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第百八十九話 目覚めたネオ

 部屋から飛び出したシルキーは、失った左目の代償を受けつつも意識を保とうと叫んでいた。

 喉が裂け、二度と声が出なくなろうとも構わない。



 シェアトの体にはまだ生きている。

 体温が、熱が、残っているのだ。



 残された甲斐が一人、何をしでかすのか分からないが本当は絶対に避けたい展開だ。

 何もかもが最悪で、そうさせたのが全て捨て置いたはずの過去に惑わされる自分のせいだというのが許せなかった。




「このままで済むと思うなよ……!」




 シルキーは歩く度に半身が分離しそうな激痛を怒りで殺し、シェアトを背負っているせいで自らの雷を受けた傷跡に塩を塗られているような痛みを罰と受け止め、階段を下りた。

 拠点へ逃げ帰るつもりは毛頭ない。

 絶対にどこかに、あるはずなのだ。


 シェアトは自分よりも格段に小さなシルキーの背に乗り、丁寧には程遠い歩みの中で揺られながら謝罪を繰り返していた。

 何度謝っても声にならず、生暖かい血が降り注ぐ。


 どこまでが夢だったのだろう。

 夢と現実の狭間を行き来しているシェアトはただ、それだけが浮かんで消えた。



×  ×  ×  ×  ×



 同じ時、ネオが目覚めた。

 悪夢から覚めたように、真っ青な顔色と虚ろな瞳。

 たった一人の患者の変化に女医のヴァルゲインターはすぐにベッドの横へと歩み寄る。



「……おお、意識は戻ったか。その状態で起き上がってみな! ベッドに磔にしてやるから!」



 手術を終えたばかりのネオは、先手を打ったヴァルゲインターに言われなくとも、起き上がる事はおろか手を上に上げる事すら叶わなかった。

 まだはっきりとしない頭の中で分かっている事は一つだけだった。




「任務……失敗、か」




 第一声がその一言で、ヴァルゲインターはネオらしいと思いながらもやはり彼が少しばかりずれているのだと再認識する。



「その通り。さっきカイとシルキーが向かって……寝てな! 両手両足にボルトでも打ち込んでやろうか!?」



 飛び起きたネオは腹部を押さえて呻いた。

 まるで内臓を掻き回されているような痛みに声が出ない。

 それでもヴァルゲインターを必死に見上げ、汗を流しながら絶え絶えに伝える。



「ダメだ……ダメなんだよ……今回は相手が悪い……! どちらも生きて帰って来られない……教えてあげなきゃ…!」


 必死に訴えるネオにヴァルゲインターは眉を上げた。


「ショットガンを腹に一発、左肩から刃物を振り下ろされた……そういう傷跡だったけど相手はネズミのように早くて、鬼のように獰猛な相手だと伝えりゃいい? ……こりゃ伝えてもダメかもね」


 冗談めかして笑う彼女にネオは目を閉じた。

 光が目に入らないと少しだけ痛みがましになるような気がした。


「……違う、これは……シェアト君にやられたんだ。敵はあの場にはいない。いるけど、いないんだ……。完全に嵌った……。あの部屋は……死刑部屋だ……。執行人は、自分自身……」

「……話が見えないんだけど、敵に、やられたんじゃ、ないのね? もし、錯乱してシェアトがあんたを襲ったってんならシェアトは聴聞に掛けられるし私もこんな呑気に話してる場合じゃなくなるんだけど?」




 ネオのベッドに腰掛けたヴァルゲインターの声は暗かった。




「大丈夫だ、それなら僕もこんな呑気に寝てられない。代わりにシェアト君を襲ったのは僕なんだから」




 開いた口が塞がらないヴァルゲインターは煙草を取り出し、火を点けた。

 治癒室の中は全面禁煙だが、今日ばかりは解禁だ。



「……やられたよ、魔力研究所を襲っていた奴らのアジトに間違いはなかった。……でも、脅威なのは今回の勢力じゃない。あのボスだ。……いたた、もう少し強い薬は無いの? これじゃまともに話せないよ……」

「その痛みがネオには良い薬だと思ったんだけど……仕方ない。私がここで煙草吸ったの、黙っててくれる?」

「……そんな恐ろしい事を引き合いに出すのか……。どうしようかな……うーん、いいよ。僕は勇気ある人間だからね」



 これから口にしなければならない恐ろしいあの部屋の事を一時でも忘れられたらいい。

 ネオとヴァルゲインターは見つめ合い、そして笑った。



「……どこから話せばいいのか……僕達がいつものように敵を蹴散らして……まあ、民間人で編成されたグループにしては場数を踏んでるだけあるけど……余裕で最上階までクリアしたんだ」


 ヴァルゲインターがベッドの横へ椅子を指で呼びつけ、腰を下ろす。


「……問題は最上階さ。一つだけドアがあった、まず僕から入った。中は暗くて、何も見えなかったけど人がいる雰囲気は無かった。……次にシェアト君。すると急に耳鳴りが起きてね、段々部屋が薄明るくなっていくのが分かった。気付けば部屋の中は紫一色だったんだ」

「……紫? おとぎ話でももっと分かりやすいよ。どういうことさ?」


 眉をひそめたヴァルゲインターを細く開いた瞳でネオが捉える。

 相手の表情が見えないと話しにくい。


「……照明じゃないんだ。……今にして思えば、あれは魔力を気化させたものだったのかもしれない。僕の想像だ、外れている可能性もあるよ。だって僕は魔力が充満した部屋に入った事なんてないんだから」

「それで? 沢山言いたい事があるけど我慢してるの、最後まで聞いたら纏めて言うわ」

「ありがとう。……僕の目の前に、いたんだ。今回の標的でも、シェアト君でもなくて……そこにいるはずのない人が。驚いたよ、だってこんな場所にいる訳ないんだからさ」



 ネオの拳が握られるのをヴァルゲインターは見た。



「……誰がいたの? ……あ、名前とかじゃなくてあんたとの関係性」

「……幼馴染さ。でも、どこにいるかは知ってるんだ。ただ、その人物が生きている限りこの世界に平和は訪れないと思う。そんな人間がいたんだ。ヴァルちゃん、僕は今まで築き上げた僕のイメージを守りたい。過激な発言を今口にしたとしたらそれはきっと、手術の時に使ってくれた薬のせいなんだ」

「分かったから、大丈夫。何でも言っていいから」


 息をついて、ネオは冷静さを取り戻そうとしている。


「いつか命を奪うことを夢見てる相手がそこにいたんだ。……あの時の僕は、冷静じゃなかった。今なら分かる。何もかもがあり得ないはずなのに、衝動を抑えきれなかった」

「……なるほどね、それはシェアトも同じだった……。互いの姿が自分の憎んだ相手に見えたってわけか……。確かに理屈は通るし、二人が討ち合ったのも納得だけど……よく生き残れたね」


 

 次に息を吐いたのは、ヴァルゲインターだった。



「……ってぇことはあれかい、シェアトは、死んだってことかい……?」





 張り詰めた雰囲気の中で、ネオが吹き出した。





「まさか! いつものようにわざと相手の攻撃を受けた時、一瞬正気に戻ったんだ。こんな荒いやり方で攻撃するはずない、おかしいってね。シェアト君がいつも魔法で銃火器を召喚してたから思い出せたんだ。手加減したけど傷は浅く無い、眠ってもらうにはその位しないとダメだったしね。……その時、狂戦士と化した彼に斬りつけられたけど」


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