第百九十八話 王子様と従者のカエル
シェアトはカーテンの隙間を手で開き、頭を先に入れる。
確かにベッドの上で甲斐が眠っていた。
想像していた状態と違い、ベッドの横に特殊な機器も無く、仰向けで目を閉じている。
布団の上に出された右腕には幾つかのランプが点滅している黒いバンドが巻き付けられているだけだった。
カーテンで仕切られている間だけは防音魔法が働くという面会者に気を使った仕組みをシェアトはフルラがここで療養していた時に聞いた。
いまいち信用できずに念の為、大きな声でヴァルゲインターを呼んでみたが反応は無い。
「……おい……、おいって……。起きろよ……」
傍に立ったまま、彼女の寝顔を見下ろす。
そういえば甲斐の眠った顔を見るのは初めてだ。
イヤーカフを外して映し出される角度を考えながら手に持ち、映像通信を繋げる。
ビスタニアは自室の椅子の座っていた。
ベッドが映像としてビスタニアの前にも現れたのだろう。
椅子から立ち上がると甲斐の傍に近付いて行く。
「……久しぶりだな」
今、シェアトはビスタニアの背中しか見えないが、彼がどんな表情をしているのかは声で分かった。
こんな優しい声を、あの赤色の髪をして眉を吊り上げていた少年が出しているのだ。
ビスタニアは映像だというのに、甲斐の細い手に自分の手を重ねている。
「(こんな風に眠る姫に王子が颯爽と現れるシーンが確かおとぎ話であった気がすんな……)」
確か、王子は姫に口付けをするのだとシェアトは思い出す。
すると姫は目覚めて、ハッピーエンド。
「(チッ……なんでこんな夢物語がもてはやされんだ?)」
今も昔も理解出来ないのは、自分が王子様になれないからなのか。
こんな重要なシーンに居合わせて姫と王子を見守るのは、せいぜい姫に仕える小人とか妖精とかカエルとか、そんな類だろう。
「(小人も妖精もガラじゃないからカエルとかそんなもんだろ……)」
そしてシェアトは、気が付いてしまう。
それはとても自然な発見だった。
「(ああ……、それって……今この瞬間の俺じゃねぇか)」
「……驚いたぞ。張り切ったんだって?」
ビスタニアは後ろにシェアトがいるというのに、甲斐に優しく声をかけていた。
まるで自分と甲斐だけがこの空間にいるように。
「魔力を使い過ぎれば危ないというのは習っていたな? ……リスクを負っても倒したい相手だったんだな。頑張ったな。……俺は、小さい男だ。お前が頑張ったと聞いても、心から喜んでやれない」
フェダインの時もそうだった、とシェアトはビスタニアの背中を見つめながら思う。
赤色の髪をした少年は、毛嫌いしていたはずの甲斐とどんどん距離を縮めてライバルになっていた。
最初に甲斐の隣にいたのは自分だったのに。
プロムの時もそうだった。
「(……あいつはお坊ちゃんの癖によ……)」
こっそりと学内で働いて金を作り、甲斐の欲しがっていたネックレスを買って、自分のスーツが買えずにプロム自体に出るのをやめようとしていた。
頭が良いのか悪いのか、分からない。
「……お前のやりたい事を、やらせてやりたい。でも、それでお前がいなくなってしまうのは辛いんだ」
ビスタニアは微笑んでいるが、今にも泣きだしてしまいそうに見えた。
「会いに来るのが遅くなったのを怒っているか?すまない。いくらでも謝ってやる。ここで働き続けるのも何も言わない。だから……早く笑ってくれないか」
「(……最初から王子ってヤツは決まっていたのかもしれねぇな)」
カエルは姫の友達だった。
だが、恋心を抱いてしまった。
こんな絵本はきっと売れないし、女の子の夢にはなれないだろう。
カエルには王子のような器もなければ、器用さも無い。
――それでも、
――気持ちだけは本物だから。
「(名脇役に、なってやるよ)」
シェアトはぐ、と力を入れて立ち上がるとビスタニアに話しかけた。
「……ったく、しんみりしてんなよ。休み取ったんだろ? 明日も明後日も、いくらでも面会に付き合ってやるから」
目を丸くしているビスタニアと目を合わせられない。
頼まれてからじゃ、格好がつかない。
漢気を見せるのは成る程、中々勇気がいるようだ。
「……当然だ、お前だけがこいつの見舞いに行くと何をしでかすか分からんからな」
その声には棘一つ無かった。
変化があったのはビスタニアだけではない。
シェアトもまた、恋が完全に終わったというのに、喚きたくなるような気持ちやビスタニアへの嫉妬心すらも無かった。
「……まあ、お前と違って俺は甲斐に触れるんだけどな!」
ビスタニアの真横に並ぶと、重なったままの彼の手の上から甲斐の手を握った。
てっきり怒り出すのかと思ったのに、呆けたような顔をして見つめられ、シェアトは拍子抜けしてしまう。
「…相変わらずなんだな」
「な、なにがだよ……。あっ!? 別に、その、これは……ただの冗談だぜ? そそそんな深い意味なんてねえよ!」
慌ててシェアトはカイの手を離したが、ビスタニアは怒っている訳では無いらしい。
それどころか何故かとても優しい目をして微笑んでいる。
「その、笑い方。……良かった、たった数か月の間にまるで知らない奴になってしまったのかと勘違いしてしまった」
「笑い方ぁ? なに、訳分かんねえコト……」
口を斜めに上げて笑う癖をどうやらシェアト本人は自覚していないらしい。
人は変わってしまう。
あんなに嫌っていたシェアト・セラフィムというどうしようもない人間に、こんな風に笑いかけるような瞬間を夢にも見ていなかった。
「……チッ、気持ち悪ぃなあ。お前は俺にへったくそな嫌味を言ってつんとお高く纏ってた方が似合ってるぜ」
「そうか、それもそうだな。こんなの、俺達らしくない」
笑い合えるなんて、思っていなかった。
こんなに誰かを好きになるなんて、思わなかった。
「カイ……、また明日も来るからな」
最後に声を掛けたのはシェアトだけだった。
ビスタニアは何も言わず、甲斐を見つめていた。
「愛の時間は終わったー? 心配しなくても、目は覚めるよ」
ヴァルゲインターは振り返りもせずに、手をひらひらと振っている。
「……ああ、そりゃあ安心だな」
シェアトは、表情を変えないように必死だった。
耳に付けているイヤーカフ型の通信機器から聞こえているのは伝言を知らせるアナウンスだった。
一日一件、入れられていたのかその数は三十件を越えている。
それが両親からのものだと、直感的に分かってしまった。
そして、それはクロスに関することなのだろうとも。




