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第二百二十話 ナバロのおうちへいこう!

 甲斐とビスタニアが楽し気に話しながら、ビスタニアの家に向かう中でサイレンを轟かせながらレスキュー車が通り過ぎていった。



「ほら、あれだ」



 ビスタニアが指をさしたのはレンガ調な外観の四階建てアパートだった。



「おお! なんかもうおしゃれだね!」



 階段のある玄関ホールの古びたガラス戸を開け、中に入ると外よりも冷え切っていた。

 最上階だというので四階までの階段を一段飛ばしで跳ねるように上がっていく甲斐の後ろで、ビスタニアは彼女が落ちてきてもいいように付かず離れずで見守っていた。



 しかしそんな心配は杞憂だったようだ。

 学生時代よりも更に身軽に跳ね回る彼女は、息切れ一つしてない。



 表札も無いドアの前で甲斐はきょろきょろと周りを見渡しながら、無人の向かいのドアノブを回してみたり、窓から差し込む陽を目を細めてみたりしている。

 片手でポケットから鍵を取り出してドアを開き、甲斐を呼び戻して先に中へ入れる。


「おっじゃましまーす! おお、綺麗にしてるね! さっすがナバロ! あ、キッチンもある!」

「お前が来るから片付けたんだ……こんな事、言わせるな」



 きょろきょろと見回る甲斐の後ろで、ビスタニアは荷物をテーブルの上に置いて小さく呟いた。



「あたしが? 来るから? 片付けた?」


 甲斐の問いかけを無視したが、ビスタニアの前にひょっこり現れた甲斐は嬉しそうに口を真横に伸ばしている。


「へっへっへ、お兄さんもう一回言って貰おうか!」

「また今度な」 



 嬉しそうに笑う甲斐を見てビスタニアは顔を隠すようにして冷蔵庫に飲み物を仕舞い始めた。

 台形の出窓を開こうと甲斐は取っ手を上げて押したが、中々開かない。

 ぐいぐいと力を込めたが少し揺れるだけでびくともしない。


 歯を食いしばって足を前後に開き、体重を掛けて押していると突然窓が外側に開いた。

 その勢いで甲斐の上半身は外に投げ出される。



 足の先を窓枠に引っかけ、取っ手を握ったまま甲斐は踏ん張っているとビスタニアが異変に気付いて甲斐を抱きかかえるようにして引き戻した。



「トラップ……! 今……何か……起きた……!」

「起きたんじゃない、起こしたんだ……! やめてくれ、俺の心臓が止まりそうだ……!」


 

 密着している体から伝わってくるのは早鐘を打っているビスタニアの鼓動だった。



「ほら、この椅子。これに座って大人しくしていてくれ」



 青ざめているビスタニアをじっと見つめる甲斐は突然にやりと笑った。

 何が面白いのかと首を傾げて呆れたような顔をすると、椅子をくるくると回して嬉しそうに笑っている。


「ナバロ、表情豊かになったよね~!」


 その言葉に、自覚のあるビスタニアは困ったような顔をする。


「ほんっと最初はずーっと仏頂面で、笑ったり焦ったりするもんかって感じだったのにさあ。いやあ、面白いなあと思って」

「それは……お前のおかげだな。……でも、頼むからあまり心配させないでくれ」


 

 椅子に座った甲斐の前に立つと、彼女の手を取ってじっと目を見つめる。

 甲斐はその様子に目を逸らすことができなかった。



「……お前が目覚めるまで、気が気じゃなかったんだ。初めて仕事を辞めたいと思った。部隊に行くのを何が何でも止めるべきだったともな。お前がいなければ、俺の顔は以前の仏頂面に戻ってしまうさ」



 手を伸ばして優しく頭を撫でてくれているビスタニアの手は震えていた。

 甲斐は両腕を伸ばしてビスタニアを引き寄せ、立ったままの彼を思い切り抱きしめる。



「ごめんって! この先あんな事、絶対無いとは言い切れないけど……でも絶対いなくなったりしないから! ナバロを置いてどっか行くなんて無いから!」

「そうだな……そうしてもらいたい」


 

 久しぶりの抱擁を満足いくまで堪能すると、ビスタニアはふと思い出したように言った。

 


「その椅子、気に入ったか?」



 甲斐が座っている回転式の椅子はアイボリーで座面が体を支えるように埋もれるような造りになっており、座り心地は抜群だった。

 背もたれと肘掛の部分は体を動かす度に適切な位置に動き、足の高さに椅子全体が自然に合うようになっている。



「これすんごいね! このままこれに乗って帰りたいぐらい!」

「そうか……でも、それは駄目だ。また座りたかったら俺の家に来い。これは専用の椅子だからな」

「……専用? 誰のー?」



 てっきり照れるかと思っていたら、甲斐は不敵な笑みを浮かべながらビスタニアを見ている。



「だ、誰……? お前のだが……」



 『お前』の部分でこの部屋には二人しかいなというのに、勢いよく後ろを振り向いて不安気な顔をする甲斐にビスタニアは困ったように眉をひそめた。



「だから……お前の……おい……!」



 いくら甲斐の目線に顔を合わせても、耳に手をあてて聞き返すような素振りをされてしまう。

 ビスタニアは、覚悟を決めるしか無いようだ。



「……カイ……専用…だっ……!」

「えー! あたしのー!? ありがとナバロ!」



 顔が燃えているような気がした。

 無邪気にはしゃいでいる甲斐は随分と頭が回るようになった。


 魔力式冷蔵庫も安物なので五分待たなければ冷え切らないが、そろそろいいだろう。

 飲み物でも出そうとビスタニアがキッチンへ向かうと甲斐も一緒に付いて来た。



「この前の夕食の約束、守れなかったからその埋め合わせするよ! 今日はあたしが作るね!」


 意外な申し出に、ビスタニアは数秒硬直してしまった。

 取り繕うように返事をしたが、用意不足のせいでその声は暗い。


「……そんな大した材料も無いぞ、住んでいるのは料理上手な女性でなく俺一人だからな」

「いいよいいよ、逆にすげえエビとか貴重な臓物とかあっても困るし!」


 そう言うやいなや、髪の毛を束ねる物を甲斐が探し始めた。

 

 甲斐が手に取ったのは、乾物の袋を止める為の安い輪ゴムだった。

 躊躇いなくそれで髪を高い位置で結び、腕まくりをする。

 ビスタニアは観念して食材をキッチンカウンターへ並べていく。



「パスタ麺と……ベーコンはある、あと調味料だな。野菜は無いんだが……」

「あっ、もうあたしの中でメニューは決まったわ。ていうかこれ以外出来る気がしないわ」



 湯を沸かそうと甲斐が大きなパスタ鍋を持ち、水を入れたはいいがコンロの使い方が分からない。

 コンロと言っていいのか、本来コンロがある場所は黒く輝く一枚の板に銀色で炎のマークが描かれていた。



「お湯を……お湯を沸かす事すらも……!? 待っててナバロ! あたし炎出すのは得意だからっ……!」



 左手に炎を作り、その上に鍋を乗せようとする甲斐から鍋を取り上げて炎のマークのある黒いカウンターへビスタニアが乗せた。

 あっという間に鍋の中の水は沸騰し、湯気を立ち上らせている。



「……ナバロ、あたしに何か言う事無い?」

「……期待してるぞ」


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