって構いませんが……前任者のボーン氏にお聞きした方が良いのでは? アッパー様もお忙しいようですし、一から研究について学び、これを解読するよりも手間が掛からないかと」
「……そう思うよな。私も同意見だ。でも、どうしてもボーン氏を信用しきれないんだ」
一番良い方法はジャッジの言う通り、ボーンを頼る事だろう。
しかし、リチャードはあえて今までそうしてこなかった。
「なんの知識も無い私はボーン氏の言葉を鵜呑みにするしかない。本当かどうかも分からない内容を離されても、ね、それが引っ掛かる。かといってこちらがどれだけハッタリをかましても、少し突かれればボロが出るだろう」
「それは貴方様の力が試される時ですな。……私と違い、皆様の時間は有限なようです。どうぞ、後悔されることのないよう」
ボーンは背を向けて書棚の合間へと消えた。
普段、ジャッジが何をしているのか気にした事も無かったがああしてこの広すぎる書庫の中を歩き回っていた。
それは守るべきこの場所にリチャードがいるからこの場から離れられないのかもしれないが、今の彼にはそんな暇そうな電子生命体の事を気遣える余裕は残されていなかった。
膨大な書類へと目を落としながら、リチャードは以前ボーンとの会食で話されたあの事実を思い出していた。
× × × × ×
デザートの後、彼を試すように魔法技術開発専門学校のパンフレットを差し出し、開発者を探していると話すとボーンは重い口を開いた。
ボーンの言葉を待つリチャードと、どの単語から声にしようかと迷うボーン。
向かい合ったまま二人は沈黙を聞いていた。
『……私が側近であった頃、私はとある案件の開発者を探していた。優秀で、かつ貪欲な、研究とあれば脇目も振らずに没頭するような人材を』
『……いつだって優秀な研究者は必要ですもんね』
失敗しないように慎重に言葉を選んだリチャードに、ボーンは食いついてきた。
『その通り! いくら財務管理が出来ても! いくら事務仕事が正確でも! いくらクライアントを抱え込んでいる敏腕セールスマンでも! 利益をもたらすにはまず商品が必要だろう! 金塊を生み出す者、それこそが開発研究者だ!』
口から飛沫を撒き散らしてボーンは語った。
『だからこそ、人選には最も気を配る! ああすれば良かった、そんな事を口にするならば舌を噛み切れと前の側近にも叩き込まれたものだ! SODOMがここまで大きくなったのは創立者と、側近へ重要な仕事を任せてくれる大きな心の賜物だ!』
『分かりました、分かりました! それで、あの学校で何があったんです!?』
堪らずリチャードは核心を突いた。
このままでは夜が明けてもボーンの話す勇気が湧くか、分からない。
ボーンは水を一杯飲み干すと、目を合わせぬまま語り出した。
『……あの学校に稀に見る才能を持つ女子生徒がいた。あっという間にエキスパートランクまで登り詰めた女子生徒が。噂だけでなく、彼女の残す成果はどれも素晴らしい! これを放っておく事など出来ぬだろう!?』
甲斐のことだと、リチャードはすぐに察しがついた。
『……その女子生徒のことだけが気がかりでな』
『……依頼をしに、行かれたんですか?』
『左様。どんなに素晴らしい結果を残しても、我がSODOMに相応しい人柄でなくてはな。結果として、彼女に開発を依頼したのだが……』
ボーンは深く、息を吸いこんで一度止めた。
『……その彼女は、もう、いない』




