第二百十四話 甲斐のユメ
甲斐は『これまで夢の中でこれは夢である』と自覚出来るという明晰夢を見た事は無かった。
そういったものがあるという事は知っていたが、見たことが無い人間からするとそれはおとぎ話のように現実感が無いのである。
しかし今甲斐はそのおとぎ話の中にいた。
ふと気が付いた時にはフェダイン魔法訓練機関学校で、一人ぽつんと食堂の席に座っていた。
それまでの記憶は無く、本当に突然の事だった。
この部屋の何から最初に認識したのかさえ分からないが、それは一瞬でフェダインの食堂であると理解した。
「あれ……卒業出来たのって夢オチ?」
学生時代を懐かしむ間も無いほど多忙な日々を過ごしてきた彼女にとって、こうして母校の食堂に一人座っているというのは不思議だった。
またあの授業とテストを受けるのか、卒業試験は駄目だったのかと記憶を巡らせるも間違いなく自分は就職していたのだとはっきりと自覚できた。
卒業式の日、それからの皆を思い出せたのだ。
「カイ、僕以外を見ないでくれないか! ほら、目を合わせて愛を語らおう!」
エルガの声が食堂に響く。
いつの間にか円卓が現れ、向かいにはエルガが座っている。
しかし、彼は真っ白なスーツ姿だ。
フェダインの制服ではない。
「……エルガ、みんなは?っていうか校則違反も甚だしいよ」
「君だって、制服じゃない。それは、特殊部隊の戦闘服だ」
言われてみれば、甲斐は手袋もしているしスカートから覗くはずの太ももは灰色の迷彩パンツだった。
対魔法効果のあるベストの馴染みある重さを急に体が認識した。
いくら異世界の魔法が存在する世界だからといっても、こんなシチュエーションに記憶の錯誤はあり得ない。
「皆、とは誰の事を指すのかな?」
「シェアトとか……ルーカスとか……エルガの一番仲良い人達でしょ! すっとぼけなさんな!」
「それなら、ここにいるじゃないか!」
エルガと甲斐の左右にシェアトとルーカスがまたいつの間にか座っていた。
シェアトは甲斐と同じW.S.M.Cの迷彩服を、ルーカスは以前資料で見た医療団のローブを纏っている。
「これで大丈夫だね! さあ、また楽しい日々を始めよう!」
「……クリスとフルラ、ナバロにおかっぱは?」
「ほら、君の傍に! これで役者は揃ったね? さて、何をして遊ぼうか」
後ろに気配を感じ、振り返ると甲斐が口にしたメンバーが揃っていた。
皆、にこにこと笑いながら甲斐を見つめている。
「カイは何がしたい? 水遊び? 鬼ごっこ? なんだって君と一緒なら楽しいさ」
「すっげえ不気味なんだけど……! あたしの夢って結構病んでる……!」
甲斐は手袋を脱ぎ捨てたが、手の感覚は得られなかった。
急いで頬をつねってみるも、なんの痛みも触れている感覚も無い。
「夢?ははは、夢でもいいじゃないか! こうして皆が揃ったんだ。学生時代のように、また楽しく笑い合おう。カイ、君が望んでくれたから僕達はこうして君に会えたんだ」
「このボケルガ。いや、ボケてんのはあたしか! あーもう! どうしてこうもちゃもちゃ訳の分からん事を……!」
甲斐がばりばりと自分の頭を掻きむしった。
「夢って自分の願望だっけ?なんだっけ? 夢占いだと良い夢かもね! でもそんなんどうでもいいわ!あたしがどう思ったが、主観だけどそれが大事! 有象無象もよく聞いてね! はいちゅうもーーく!」
とっ、とテーブルに上がり、甲斐は立った。
それなのにマナーにうるさいクリスは笑顔のまま甲斐を見上げている。
それがとても腹立たしい。
こんなものを、望んだのではない。
「分かった! 認める! 確かにフェダインの時みたいにみんなでわいわいした頃に比べたら今は最低だよ!」
甲斐は苦笑いを見せた。
「そこの金髪がソドムやらドムドムやらに行ってから、みんなの運気落ちた気もするし! だからって、過去に戻って遊びましょ! なんて望んでないの! お呼びでない! オッケー!?」
エルガだけでなく、皆をじろりと睨みつけて甲斐は吠えた。
「僕が君を苦しめているのかい? すまないね。でも、そんな現実の僕よりも今ここにいる僕の方が君を喜ばせてあげられる。それに君にはそんな迷彩服を着て危険な場所に飛び込んで行くよりも、綺麗な服を着て、あの弾けるような笑顔で楽しく笑える場所にいる方が似合っているよ。だからここで――」
夢の中のエルガは都合のいいことばかりを連ねていく。
甲斐は自分自身に怒りが沸いた。
心のどこかで、エルガの手を取っていつまでも『別れ』の無いこの夢の中で笑い合っていたいと思っているのだ。
「やっぱボケルガだわ……! いや、それの究極系……! あたしの脳内大丈夫? こんなエルガを生成するなんて思わなかったわ……。いい!? あたしにはこんな所で鬼ごっこしてる時間なんて無いの! 夢の中だけで楽しく幸せに暮らすのなんてバッドエンドだわ!」
「現実では叶わないからこそ、人は夢を見るものさ! してみたかったこと、戻らぬ時間。そんなままならぬ現実だけで生きていけるほど人は強くないだろう……カイ」
エルガは優しい声で、甲斐の欲しがる言葉だけを与える。
優しい毒が体に回らぬように、甲斐は耳を塞いだ。
「……ボケルガの話してる事もあたしの産物ってやつ? あたしの子供的な?こんにちは赤ちゃん!」
深く息を吐き出し、甲斐はエルガに向けて首を傾げた。
「夢を見るのが悪い事みたいに言うんだね。あたしはそうは思ってないのにな……。夢ってさ、目標だったり希望だったり……そういう前向きなもんでしょ」
この夢は敵ではない。
何を示しているのか、甲斐はようやく理解できた。
「この夢だってあたしの目標で希望なの。前みたいにみんなでわいわいしたい」
「じゃあ、何が問題なんだい? ここには皆揃ってる」
甲斐は不敵に笑い、テーブルの上を歩いてエルガの元へ向かう。
上目遣いで甲斐を見るエルガの前で腰を浮かせてしゃがみ込む。
「エルガが、困ってる。あたしはエルガを助けに行かなきゃ。現実逃避してる場合じゃないの」
「……そうかい、残念だよ」
「でも、この夢は叶えるから待ってな! カイちゃんを信じなさあああああああぁぁぁぁぁああぁぁ覚えてろよおおおおお」
甲斐の立っていたテーブルが崩れた。
それだけではない。
床も崩れ、ただただ甲斐は落ちて行く。
エルガの座っている椅子だけは留まり、宙に浮いたままだった。




