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第二百十八話 一か月の代償

 喫煙所に言っていたというヴァルゲインターは、シェアトから甲斐が目覚めたと聞いても煙草を吸い終わるまでは頑として出てこなかった。

 ようやく治癒室に戻った彼女は、簡単な問診と触診をさっさと終わらせてしまう。


「はい、これでオッケー。終わり終わりぃ!」

「ちょっ! 軽くない!? いったた……こんなに体ぎっしぎしなのに!?」



 甲斐の動揺を無視したヴァルゲインターは伸びをしながらコーヒーをお手伝い天使から受け取り、机に向き直ってしまった。



「リハビリとかどうすりゃいいのさあ……うう、手抜きだあ……あたしの体よりも自分のティータイムが大事なんだあ……憎いい……許せないぃ……元気になったら覚えてろおお……」



 それから、甲斐にも温かい紅茶を振る舞うと何が起きたかを簡単に説明してくれた。

 その中でどうしても信じられなかったのは、あのシルキーが崩れゆく建物の中からわざわざ自分を引きずり出して拠点に連れ帰ってくれたという事だった。

 一か月近くも眠っていたという話も、もしかすると嘘ではないかと甲斐は疑っていた。



「ま、急速に回復なんて出来ないの。外傷なら私の出番だけどさあ……」



 頬杖をついてヴァルゲインターは策を巡らす。



「一応回復促進剤は、私の許可が下りるまでアンタが頼んだ食事に混ぜ込むように指示しておくから。あとは一週間ぐらいトレーニングルームで自分でリハビリしてちょうだいな」

「……ほお~い……。まーたシェアトに差ぁ付けられんのか……」



 病衣のまま、裸足で治癒室を出て行こうとする甲斐をヴァルゲインターは見送りがてらドアを開けてくれた。

 そこで、思い出したように言った。



「そうだ! あのワン公、よくアンタの見舞い来てたよー。ちゃんと防音魔法かかってるから、何喋ってんだか分かんないからさ、襲われてたらごめんよ!」


 

 ウィンクをして笑うヴァルゲインターの言葉は甲斐には全く笑えない。

 


「それに、ワン公はまだカウンセリング中だから……追い抜くなら今がチャンスかもねえ。ま、詳しい事は本人から聞いてちょーだい。ほら、行った行った!」



 一歩治癒室の外に出た途端にドアを閉められてしまい、消化不良のまま甲斐は傷む体を引きずって甲斐は自室へ向かう。



 シェアトがカウンセリング中という事実にも驚いた。

 気丈な彼も、やはり何か思う所があったのだろうか。

 それとも、自分がこうして床に伏す事となったあの日の任務のせいなのだろうか。



 心の何処かで、シェアトがこのまま復帰せずにいてくれたらと思っている。

 そんな醜さに気が付いてしまい、甲斐はくしゃりと顔を歪めた。



「最低だ……! あたしって最低最悪だよ……!」

「その通り、こっちは最低最悪だった。一か月寝ないでこれから働いてくれるんだろ? うん?」



 振り返ればそこには、可愛らしい笑顔を浮かべているシルキーがいた。

 しかしその顔半分は赤みがかった傷痕で覆われており、まるで別人のように見える。

 甲斐は素早く動けないので足を引きずりながらシルキーに近付き、そっと両手を伸ばして彼の小さな顔を掴んだ。



「っへぇぇええ! なんスか、これ? メイク? マスク? 思い切りましたね、シルキーさん」



 素早く甲斐の顔を右手で掴んだシルキーは笑顔のまま力を入れた。

 メキメキと何の音か分からない音が肉の内側から聞こえ、五本の指が甲斐の顔に食い込んでいく。



「面白い顔をしてるよねぇ、これってメイク? マスク?」



 あまりの痛みに声を失っている甲斐の顔からぱっと手を離すと、シルキーは迷彩服で拭うように手の平を擦りつけた。

 甲斐はこめかみを両手で覆い、ふらふらとよろめいている。



「いったあああ……! お久しぶりなのに随分じゃないですか……」



 涙目で甲斐はシルキーをじっと見つめる。 



「それ、あの時自分で落とした雷のせいっスか? 傷……残っちゃったんですね。あ、でもそれはそれで箔が付いて良いんじゃないかと」



 へらりと笑う甲斐にシルキーは嫌悪感を顔に浮かべた。



「そりゃどうも。お前に言われても嬉しくもなんともないんだけど」

「……なんか、今日シルキーさん機嫌良いっスね」



 嫌味や皮肉の類が飛んで来るかと思っていた甲斐は予想外の反応に戸惑った。



「あ、そうだ……この前、その……なんの役にも立てなかったみたいで……あのその! えっとですね、やる気が無かった訳では無くて!」



 いつも通り、シルキーは鼻を鳴らした。

 見下すように顔を少し上げて、甲斐を睨みながら思ったよりも弱い声で答える。



「確かに文字通りお荷物だったけど、帰りは。……お前の大暴れで標的は沈黙したし、結果的に仕留めたんだ。次はもう少し静かにやってよね、迷惑」

「……あたし、仕留めたんですか? うおお、マジか……マジかあ……」



 とうとう、この時が来てしまったのだ。

 人の命を奪った、そう聞かされても実感と呼べるような感情は湧かなかった。

 震える事も無く、ただシルキーから聞いた戦果ににへらと笑顔を作ってみたが心から喜び切れるはずもない。



 仕留めたのは甲斐ではない。

 いつものシルキーならば、即座に切り捨てていただろう。

 

 だが、甲斐の勘違いを否定しなかったのは少なからずシルキーが甲斐の復帰を否定的に考えていないという気持ちの表れである。



「今回は戦果を上げたからその情けで連れ帰ってやっただけだから。仕事の邪魔になるようなら切り捨てる。分かったぁ? 返事は?」

「は、はい! でも、シルキーさん助けてくれたんスね。シェアトも、あたしも。なんだあ、良いとこもあるんだ」



 ここで言葉を留めておけるような人物だったなら、甲斐がシルキーにここまで冷たくあしらわれる事は無かっただろう。



「マジで見捨てそうっていうか、薄ら笑いを浮かべて厄介払いとかしそうなタイプかとちょっと思ってたんで!」

「頭の中までリハビリ中?ご期待通り、次はそうしてやるから安心しろ……」



 わざと肩をぶつけて甲斐をよろけさせ、シルキーはヘルメットを指で回しながら歩いて行く。



「なんっか機嫌良いなあ……」


 甲斐の失礼な冗談に対しての反応があまりにも優しい。

 そんなシルキーに甲斐は肩透かしを食らったような気持ちになった。

 それどころか、気味の悪さを感じる。



「うわっ、鳥肌! 浜辺ではしゃいでて気付いた時には大量のフナムシまみれだった時思い出した……!」



 甲斐は久しぶりの自室に戻り、胸元に鮮やかな色の四葉のクローバーがプリントされた白い半袖Tシャツとデニムのホットパンツに着替えた。

 無造作に床に転がっているビーチサンダルをつっかけ、食堂へと向かう。



 これから目覚めた事を全力で喜んでくれる仲間達の話し声が通路にも響いていた。




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