第二百二十七話 ブレインとヘルメスの対決
ブレインが珍しく民間警察本部を留守にするというニュースは瞬く間に広がったらしい。
驚いた顔からうまく笑顔を作れない受付の女性を横目に、ブレインは久しぶりの外出に胸を躍らせていた。
到着した先を慣れた様子で歩き、両開きのドアの前に立つと『会議室』と金文字で浮かび上がった。
優しくノックするとドアが開く。
出迎えてくれたのは紫のスーツに身を包んだスキンヘッドの男だった。
「これはこれは! 民間警察の長官様が直々に出向かれるとは珍しい!」
大げさな身振りと、大きな声で笑ってみせるがブレインは品良く微笑んだだけだった。
「今日は警察はお休みですか? 悪党にとっては最高の一日になりそうですね!」
「頭ぼっこぼこだけど大丈夫なの? 内側から食い荒らされてるとかじゃない……?」
ネクタイもしていない男はブレインの後ろから顔を出した甲斐を見ると、顔をくしゃりとしかめた。
ひょっこり現れた甲斐とその盾にされているブレインの前に立っている、彼の頭にある不自然なへこみは輪郭を歪ませており、右目は義眼のせいで焦点が合っていない。
体格は良いが身長はそれほど高くないこの男は初対面の甲斐にヘルメスと名乗った。
男が顔をくしゃりと歪めた理由としては、ブレインが邪魔者を連れてきたからではなく、甲斐が物々しい迷彩服着ていたからだろう。
中へ案内され、二人は椅子へと座るがこの人数にこの場所はあまりにも広すぎる。
「ブレインさん、貴方が直々に出向いて下さったのはいつぶりです? お連れ様がいると伺っていなかったので驚きましたよ!」
自然な流れを作ったヘルメスは甲斐をじっと見つめ、再びブレインに向き直った。
「そちらの脳と口が直結しているお嬢さんは特殊部隊の者ですか?」
「彼女は私の護衛です。か弱い私が出歩くというのはリスクばかりなものでね」
甲斐が自己紹介をしようと笑顔を浮かべた瞬間、ブレインが甲斐の膝を強く掴んだ。
その手とブレインの顔を見た。
相変わらずかっちりと七対三に分けられた艶めくロマンスグレーの頭と黒縁の眼鏡は揺るぎない聡明さを演出していた。
「護衛? ここまでの道のりは転送装置では無かったですかな?」
んん、と喉で唸るヘルメスの目は、口元と違って笑っていない。
場の空気が変わったのが甲斐にも感じ取れた。
「ハハ! そうか、我ら観測機関の中で万が一にでも襲われては敵わんと? そんな輩は私含め、警備にお任せ下さればいいものを」
「確かに! 取って食えそう! 『俺のようにしてやろうかぁぁああ』……とか言って!」
甲斐の膝を掴んだままのブレインの手が力を強めた。
ヘルメスが目を見開いて威圧すると顔の傷も恐ろしく引きつり、幼子であれば泣いていただろう。
「……それで、本日のご用件は? 表に出せぬ案件でもおありで?」
「ヘルメス、久しぶりに顔を合わせたのにいきなりの本題で申し訳ない。うちに来ていた担当者が急に来なくなって困っているんだ。彼はなんていったかな、とても優秀な新人だった」
ヘルメスは少し考えるような素振りをした。
甲斐は黙ってヘルメスの顔を見つめながら、見れば見る程怖さが増していく不思議な顔面だと思っていた。
「職員達を一人一人把握している訳じゃあないんでね、誰の事を言っているのか分からない。代わりといっては言葉が悪いが、民間警察の担当者を新しく配属して挨拶に向かわせましょう」
「そうだ、思い出しました! クロス君です!」
ヘルメスの言葉尻に食い込むような形でブレインが声を上げた。
「クロス・セラフィム君をお呼びして頂いてもよろしいですか?彼の仕事ぶりには感動しまして。連絡も取れなくなってしまいまして、突然の事でしたので、もしかしたらこちらに非礼があったかもしれない。是非、顔を見て話したいのです」
ヘルメスの何か言いたげな表情尾を無視してブレインは話し続けた。
ヘルメスはどう切り返すかと思えば、意外なことに、傷のある口元を歪ませて笑い出した。
「民間警察のトップである貴方がそんなにも当機関の職員に目をかけて下さるとは光栄だ! 優秀な人材ならいくらでもおります。ただ、担当者が漏れていたのであれば申し訳ありませんでした。明日にでも手配致しますよっと!」
そうして、手を打ち合わせるとヘルメスは立ち上がろうとした。
さっさと話を切り上げようとしているようだが、ブレインは逃がさないよう、動じずに話を続ける。
「そうですか、では安心だ! ただ、急ぎの案件がありまして……担当者が来てくれないものだからこうして図々しくも散歩がてら来てしまったという訳です。……勿論、審査が通るかは別のお話ですがね!」
眉を下げて黒い革の鞄から書類を取り出したブレインに、ヘルメスは小さく舌を打った。
観測機関と民間警察の看板を背負う二名は持ちつ持たれつの関係であり、それをブレインもよく心得ているようだ。
ヘルメスの統括している観測機関側の不手際により、取引相手の代表者がこうして出向き、仕事を頼みに来た。
今回の問題を解決するには、平謝りと称するにはあまりに横柄に思えるヘルメスの『謝罪』が必要不可欠であることは間違いない。
それと共に、その案件を断る事は出来ないという事も。
「ブレイン、お前が手ごわい事を今の今まで忘れていた俺は馬鹿だ! 押せば倒れそうなヒョロヒョロの気弱が民間警察のトップなんてそんな馬鹿な話があるわきゃねえもんな!」
結局のところ、ヘルメスが負けを認めたのだ。
だからこそ、これまでの他人行儀なビジネスの態度から一変し、こうしてブレインに指を突き付けて責め立てている。
「人を押しのけて、道すがら倒れた奴らを踏みつけながらテッペンまで登り詰めたお前がお人好しなワケ無かったよ! なあ!?」
「過大評価ですよ。……それで、この案件をお願いできるか聞きたいので審査状況をお伺いしてもよろしいですか?」
分かり切った答えを、ブレインは急かす。
この案件が断られるわけがないといった自信があるのだ。
ヘルメスは毛の無い頭をぴしゃりと叩いた。
「……行き方は分かるな? とっとと行って、さっさとお帰りを! その護衛が付いて行くのを止めるよりも、道中で迷い込んで漂流するのを期待した方が良さそうだ!」
「突然あたしに飛び火した!毛が短い……じゃなかった、気が短いなあもう……」
書類をブレインに返そうとしていたヘルメスが差し出した手をテーブルの上で止めて甲斐の方をゆっくりと見た。
咎められるような視線に耐え切れず、曖昧に甲斐が愛想笑いを浮かべる。
ブレインは身を乗り出してヘルメスから書類を取り上げると、鞄に仕舞う時間も惜しんで甲斐の腕を取って立ち上がらせ、未だに制止しているヘルメスへウィンクをして立ち去った。




