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第二百七話 フォックス・クライマックス

「なるほど……、ヒュンライ君。我々の負けだ。白旗だな」

「そんな……!ゾンテ殿、諦めるのはまだ早い!手段を選ばなければこんな子供、すぐに――」

「やめんか! どこまで恥をかかせる気だ!」



 ヒュンライが飽きずに杖をテーブルの上に持ち上げてエルガを指した時、ゾンテが吠えた。

 その剣幕に杖がテーブルに落ちて転がる。



「SODOMが彼で末代だと思うか!? キツネを消したとて、また新たなキツネが現れる! そもそも、こやつが何もせず、我々にみすみす消されると思うか!?」




「代表には手出しさせません。……私の、命に代えてもお守りします」




 杖を拾い上げたのはリチャードだった。

 持ち主に手渡す際にはっきりと宣言すると押し付けるように、突き返した。



「頼もしい側近でしょう? さて、お返事を聞いても宜しいでしょうか?」


 エルガは楽しそうに喉を鳴らした。


「……よかろう、どうせ老い先も短い。欲張らずにここで身を引こう。しかし、我が社の研究員達を……こちらで引き取っては貰えぬだろうか」




 ゾンテはやはり賢い、とリチャードは思った。

 分をわきまえ、どこまでが通る願いなのかをわきまえている。

 切り替えの早さも、感情の抑制もヒュンライに比べてよく出来ていた。

 だからこそこうして長い月日を表から見れば順調に生きて来れたのだろう。



「ヒュンライ君も、共に頭を下げようではないか。私達のした事は私達で責任を取れば良い。それを下の者達にも背負わせては死んでも死に切れん」



 怒りに燃えるヒュンライを落ち着かせる声色でこれからに向けて提案をするゾンテを見て、初めてリチャードは一企業の代表者らしい姿を目にした気がした。

 廃業届を出す事にゾンテは決めたようだ。

 渋っているのはヒュンライだが、一人では何も良い案が浮かばないらしく頼みの綱であるゾンテの顔を見つめていたが予想外の提案にようやくどうにもならないのだと実感したらしい。



「……ゾンテ殿が、そう言うのであればこちらとしても同意するしかあるまい。……若き頃から共に生きてきたのだ」

「……では、改めて申し出よう」


 

 不満はあるが、ゾンテの袖もとにぶら下がってきたヒュンライは反対の声を上げられなかった。

 余計なことをヒュンライが言う前に、早々にゾンテはエルガに意向を述べる。



「ミカイル殿、我々はすぐに廃業届を提出しよう」


 だが、ここでゾンテの言い分は終わらなかった。


「その代わり、我がゾンテ社及びヒュンライ社の研究員をSODOMで引き取って頂きたい。どれも優秀な人材だ。我々は恥ずかしい話だが、企業としてのブランドイメージを保つために家柄や出身校など肩書きばかりで採用していたからな」



 リチャードはあまりにも勝手な言い分に、目を丸くした。

 彼らの企業にはもちろん、この悪事に気付いていない者も中にはいるだろうが、差し出そうとしているのは不正に加担し続けている研究員たちだ。



 ヒュンライは助かったとばかりに、ゾンテの後を追いかけ、急いて話し出す。



「悪い話ではあるまい! 世界のSODOMだ、優秀な人材が増えれば更に繁栄するだろう! それに、こちらの研究員だって喜んで飛びつくだろうな」



 二人の話を聞き終わったエルガは口元に指をあてながら笑っていた。

 コメディ映画の山場を見ているように、心底面白がっている。



「はぁ……、いやあ面白かった。まさか条件を出してくるとは思いもしなかったので。これでも穏便に話を進めようとしていたのですが」



 瞳が細くなった。

 足を組んだエルガは少し低い声ではっきりと宣言する。



「全て却下だ、抗議する権利は今そちらに無い。あるのは黙って廃業について考え、将来を悲観し、怯えて暮らす未来を描く権利だけだ。勘違いするな。研究員をこちらで引き取る? 冗談にしても最悪だ」



 もうすぐ代表という肩書すらも無くなる二名は顔を赤く染め、憎しみを顔に表しながらエルガを睨んでいた。

 思わず隣にいるリチャードも雰囲気を一変させたエルガを見つめる。



「腐った王に付き従い、媚びへつらう為に望んで心を捨てた生きる亡者を私に押し付けるというのか?傑作だ。そんな生ける死者の大群を喜んで自分の城に迎え入れる者がいるとでも?収縮した脳を使っても恩を仇で返すしか策が無いなら教えてやろう、怪物を送り込むのならば詳細を隠し、善人の皮を被って他所の国の王を騙せ」



 沈黙が部屋を包んだ。



 ヒュンライは限界だったのだろう。

 エルガの握っているデータの事も頭から消し飛んだようだ。

 


 握り締めていた杖をエルガに向けて力一杯投げつけたのだ。



 そのモーションは老人にしては早かったが、避けられない程ではなかった。

 しかし、エルガは微笑みを浮かべたまま躱そうともしない。


 リチャードは椅子から転げるようにして、横に座るエルガを抱きかかえる形で庇った。

 蛇の顔の銀細工で出来ている持ち手がリチャードの眼鏡の弦とレンズを繋ぐ部分を強打し、破片が目の下に跡を残す。



「馬鹿者! なんて事をしてくれたんだ! ……ヒュンライ……! 貴様とはこれ限りだ! いつもいつも感情的になって面倒を起こしおって!」

「そんな……!ゾンテ殿、申し訳ない……だが……!」

「私に謝っている場合か! もう知らん、構ってられんわ! ミカイル殿、私は廃業する! 従業員の事はこちらでなんとかする、面倒はかけん! ヒュンライ、これまでだ。倒れるなら一人で倒れろ! 私をもう巻き込まんでくれ! もう沢山だ!」



 すがるヒュンライを突き飛ばしてゾンテは足音荒く去って行った。

 怪我を負ったまま、向こう側で床に転がるヒュンライがおかしな気を起こさない事を祈りながらリチャードはエルガの前に立ちはだかった。




「さて、これが最後になります。お返事を聞いても宜しいですか?」




 人は、追い込まれた時にどうするだろう。

 その答えの内の一つを、リチャードはもう思い知った。


 頭を支配する感情をぶちまける場所を探し、見つけ、暴れる者もいる。

 その後に続くのは、思考を捨てるかそれとも打開する策を編み出すか。

 今回の場合、ヒュンライは打開策を打ち出す人物を自分のせいで失ったのだ。

 


 答えはもう決まっている。




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