第二十話 少女は悪魔に魅入られたのか
「オラアアアア!」
甲斐は咄嗟にトイフェルを突き飛ばし、両手で頭を守るように腕を伸ばし、そして強化した。
街灯を受け止めるような形になったが、重さまで無くなるわけではない。
「……し、死ぬ! いやいや! 今日が寿命だとしても抗ってやるウオオオオ!」
衝撃が脳天から足先まで突き抜け、街灯の重さがカバー出来ずに膝が揺れる。
シェアトが強化魔法を甲斐の足に飛ばし、そのタイミングで反動をつけ、力一杯街灯を投げ飛ばした。
投げられた街灯は転がるほど軽くないようで、照明の保護ガラスが砕け散る音が響く。
「……大丈夫か? ……はあ、今日はホントについてねぇな。さあ帰るぞ。 事件は解決だ」
甲斐の手を取って引き起こすシェアトの顔はどこか暗い。
「嫌になる気持ちは分かるけど、ここで立ち止まってる方が危なくない? トイフェルまで死んだら無能どころの騒ぎじゃないよ、しかも犯人取り逃がしたらあたし達に疑いがかかるし」
「こいつは死なねぇよ! もういいぜ、そんな心配そうな顔しても無駄だ。随分と演技派なんだな」
怒っているわけではない。
ただ、感情を押し殺した声でシェアトはトイフェルを見た。
「な、何……? 早く逃げようよ……!」
「魔法登録してねぇな? ……お前を見ても俺達の目にあるナビじゃあ一般市民って事になってるぜ。……この街ではな、誰も魔法を使えないんだ。さっき化け物呼ばわりされたのは、トイフェル。テメェだろ」
おろおろと目を泳がせていたトイフェルはぴたりと視点をシェアトに止めた。
そして、にたりと口が裂けたように笑う。
その度華奢な肩が揺れ、汚い笑い声が空へ打ち上げられていく。
「なんだあ~、バレたか。あひゃっひゃ、やだなあそっちの女も一般警官じゃなかったんだね。ネクタイしとけよなあ~。そいつさえ死ぬか重体にでもなってくれりゃあ撤退すんのかと期待したのによお」
「カイ、聞くな。捕獲する事だけを考えろ。何人も殺してんだ、同情の余地なんてねぇぞ」
「とんだイカレ野郎じゃん……! パニックだよ!」
「殺し過ぎたとは思ったよ、でも捕まるなんてごめんだなあ。ねえ、ここで見逃してくんない? あたしも大変だったんだ、出生時にするはずの魔法使用者登録をしてない時点で分かるだろ?」
トイフェルは飄々と自分の都合のいいことばかりを並べ立てる。
「……魔力に適性があって、使いこなせるやつは魔法登録すんだよ。親の義務だが、果たさなかった。まあその方が都合が良かったのかもしれねぇが、そんな事を考える奴は大抵ろくな奴じゃねぇ」
置いて行かれている甲斐にシェアトがさりげなく説明を入れた。
「でも、なんで父上殺したの? 魔法使えるならいくらでも仕事だって出来ただろうし……」
「どこの世界に学校も行ってない中坊を使ってくれる仕事場があんだよ!? あるなら紹介して欲しいねぇ! お偉いさんをぶっ殺して金奪って逃げてやらあ! ……お父さん、なんて呼んだ事ないよ! あんな豚、死んで当然さ!」
地面に唾を吐き捨てると手錠を掛けられた手を捻る様に曲げ、鎖を切った。
ぐるぐると自由になった腕を回しながら、光の無い瞳で二人を蔑むように見つめる。
容疑者確保に移りたいが出来る事なら自ら共に来て欲しい。
話して分かるような相手であれば刺激しないように落ち着かせるのが一番だとシェアトは策を巡らせる。
「色々あったのかもしれないけど、やっぱり人を殺しちゃダメなんだよ。……実際、それを分かってるからこっそり隠れて殺すんでしょ? 悪くないと思うなら堂々とあたし達にも立ち向かえばいいじゃん、カッコ悪ぅい!」
甲斐が何を考えているのか、シェアトは学生時代から分からなかった。
そうだ、いつだって彼女はこうやって自由奔放に動いてしまうのだ。
彼女が空気を読めたことが今までにあっただろうか。
この挑発に、若いトイフェルもまんまと掛かってしまう。
「ハァア?あんたってホントに警察なの? あたしはあの豚のせいで汚い仕事ばっかしてきたんだ、男を喜ばせるのなんてテメェみたいなババアなんかより相当上手いよ? 死体の解体処理、した事無いだろ? 転々と住処を変えて、普通の日常に混ざる度違和感を感じてたね! あー、そうだ! ……最初の犠牲は父親じゃあないよ、どっかのちっちゃな村の女の子さ!」
新しい事件の発覚に、シェアトはそっとブレインへ通信を繋いだ。
まるで学校で賞を貰った日の様にトイフェルは嬉しそうに話し続ける。
「その日の夜は凄く気分が良かったんだ! そして寝る前に思った! 『また、やろう!』って!」
ぎゃはは、と笑うトイフェルは饒舌だった。
「楽しそうにしてる奴がゲロ吐く位嫌いだ! 親子で仲良く買い物してる奴もね! 休みを楽しみにしているヤツも、家に帰るのが楽しみなヤツも!」
全て、自分には無かった。
そう、最後には締めくくりそうだとシェアトは思った。
「やりすぎないように調整して、そろそろ派手にいきたいなって時にあの豚が引越しだって言うんだよ! でも、やっぱやりすぎてたね。あの豚、脳ミソはまだ死んでないみたいで十回目の引越しの時……そうさ、ここに来る道中で言ったんだ。『お前、何人殺せば気が済むんだ?』ってな!」
どこか、苦しそうに見えた。
気付いてほしかったのだ。
自分を、見て。
それなのに、黙認されていたと知った時の彼女はさぞ絶望したことだろう。
「あたしはトイフェル、あんたが可哀想だわ。まだ楽しくて仕方ない時期なはずなのに、そんなに歪まされて。戻れるかどうかは分かんないけど助けてあげる」
真剣な甲斐の表情に、思い切り吹き出して唾を吐きかける真似をするとトイフェルは鼻で笑う。
「お生憎様! あたしは今絶好調に楽しいよ! 演技も完璧だっただろ!? どうしたら疑われないかも分かってんだ。ねぇ続き聞きたい? 教えちゃうよ? ……へへははふふ! この街に着いてから豚は荒れたね、次は自分が殺されるって分かってたからかな!? お望み通り殺してやったさ! 八つ裂きにしてなあああ! ホントに豚みたいだったよ!」
それは、まるで子供の癇癪に似たものだったのだろう。
何一つ与えられずに来た彼女は奪い続ける事でしか、自分の存在を認めてもらえなかった。
「なんであんたは化け物って言われてんの? バレてんの? それともあんたの背後霊が怖いの?」
「えー? 聞く? それ聞いちゃう? あの豚の後にさ、いっつも朝から晩まで笑い声のうるせぇ家に夜中押し入ったんだ。んで、母親に選ばせたんだよ。自分と子供どっちが死ぬかって。そん時にあいつ子供を殺せって言ったからおかしくって! なんだよ、全部嘘だったんじゃねえか!」
突然、トイフェルの目が据わった。
「どっちも殺したよ。笑いが止まんなくって夜の道を大声で笑いながら帰ってたんだ。それをここの奴らが聞いてたんだろうね。民警も無能だから何人も殺されてんのに捕まえられないんだもんなあ」
ここは最初から死んだように静かな街では無かったのだ。
シェアトは右目で昔のこの街の宣伝文句を見ていた。
魔法使用者がいないので、使う家電も非魔法式のものや街灯を使うという時の止まったような街だったらしい。
それでも確かに、看板に描かれているイラストのように、両親に手を引かれ、幸せそうに笑う子供たちがここで生きたのだろう。
いつしか悪魔のようなこの少女が入り込み、いつしか全体が彼女中心に動くようになっていたのだ。
彼女の嫌う物、人、動物、笑顔、明るさ、植物。
全てが消えていった。
温かな家庭は真っ先に標的にされ、事実を知らない家族は気味悪がって逃げ、人口は徐々に減っていった。
せめてもの対策として夜になると住民は家に閉じこもった。
トイフェルが魔法を使えるとは思っていないこの町の人々からすると、彼女が何かをしているのは明らかだったが確証も無く、警察に密告でもしようものなら自分の命も危ない。
かといって事件の度に民間警察が訪れるものの、なんの成果も無く動く事もしてくれなかった。
絶望に包まれた街で、不定期に起こる不幸を受け入れ始めていた時、シェアト達が訪れたのだ。
シェアト達が現れた時に見せた、あの住民達の視線はほんの僅かな『期待』と、トイフェルが怒っていることによる『恐怖』だった。
「もう十分だ……耳が腐りそうだぜ。ホテルを燃やしたのもお前か?」
「そうだよ! これだって偽物だ! 殺し方なんていくらでもあるけどやっぱ拘束すんのが一番だからね! あんた達のお好みはどれ?」
鎖が切られた手錠が光を放って消えた。
粗削りな魔法だが独学で物を生成出来るのには目を見張るものがある。
「あの不気味な老婆は無事? ……幽霊とかじゃないよね?」
「あいつはあたしが入ってきた途端逃げ出したよ。食うものには困らないけど、食ってる暇があるならもっと残忍で、もっと苦しませて殺す方法を考えてた方がましだ! あーあ、あんたらさえ来なきゃこの街にまだいれたのになあ」
大声で喚くように笑うと、街灯が次々と破裂した。
辺りは暗闇に包まれた時、トイフェルが突進するように走り出した。




