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第二百三話 机の下の味方が耳を澄まし

 リチャードは机の下で死を覚悟した。

 誰がどう見ても無人の代表室に入り込んだ不敬な側近である。

 やましいことがない、と机の下に隠れておいて言っても誰が信じてくれるだろうか。


 怪しいのは分かっているし、例え有能弁護士をこの場に召喚出来たとしてもお手上げだろう。

 きっと素直に罪を認めて模範囚となり、早く檻の外へ出られるように勧めるはずだ。



「(今日が寿命か。長いようで短い人生だった。……事故死や苦しみ抜いた挙句の病死じゃなくて良かったか)」



 どうせ首を斬られるにせよ、ここにこうして隠れていても仕方がない。

 意を決して顔を出そうとした時だった。


 明らかにエルガのものだけではない足音が中へと入って来ている。

 どうやら誰かと一緒のようだ。


「(完全に…完全に運に見放された……! 代表室に直々に招くような客となれば何をどうしたって重要な客だ! という事は大切な会議……!? スケジュールは……いや、確かに今日は会議は入っていなかった……! クソ……!)」


 記憶を辿るが、リチャードの知る予定は無い。

 急な来客に応じるという異例の事態が今目の前で起こっている。

 いや、机の上でというほうが正しいだろうか。


「どうぞ、お掛け下さい。遠路はるばるお越し下さり、ありがとうございます」

「……いや、こちらこそ我々のような弱小企業の為に時間を割いて貰えるとは光栄です」


 しわがれた声がリチャードの上で響く。


「これこれ、ヒュンライ君。そのような事を言うでない。なに、SODOM本社に来るのは久しくての。以前に来た時……先代の若き頃だったか」


 もう一人も老人のようだ。

 それも先代との付き合いがあったことを含めている。

 ただ者ではない事が更にリチャードの代謝を促していく。


「ヒュンライ様、ゾンテ様、お飲み物は何がよろしいでしょう?コーヒーと紅茶であれば世界中にある全種類をご用意してありますが」

「(ひゅ……!?ゾン……ああ……もう、ダメだ……ここで心臓発作が起きれば……)」


 ヒュンライとゾンテの名をリチャードも知らぬはずがなかった。

 どちらも古くから存在している企業であり、創設者の名が社名となっている。

 SODOM設立当初は競り合った事もある武器・兵器開発企業だ。


 独占市場と化していくSODOMに尻尾を巻いたこの二社は今、環境改善事業として負け組同士で結託し、コマーシャルや看板を世界的に展開する企業となっていた。

 文字通り本当に改善しているのかというと、そこはまた別の話でこれ以上環境が悪化しないように食い止めているらしい。

 らしい、というのも細かくデータを出した訳でもないからだ。


 毎年自社で打ち出している成果の発表や、家庭用の魔力遮断効果のあると言われる装置をリニューアルしては大々的に広告を打っているので誰しもが疑いなど抱いていないだろう。

 疑いを持って光を当てたとしてもそこはきっと黒そのもので一筋の光など飲み込まれてしまう、というのが真実なのだろうが。


 気付いた時にはリチャードが腹這いになっている床一帯が芝生に代わり、草の匂いが花をかすめ、小鳥のさえずりや心地良い風が吹いていた。

 白一色だったあの部屋はどこにも無く、椅子だって一つだけだったはずなのに木製の椅子の足が二脚分見えた。



「(……今更何故この二人が……?)」


 芝生の上に寝転んでいる感触がとても本物のようで、リチャードは少し落ち着きを取り戻し始めていた。


「(ああ、なるほど……。Zに仕事を取られると思っているのか)」

「どうぞ、旅行気分でお寛ぎ下さい。先代がお世話になったようで、直接ご挨拶もせず申し訳ございません」

「いいや、構わんよ。若者というのはいつだって無礼なものだ」


 ゾンテと呼ばれた男性の声に無礼なのはどっちだ、とリチャードは憤る。

 こんなに包み隠さずに嫌味を言う声はしわがれており、隣に座っているであろうヒュンライは杖をついていた。

 どちらも歳を重ねるごとに敬意を払われても、自らが払う事が減り、忘れてしまったのだろうか。



「そうですね、そして若さというのは自信でもあります。わきまえる、という事を知らない」

「その通りだ!」


 大声と共にヒュンライは杖を打ち鳴らした。

 思わずリチャードの体がびくりと跳ねてしまう。


「SODOMの繁栄はまっこと素晴らしい! 私も役員にでも雇ってくれたらと思ったほどにな! しかし! 血も涙も無く、他者を踏み潰し、罪無き人々の血を吸って反映した会社よりもゾンテ殿のように同志と手を取り合い、共に伸び伸びと成長する方がよっぽど素晴らしいのだ! 何が可笑しい!」


 どうやらエルガはこんな緊迫した場面だというのに笑っているらしい。

 リチャードは体からさあっと血が引いていくのを感じた。


「大変失礼を! お許し下さい、このふ抜けた顔は生まれつきでして」


 リチャードはこうしてエルガが他の人物と話しているのを見るのは初めてな気がした。

 会見やインタビューに答える、外向きの彼の顔とはまた違ったものを感じる。


「さて、そんな冷酷無比な我が社での会談を望まれたのはどういったお話でしょうか?」

「とぼけおって……。新会社の件だよ、新代表。会見では詳しい内容を発表しなかったのは正解だ。世界にスプラッタムービーが放映される所だ。環境問題改善事業だと?エイプリルフールだったら良かった!」



 ゾンテの責め句にヒュンライも杖を鳴らして便乗する。



「一度ならず、二度までも我々の生業を奪うか!? 今すぐ新企業の開始を見送り、事業計画を練り直すんだな!」

「なんと!そんなつもりはありません!ああ、どうしたら誤解を解けるのでしょうか……」

「誤解!? 誤解だと!? 何がどう、我々が誤解しているというのか説明できるならしてみるがよい!」


 確かに、今もエルガはクスリと小さく笑った。

 それが聞こえたのは招かれた体だけでなく人間性も枯れかけている二人とは違う、リチャードだけだったのだろう。


「私が行おうとしている事業は建前だけでない、本当の『環境問題改善事業』です。この時点でお二人の行っている事業とは全く違います」



 はっきりとそう言い切ったエルガはどこか嘲笑を帯びていた。



「希望の光に手を伸ばす人々に背を向けて舌を出し、環境問題ではなく自分の食い扶持だけを問題視しているお二人と一緒にされては困る! ……若者というのは失礼なものですから、この程度の失言は笑って流してもらえますよね?」

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