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第二百十九話 天罰ショッピング

 市街地から離れた住宅街の中でひっそりと小さなスーパーマーケットを営業しているのはキース・ジョンソンである。



 彼は長年この地に居つき、入れ替わる人々を見続けて来た。



 開業当初に抱いていたフレッシュな商品と豊富な品揃え、明るい店員達と仲の良いオーナーとしての自分、そんな店の未来図など跡形も無く消え去っている。

 当の昔に灰となり、風に吹かれてどこかに消えてしまった未来への展望。



 そんなものは最初から無理だったのだろう。



 店を開いた頃、キースには妻がいた。

 『口数の少ない男の隣にはお喋りな気の強い女』と昔から決まっている通り、キースとキースの妻も漏れなくその通りだった。



 そんな女性と上手く付き合っていく秘訣は顔を合わせ過ぎず、お喋りという名の愚痴の対象に自分の名前が挙がらないように常日頃気を付ける事だ。



 しかし、この狭い店の中に箱詰めとなり、仕事を終えても家で二人きり。

 二十四時間一緒にいるのだ。



 当然理想通り、『顔を合わせすぎない』なんて秘訣は実現しない。

 キースが一人で店を切り盛りするようになるまで、時間はかからなかった。





 一人で商品の仕入れや接客、在庫管理や売り上げ計算をしていくのは大変だと気が付いたキースは店員を雇う事にした。




 まだこの通りに他の店が立ち並んでいた頃、若者も多く、面接をして決めた男子学生は感じが良かったし、傷心していたキースも久しぶりに笑い合える相手が出来た事が嬉しかった。

 彼が真夜中にレジごと抱えて逃げた防犯カメラの映像を見るまでは。




 それからキースは誰も信じなかった。



 『看板が古臭いので一新を』と失礼な売り文句で看板を勧めた営業マンには飲んでいた熱々のコーヒーをかけてやったし、オマケを付けてやっていた隣の家に住む常連客が大きなショッピングセンターに通うようになった事を知った日には真夜中に非常ベルを鳴らしてやるのを日課にした。



 長くやっている内に、近隣の食事処への配達契約を貰えるようになった。



 退屈だが変化の無い日々の中で変わっていくのは客だけだ。

 いつの間にか寂れたこの通りは家賃が安くなり、若者や単身者ばかりが住むようになった。



 そうなると自然に女性や子供は消えて行った。

 フレッシュな野菜も、活きの良い肉も魚も必要無い。


 重宝されるのは色彩の死んだ缶詰や、これから世界が破滅しても暫くは生き延びる事が出来そうな保存食のようなものばかりだ。

 仕入れる楽しみも、味の良さもキースからは消え始めていた。



「ねーねー……あれ? これ、人形かな……。すっごい、良く出来てんなあ。でも無人って危ないよね、誰かいない?」



 じろりと新聞から声の主に瞳を向けると若い女がカウンターから身を乗り出していた。



 声の主は甲斐だった。

 白いシャツワンピースに黒のネクタイを付け、下のボタンは留めずにそこから黒のプリーツスカートを覗かせている。

 薄い黒のストッキングにベルトのついた黒のエンジニアブーツを履いた彼女は首を傾げながらも、手を伸ばしてキースから新聞紙を取り上げた。



「ここ、ジュースとか置いてる?遊びに行く家の家主に今手が離せないからなんか買って来て欲しい、って言われたんだよね。あとさあ、なんかオススメの――」

「……お前さん、目が見えないのか?」


 

 なぜ最近の若者は必要以上に話しかけてくるのだろうとキースは思ったが、それを口出しはしない。



「えっ、なんで? あたし瞳濁ってる? 焦点合ってない?」

「見えるなら、自分で探せ。狭い店だ、見たら分かるだろうよ」



 睨みをきかせてやると、女というものは口うるさく反論してくるか泣き喚くだけだ。

 そうなれば退店してもらえばいい。



 そう、キースは高を括っていた。



「え、え、偉そうに! 暇そうな癖に! 店長とかに虐待されて性格歪んだの!? それにしては人形の逆襲がこれって地味だな! 地味に嫌だな!」


 

 確かに予想通りではあるのだが、この女の言う事はどこか予想とは少し違っている。

 堪らずキースも口を返してしまった。



「さっきから聞いていたが誰が人形だ! 俺はこの店の店長だ! このクソガキが! だらだらと髪を伸ばしおって汚らしい!」

「な、なんですと!? そんな蝋人形みたいな青白い顔して動きもしないからてっきり人形かと……! ていうかあたしの髪汚くないし! お風呂入ったし! 確かにたまになんか『おっ、近くに犬いる!』 みたいな匂いする時あるけどそれは任務で忙しい時だけだし!」


 最低な反論に、キースは何から言えばいいのか分からなくなった。

 そして、結論を急ぐ。

 彼女も『出入り禁止』措置を取る事に決めた。



「もういい! うるさい! これだから女は嫌なんだ! さっさと出て行け! 出入り禁止だ!」


  

 新聞を脇に挟め、甲斐は走り出した。

 出口へ向かっている訳ではない。


 からかっているのか、それとも喧嘩を売っているのか。

 キースはとうとう立ち上がり、甲斐を追いかけていく。



「待て! このっ! 出て行け!」



 甲斐はドリンクコーナーのガラス戸を開き、適当な瓶を抱える。

 すると追って来たキースが開かれていたガラス戸に顔から突っ込んだ。

 


 キースのぶつかった衝撃で戸は激しく跳ね返り、うずくまっているキースの頭に当たった。



 後ずさりながら駆け出した甲斐は棚から『爆裂!ポップコーン』と書かれたスナックを手に取るが、落ちた袋をキースが踏んでしまい、そのせいで文字通りポップコーンが爆裂した。

 棚と棚の間でピンボールのように跳ね返るポップコーンに襲われるキースに思わず甲斐は声を上げて笑い、颯爽とレジに向かう。



 シャツワンピースの胸ポケットから札を一枚取り出すとカウンターに叩き付けるように置いた。

 一連の流れはわざとではなく、甲斐は話しても埒のあかないキースとの会話をやめ、普通に買い物を始めただけなのだ。




「多分足りるから! おつりとか気にしなくて……わっ、鼻血出てるよ! 大丈夫?」



 ふらふらとキースは甲斐に向かって両手を向けて歩み寄る。

 そして一気に距離を詰めるように飛び込んで来た。 

 普通の女性であればこれで捕まっていただろう。



 相手が悪かったとしか言いようがない。



 甲斐はひらりと躱すと、両手が塞がったまま片足を上げて彼の背中に強烈な一撃を加えた。

 キースは入り口横の窓から盛大な音を立てて外の世界へと飛び出して行った。



「あっ……やばっ……死んっ……!?」



 彼を追いかけ、出入り口を体で押しながら外へ出るとビスタニアが笑顔で手を振っていた。



「あれっ、ナバロ!? 先に言っておくけど、買い物仕方が分からないとかじゃないからね! 商品を選んで、お金払う……ほら、ね? 店員を倒せば店ごとあたしのモンじゃーん! とかじゃないから! ホント違うから!」

「ん?そうだな、俺の家に来るのは初めてだな。飲み物代は後で返すから……ほら、持ってやる」



 甲斐には何故ビスタニアがこんなに穏やかな表情をしているのか、そしてすぐ傍でガラス片に塗れて転がっているこの店の店主がまるで見えないかのように振る舞う理由も分からなかった。



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